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前回、空振りした願成就院は「伊豆の国市」に位置している。そこから下田街道を南下すると伊豆箱根鉄道駿豆線・大仁の駅までが「伊豆の国市」で、そのすぐ先の修善寺駅は「伊豆市」になる。
記憶力が泳ぎ疲れている頭では、ちょっと前までは、伊豆は伊東市と下田市しか無かったはずだ。
だが平成の大合併で上述の二つの市が新たに成立された。
調べてみると2004年に「伊豆市」が、2005年に「伊豆の国市」が成立したようだ。
その前までワシの覚えでは伊豆は「伊豆半島」であって、市ではなかった。
その後に知って「えっ! いつからっ? 」である。
こちらとしては知らぬ間に「伊豆市」になっていたという感じだった。
新聞を日々隅々までコマメに読む人間でなければ、そんな事はわからない。
さらに、ややこしいい事に翌年「伊豆の国市」が成立していた。
あれから10年以上になるのか!
しかし10年以上経過しているのに、関東の人間が理解してる伊豆は、いまだ「伊豆半島」全体なのだ。マチガイナく!
地図を広げて「伊豆市」と「伊豆の国市」は「この区域」だと正確に指し示せられる人がいたら何かのビョーキに違いない。
伊豆市は広大で、今まで全国的に知られていた半島名を「市名」にできたのだから「シテヤッタリ!」と当初思っていたに違いない。
その1年後、後発の合併組が「伊豆の国市」と名打った。ヤラレタ!!!
事務的な、短絡的な「伊豆市」の命名より「伊豆の国市」の方が夢と浪漫、物語がありそうだ。
2003年に成立された「南アルプス市」というのも脅かされた市名だが、「伊豆の国市」にも「よくやった! よく名付けた」と思わされた。
先に名付けた「伊豆市」は、さぞや苦々しい思いではないか? と勝手に想像するのも楽しい。そうじゃなく2つの市は友好的な関係にあるかもしれない。
そんな、もしかしたら悔しさに歯噛みしているかもしれない伊豆市のど真ん中、臍(ヘソ)的な位置にこの寺はある。
しかしこの寺は臍(ヘソ)よりもう少し下に興味があるようだ。
違う! 興味を抱いているのは寺ではなく、寺を訪れる人間だろうね。
駐車場から。
あと少し日にちが進むと、もっと黄色くなるのかな?
山門に続く階段を登ります。
「不葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」禅寺だ。
葷酒と共に生きている身としては、いつも叱られているようで心地よい。 Ⓜ️だ。
境内に入り、本堂をはじめとした堂宇の様子です。
正確には「烏枢沙摩明王」という神。読めないから「うすさま明王」と表記してる。
ここは大黒天さん。
なにやら新しい造り。観音様かしら?
そしてここが「臍より下」の神様にお会いできる我がブログ名と同様、迷宮の入り口。
「さすり、またぎ」この先、何も言わない。勝手に解釈してください。
あらっ まぁっ、ゴリッパ!!
石で出来てる先端、黒光り!! いや光ってない、手垢マミレ?
こちら木製、人が横たわったような大きさ。イタイタしい!? 絆創膏ではない、千社札。
唇?
見る位置を変えたら、どこかで見たような記憶が・・・??? 唇に変わりはない?!
そして、ここにお賽銭を入れ、またいでお参りするのです。
おバカなワシにはもう何が何だか ヨー、ワカラン事になってました。
ヒット曲「トイレの神様」を歌った本人もこの寺を訪れているとか。カンソーをお聞きしたかったわねぇ!
明徳寺、観光バスも寄せ付け、パンツも売っているタイした寺です。
参拝された方たちが「シモ」の病気に、下半身の病気にならないように、ワタシが祈りたくなる。
下半身がコソバユクなりそうな寺をあとにして、下田街道を先に進みます。
天城峠に向って、道は急斜ではないけど高度が徐々に徐々に上がります。
峠の先は河津まで大きな町はありません。
・・・なぜか途中から文章が「ですます調」。
明徳寺の東司の神様のカリスマ性に影響され、神妙でお行儀良い表現になったのかしら?
浄蓮の滝でこのお二人とご対面でございます。
山はまだ「燃える」ほどではないようです。
浄蓮の滝、天城隧道、寒天橋、これらの写真でどなたでも連想できるのは、この3人様でございます。
だめだ! 気持ちワルイ、イツモの言い回しに戻す。
天城から河津はどこへ行っても「踊子像」に出会う。
川端康成の短編「伊豆の踊子」は何度も映画化、ドラマ化されている。ヒロインは吉永小百合や山口百恵。その時代、時代のトップスターが演じている。
川端の実体験的な青春小説というべき原作は、読んではいるものの大きな感動を得られない読書力。
映画はまともに観ていない。アイドル的女優主演の映画は「観ない」という無駄な抵抗をしている。アホクサイのだ。
だが、今の伊豆が観光地として全国的に知られているのは「伊豆の踊子」が一役も二役もかってきたのは事実だ。
100年も前に書かれた、伊豆の風景が叙情的に美しく描写されている小説の舞台を、今も文庫本を片手に探しに来る観光客が大勢いるのだ。
さらに「伊豆の踊子」とは、その主人公が対照的な内容の松本清張の短編「天城越え」。小説の時代設定は「伊豆の踊子」と同じく大正末期。松本清張が川端を意識して書いたに違いない作品。
これもいくつかの映画やドラマにされている。こちらも昔、読んだ! 昔、観た!
大塚ハナを演じる田中裕子の妖艶さとハスッぱさは、お見事な演技、秀逸だ。
「天城越え」は田中主演以外の映画・ドラマは見る必要なし、とハッキリ言える。
ノーベル賞物を深く理解できない自分には、小説も映画も松本清張にグンバイ!
演歌は聴かない!
しかし2、3曲だけ itunes に潜んでいる。
昨年のNHK紅白歌合戦のトリをとったそうだが、こんな曲を聴いている姿を人に見つけられると、なぜか恥ずかしくなるし「なんだ?! こんな演歌も聴くんだ?」と、人を不思議がらせ、やっかいな説明を強いられる事にもなる。
だから時々、一人密かに聴く。
なぜ itunes に入れた?
曲もさることながら吉岡 治の「詩」が凄すぎるからだ。
もちろん普段は演歌を聴かないから、当初は吉岡の名前さえ知らなかったが、多くの演歌ヒット曲を作詞していた。本人は数年前亡くなってしまった。
吉岡の「天城越え」には天城をPRするが如く名所名が散りばめられている。
「九十九折り」「浄蓮の滝」「わさび沢」「寒天橋」「天城隧道」
曲名が「天城越え」だから、これらの単語は、まぁヨロシッ。
しかし「隠れ宿」「割れ硝子」「小夜時雨」「走り水」「隠れ径」「風の群れ」となると、言葉を自由自在に使い分けられる人にしかしか出てこない単語が散りばめられている。
そして「山が燃える」「天城越え」。
現実の山や、現実の天城を指しているのではないな!?
舞い上がり、揺れ落ち、くらくら燃え、あなたと一緒に「越えたい」「 一緒に、イッショーにっ!!!!」?
東司の神様を祀る明徳寺のチン列物に影響され、深読みしすぎ? どちらでも良い!
女の情念、心とは別にある女の身体を、これほど言葉巧みに表した詩は他にない事は確かねっ?
弦 哲也の曲が人の心を打つ、石川がそのトドメを打つように謡う。
この3人の匠が奇跡的な調和を生み出し、人々の心を震わせ、感動の演歌名曲となった。
もう一つ、同じく石川が歌う「8月の濡れた砂」も吉岡の作詞だった。同じ石川でも名は「セリ」。
まさか同じ作詞者とは予想もできなかったが、2つの詩の内容は通じるニュアンスがあり、ナルホド!
すみません、小説も映画も、歌も稚拙な感想です。
言うまでもなく、いつものように高説で正確な評論は百科事典的な別サイトヘGO!です。
でもこのアホブログ、
「誰かに盗られるくらいなら、あなたを殺していいですか」