寺名は「金剛寺」ですが、一般では通称の「高幡不動」のほうが通用するようです。
御朱印は午後4時近くに受付をお願いしました。
何と「受取は1時間後」との案内がありましたが、現実は30分強でした。
▼同じく本尊 不動明王(多摩新四国八十八ヶ所霊場88番札所)の御朱印で高幡不動の代表的御朱印です。
朱印帳への直書きは1種類のみということで、本尊の御朱印は書き置きです。
▼同じく、2012年にいただいた本尊の御朱印。
▼同、2012年の関東三十六不動の差し替え御朱印。
一度に全部はいただけないかもしれませんが現状、5種類の御朱印がいただけます。
--------------------------------------------------------------------------------------
▼日野七福神も大詰めの高幡不動前の川崎街道は大渋滞。ガマン強く車の列につきます。
高幡不動の駐車場への車の列が渋滞原因を作っていました。
駐車する車は一般参拝、護摩焚き、車祓の3種類に分別されて、
それぞれの駐車場に導かれました。一般参拝は寺から遠くに止めさせれます。
▼駐車場から歩いていると車祓用のお堂「交通安全祈願堂」に出会いました。
大きな太鼓の音と般若心経の読経が漏れ聞こえてきます。
お不動さんの護摩焚きは、いつ出会っても胸にドカーンと響いてきて気持ちが良いものです。
高幡不動へは関東三十六不動で参拝したのが2012年ですので、7年振りの参拝です。
▼室町時代建立と伝わる「仁王門」は、堂々としてて、7年前当時の記憶と変わらないように思います。
初詣の賑わいは関東三不動に数えられるだけあって、大変な人出になっています。正月中はこんな様子なのでしょう。
▼仁王門をくぐると「不動堂」まで参拝のための列ができています。7年前訪問の折は、境内はどこもかしこも工事中でほとんどの建物がホロを被っていて、とっても落ちつかなかったことを覚えていますが、今回の参拝ではすべて整備改修が済んだようで、まだ真新しく感じる建物ばかりが目立ちました。
▼不動堂の裏になる「奥殿」も朱の塗装がまだ新しく、眩しく感じます。
▼もとは平安時代に造立されたと伝わる「丈六不動三尊像」も修復を終えてから、それほど時間がたっていないようです。ここでは参拝者の列はないのでしっかりお参りできます。
▼奥殿の右隣は「上杉憲顕公墳」の扁額があります。足利軍との戦いに敗れここで自刃したそうです。
▼最初に参拝した時は「五重塔」もまだ未完成だったように記憶していますが、ここも完成済み。
▼塔先端の相輪までの高さは45mで、完成まで5年の時間を要したそうです。
▼その扁額は可読できません。最初の2文字は「南無?」違うねぇ!
▼仁王門からまっすぐ進んで、ここが一番奥になる「大日堂」は総本堂になります。
▼大日堂の天井には「鳴り龍」が描かれていて、ここから拝観できるようですがパス!
何しろ境内は広すぎます。一旦御朱印をお願いしてきましたが、まだ肝心の七福神を参拝していません。
▼弁天堂は仁王門の近くにあり、どうやら通り過ぎてしまったようです。
▼どなた様か知識ありません。
▼境内の左手の山越えをしながら弁天堂を目指してみます。
▼「鐘楼」まで登ってくると、もうここは静かで散策している人は僅かです。
▼日暮れ間近です。下から参拝者のざわめきが伝わってきます。
▼季節になると見事なアジサイに覆われるようです。白い札はすべて花の名称が書かれていました。
▼こちらはミニ八十八ヶ所巡りができます。
▼「山内八十八ヶ所」第一番です。
▼第二番で引き返しました。根性なしです!
▼山を降りて、やっと弁天池に到着です。
▼誰しも弁天様のお姿を拝見したく、幔幕の下から覗き込みたくなるようです。
▼境内には屋台もたくさん出ています。夕方近くで焼きイカの香ばしい匂いに負けて1串噛りつきました。
イカの不漁がニュースになりますが、それでも露店では最も原価率の低い商品かな?
▼お休み処にも釈迦三尊が光り輝いています。
御朱印待ち時間「1時間」と案内されていたものの、30分以上経過したところで恐る恐る受付に問います。
案内時間前なので
「まだですっ!」と
言わせたくなく、
せっつきたくなく、
急がせたくもないのですが、
案内の「1時間」いうのは半ば良い意味のハッタリと予想しました。
案の定、無事記帳されていました。ありがとうございました。
▼最後に土方さんにも挨拶して、日野七福神巡りを終えます。
高幡不動は1時間ほどの滞在でしたが、まだまだ訪問してない箇所やお堂をたくさん残しています。
今度は普段の日に三度訪れ、ゆっくり境内を散策してみたいものです。