▼朝日神社の御朱印です。()
特に月替りとかの断りはなかったのですが、御朱印をお願いしたら上のような状態で戻されました。ムチャムチャ光ってます!
正月だけのピカピカ金文字かもしれませんが、丁寧な対応と直書きでいただけました。
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▼朝日神社は六本木交差点から「芋洗坂」を下り始めてスグの所に鎮座。
六本木は夜の街のイメージです。ほとんど夜にしか足を向けない街です。そしてイメージとして神社と結びつきにくい街です。
しかし、六本木交差点を起点に半径1km以内にはいくつかの神社が点在しています。
そのうち1丁目から7丁目まである六本木の住所名を持つ神社は、天祖神社、出雲大社東京分祠、久國神社の3社があります。
というか、その3社しか知りませんでした。
ところがもう1社、まさか六本木交差点のすぐそばの芋洗坂に神社があるとは全く知りませんでした。
▼六本木交差点からではなく、麻布十番方面から芋洗坂を登って神社を目指します。
夜は何度かウロついたことのある坂ですが昼間は、ましてや日曜の昼間は初めてです。
夜になれば豹変する街ですが、今はまるで昼行灯状態です。
▼六本木交差点が近くなると人も多くなり、急に坂の勾配がきつくなります。芋洗坂は正面に続き、右方面は「饂飩坂」となります。
おっと、神社を行き過ぎてしまいました。
周りに気を取られていると誰でも見逃しそうになる神社です。アルコールの入った夜目には絶対気づかない神社でしょう。
▼20mバックします。神社です。
いや、この白っぽいビルは朝日神社会館。神社の持ち物でしょう。ビル右下に神社の鳥居が見えます。
▼可愛らしい鳥居です。赤の鳥居なら目立って気づく人が多いかもしれません。
▼それでも赤い幟が「神社ですよォ〜」とアピールしています。やはり寺社には幟が必須アイテムなのです。
▼由緒によると神社の草創は940年。御朱印にも「鎮座1080年」のスタンプが押されています。
千年前に六本木なんて、地名さえあったはずありません。土地は地理的に高い位置にありますので一面の原っぱ、雑木林だったかもしれません。
しかし江戸時代の切絵図には「六本木」の町名も「芋洗坂」も載っていて、小さく「朝日イナリ」の文字も確認できます。
それでも江戸時代の六本木・麻布は現在では想像もできない静かな町でした。
町家は少なく、小藩の武家屋敷と寺が続くだけの寂しいところだったそうです。
幕末になると麻布の寺々は外国の公使館として利用されています。
寺は住職が住んでいて、人の営みが可能な建物ですが、かつての神社に人は住んでいません。神の営みはあっても、人が日々の営みを続けられる建物はありません。
したがって、公使館などに利用されることもありませんでした。
▼朝日神社の社殿は狭く短い参道の突き当たりに、申し訳ないほど狭い空間に建ちます。参道から見ると社殿は半分ビルに隠れています。
敷地内に優先的に建てられたのは朝日神社会館ビルで、社殿はその敷地のほとんどをビルに譲ったかのようです。
祭神の1柱「倉稲魂大神」は商売繁盛の神様でもあるから、そちらを優先されたのかもしれません?
とはいえ、どんな形にしても幕末から、戦後、現代まで変化の激しい六本木繁華街の真ん中で神社として維持されていることはブラボーです。
都心によく目にするように、小さな神社は一歩間違えればビル建設時に、階段の途中の小さな祠にされる運命だってあったやもしれません。
▼社殿の背後遠方には六本木ヒルズ森タワー。怪物のような可愛くない巨大ビルです。
▼神社も英語表記の欠かせない土地柄です。
▼さて社務所で御朱印をいただいて帰りましょうか、この街で騒いでた頃を思い出しながら・・。