まだまだ、京都です。
この神社も限定とか月替わりの朱印を授与しているようです。
そもそもはイラスト御朱印が火付け役かもしれないが、そこに相乗りするしか手がない寺社が情け無いものの、黙って見ているだけも脳がない。
で、われもわれもと見開きイラスト付御朱印を授与することに・・・。
キラキラゴシュラーも、アチラにコチラにと、さぞ忙しいことでしょう。
中央のチョー達筆な墨書きは「壽比南山 関白 福如東海」?
中国の漢詩だそうです。
山のような寿と、海のような福?
意味不明だけど、寿と福がイッパイ! ということにしておく。
▼実はワタシのようなオロカ者に効果覿面の説明書がついていた。
前述は、これを読む前の理解でしたが、おおむね「当たらずと雖も遠からず」でした。
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▼社頭、鳥居とも西を向いています。どこを見ているのでしょう? 大阪城の方向でもなさそうだし・・・。
▼秀吉を祀る「豊国神社」は全国にいくつかあるが、ここがメインでしょう。
▼境内は広くきれいに整えれて、さすが秀吉を祀るだけはあります。
▼「唐門」は国宝となっています。一般の人が参拝できるのはここまで。
▼唐門の奥に拝殿と本殿が続いていますが入れません。正式な祈祷をお願いする場合は入れるかもしれません。
▼装飾された金色に光る金具は豪華といえばゴウカ!
▼千成瓢箪の力にあやかりたい方々が大勢いらっしゃるということでしょう。
▼「豊国大明神」は秀吉が死後にいただいた神号。
秀吉は「大明神」ですが、家康の神号は「東照大権現」。
どちらがエライのか不明ですが、信長に神号はありません。いや「建勲」が神号なのでしょうか?
いずれにしても信長を祀る建勲神社は数少ない。
何と言っても「東照大権現」の東照宮は質といい、量といい、豊國神社、建勲神社を圧倒しています。
江戸時代は戦国武将を神格化することを禁じてきたはず。もちろん大権現を除いて・。
したがって明治天皇から神号を賜った神を祀る豊国神社も建勲神社も明治以後に建てられています。
同じ天下人になった3人ですが、謀反に倒れた信長、後継者なしの秀吉の2人は、彼らの後、265年間続いた家康の威光にはとてもとても叶わない。
ここの豊国神社がいろんな意味でとてもカワイク思われてきました。