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御朱印迷宮 /Goshuin Labyrinth

御朱印収集目的には殆ど役立たずなブログ!かも

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金剛院「マンガ地蔵」の御朱印(東京・豊島区)〜マンガ・アニメの聖地と「ナータくん」と帝銀事件

▼蓮華山 仏性寺 金剛院 御府内76番の御朱印です。(東京都豊島区長崎)f:id:wave0131:20191101130316j:plain

御朱印中央墨書きは梵字の「キリーク」と阿弥陀如来の別名「無量寿」だそうです。

 

マンガ地蔵御朱印。書置きです。f:id:wave0131:20191101130320j:plain

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▼金剛院は西武池袋線池袋駅から一つ目の「椎名町駅」北口の真ん前にあります。f:id:wave0131:20191101132226j:plain門前の東には山手通りの陸橋が覆いかぶさるように立ちはだかっていて半端ない圧迫感があります。山手通り地下には首都高中央環状も通っていて、電車と道路がややこしく行き交う場所です。f:id:wave0131:20191101130537j:plain

▼寺は「豊島」と「御府内」の札所にもなっています。f:id:wave0131:20191101130332j:plain

▼門前、境外に「長崎不動尊」。f:id:wave0131:20191101130342j:plain

▼境内に入らずとも、行き交う人々が気軽に手を合わせられるように通りの端に建てられたものでしょう。f:id:wave0131:20191101130347j:plain

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▼「ナータくん」だそうですが? 最近は不動明王も「ゆるキャラ」のようです。f:id:wave0131:20191101132230j:plain不動明王は梵名を「アチャラナータ」と言うそうで、「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味するそうです。

ゴロ的には「アチャラくん」と名付けた方がオモシロイと思いますが・・。

 

▼寺は500年の歴史を持ち、赤門は江戸時代、将軍家治から名誉ある朱塗りを許されたそうです。f:id:wave0131:20191101130351j:plainチョークボードの「OPEN」は寺の案内ではありませんが、寺社もこんなブラックボードにチョークで『OPEN! 本日の御朱印』などと案内したらかなり分かりやすいかも?

 

▼「OPEN」の文字は赤門の隣の寺cafe「なゆた」の案内でした。f:id:wave0131:20191101130338j:plain東京では地の利がある寺社境内のカフェがブームですが、ここも駅前ですので利用者も多そう。f:id:wave0131:20191101132222j:plain

▼境内からはとてもオシャレに見えます。f:id:wave0131:20191101130525j:plain東京で店内からGreenが見えるCafeは、公園サイド、街の並木サイドなどに限られ数多くありませんが、神社や寺院などには庭や林など緑豊かなところも多く、人出の多い場所ならば安らぐ人たちが訪れてくれること間違いありません。

寺社Cafeが成り立つのも、若者たちの神社に対する親しみや理解が変化してきた事も要因かもしれません。

 

本堂内は外から本尊の阿弥陀三尊像にご挨拶します。f:id:wave0131:20191101130355j:plain

大師堂は、弘法大師、興教大師、専誉僧正の三尊が祀られているそうです。f:id:wave0131:20191101130407j:plain

弘法大師は屋外にもいらっしゃいました。f:id:wave0131:20191101130358j:plain発心」「修行」「菩提」「涅槃」の4本の柱の下に四国八十八か所霊場の砂が収められていますので、ここで「お砂踏み」ができます。

▼とっても綺麗に整えられている境内には、興味深いものがたくさん点在していますので見て回ります。f:id:wave0131:20191101130416j:plain境内を見て回りますが、話をいきなり変えます。

ここ「椎名町」は住所表記としての「椎名町」はありません。f:id:wave0131:20191101130429j:plain寺のある「椎名町」の町名は「長崎1丁目〜6丁目」となっています。しかし駅名にもあるとおり東京の一般人には「長崎」ではなく「椎名町」です。

地域にある企業や店舗も「椎名支店」「椎名店」としています。もっとも「長崎店」としたら、かなり都合の悪いことになるでしょうが。f:id:wave0131:20191101130529j:plainところが1966年までは「椎名町」の町名は生きていて、その後に「長崎」になっています。なぜ「椎名町」の町名は消えたのでしょう?f:id:wave0131:20191101130441j:plainすみません! 掲載写真とは全く関係のない話が続きます。f:id:wave0131:20191101130445j:plain椎名町」の町名が消えたのは地域の多くの人がその名を嫌ったためです。f:id:wave0131:20191101130505j:plain嫌われた理由は・・・戦後間もない1948年に起こった帝銀事件です。f:id:wave0131:20191101130517j:plain毒殺により11名の犠牲者が出た、おぞましくも不思議で、謎の多く残る事件現場は「帝銀椎名町支店」は金剛院のすぐ近くにありました。f:id:wave0131:20191101130511j:plain人々の興味を掻き立てる奇怪な事件でもあったので「これでもか!」というほど、当時のマスコミに「椎名町」の文字があふれたことでしょう。

f:id:wave0131:20191101130502j:plain当時「椎名町」は、おぞましさの代名詞のように思われた町名だったかもしれません。f:id:wave0131:20191101130437j:plain今は、ほとんどの人が知らない事件ですが、不思議な事件としては1997年渋谷円山町の「東電OL殺人事件」と同じくらい事件の「ヤミ」を解消しきれていないと言えるかもしれません。f:id:wave0131:20191101130433j:plainそんなことから「椎名町」に住む人々は、その名称を忌み嫌って町名としての「椎名町」を抹消させたとも言えるようです。f:id:wave0131:20191101130412j:plain帝銀事件では犯人として死刑確定された人物は、最後まで犯行を否認し続け、死刑が執行されないまま40年の獄中生活内で死亡しています。f:id:wave0131:20191101130403j:plainもう一つの「東電OL殺人事件」も被疑者が犯人として逮捕され有罪判決を受けていますが、のちに冤罪と認められ釈放。真犯人は分かっていなく未解決事件となっています。f:id:wave0131:20191101130420j:plainどちらの事件も真実は「神・仏のみぞ知る」ということのようです。f:id:wave0131:20191101130424j:plain

そんなおぞましい事件の街は全く過去のものとなり、戦後の椎名町手塚治虫藤子不二雄石森章太郎鈴木伸一など、誰もが知っている漫画家たちの青春が駆け抜けた街「漫画とアニメの聖地」の「椎名町」として蘇っています。

 

マンガやアニメに詳しくあはりませんが、この寺の近くにあった「トキワ荘」から人気の漫画が生み出され、今に続くアニメ文化に繋がった、奇跡的なマンガ発祥の地であることに驚きます。

 

▼そんな椎名町にある寺ですので、この地蔵が建立されたのでしょうか。f:id:wave0131:20191101130449j:plain

▼小さめの地蔵像ですので、境内で少し探してしまいましたが「マンガ地蔵」は右手に錫杖の代わりにペン持っていました。他にも衣がマンガのコマになっているなど、マンガを芸術までに高めていった漫画家たちを讃えているような姿でした。f:id:wave0131:20191101130453j:plain

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▼そんな日本のマンガは海外でも人気だからでしょうか、和文・英文が表裏になった案内リーフもいただきました。f:id:wave0131:20191101182027j:plain

▼「トキワ荘通り」は時間がなくて探せませんでしたが、雰囲気はこんな通りなのでしょうか?f:id:wave0131:20191101132204j:plain

▼「トキワ荘」跡は見つけられませんでしたが、公園がありました。f:id:wave0131:20191101132214j:plain

▼「トキワ荘」の芸術家たちでも一番好きな漫画家のモニュメントがありました。f:id:wave0131:20191101132209j:plain

鈴木伸一トキワ荘時代はとってもラーメンが好きだったようです。f:id:wave0131:20191101132218j:plainトキワ荘」の芸術家たちが一緒になってラーメンをすすっているモノクロの絵を頭に描いてみると、彼らのほとばしるエネルギーが感じられてきます。

 

数十年後、モニュメントは無くなっているかもしれません。人々は「トキワ荘」時代のマンガに大きな関心を示さなくなっているかもしれません。

しかし、百年後も金剛院の「マンガ地蔵」は建ち続けているに違いありません!