買物のため人形町に行った。歩道脇の高い位置にフラッグがはためいていた。
御朱印に興味を抱いている方は、限定御朱印で騒ぐより、もっと騒がなければならない事かも、きっと。でも、ブーム以後の御朱印集めの方々は、それが宗教的行動と解していない方が多いだろうと予測できるから、このフラッグには興味を持たないでしょうねぇ!
「光永圓道大阿闍梨が大観音寺にご来臨」
やって来る、いらっしゃる、現れるとは言わないのだ。まさに「来臨」と言う表現に相応しい方なのだ。
稀勢の里、錦織、嵐がやって来るのとはレベルが違う。いや、一緒に並べるものではないな。
千日回峰行、一つひとつの現実的な苦行を、我が身に置き換えてみる。軟弱なワシでは1日も保たない。ならば、せめてその功徳を頂戴すべく、大観音寺に足を運び、出来れば「お数珠頂戴」を授かってくる?しかし、そこまで熱心に宗教を信じるほど人間ができてない。いや宗教自体は信じるし、興味があり、知識欲もあるが、その所謂「ご利益、救い」、言葉を変えれば、効果、見返りみたいな事は、全くとは言わないまでも、普段、期待やお願いはしなく、それは淺ましく、恥知らずな事とし、ましてやパワースポットなどと言う言葉が嫌いな身では「お数珠頂戴」を授かっても、マヤカシになるかも?
愚かな「バチ当たり」は、今回は遠慮して、もっとその場に相応しい人たちにお任せする事にしますか!