さらに京都が続きます。
中央の墨書き、摩利支天尊のすぐ上の2行の文字は「開運勝利」でしょうか?
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▼建仁寺境内にありgooglemapでは「亥堂」と表示されています。
▼ワタシにとって京都の有名で大きな寺は「勝手にしてチョーダイ!」と、突き放したい気持ちが どこかでいつも感じますが、建仁寺はそれがありません。
いつものように上ッツラだけしか見ず、ツッコミが足らないせいかもしれません。
どうであれ、今回記事は建仁寺が対象ではありません。
当たり前に建仁寺も「売り」となる主要な部分は有料です。
しかし境内の無料範囲は広く、付近に住まう方々の生活通路、道路の一部にもなっている境内です。
建仁寺と言わず、どの寺も歴史が1000年以上もある中で、メジャーな寺が拝観料を採るようになったのは、タカダカ100年にも満たない。
寺が存続でき、発展したのは、人々が頼れ、利用でき、心の拠りどころにでき、生活環境の一部にできたからでしょう。
だから境内の一部が通路となるのは当たり前なのでしょう。
ですので、建仁寺の総門から境内をズズズズ〜〜〜っと、伽藍を通り抜けるように南に歩を進めて、首を左右にフリフリ探すと今回記事の寺が見つかります。
▼「摩利支天堂」です。
ところで、アキアキとするくらいのランク付けですが、何でもありで
「日本三大摩利支天」と言うのもあるようです。
日本国中、全ての事象に三大、五大、十大とつけたがります、ワガ国民は・・・。
そしてイノシシ君ですが、
▼この日の手水舎のイノシシ君は「ヨダレ」の如く水をタラ、タラしています。
▼狛犬ならぬ「コマイノ」でした。おみくじもイノシシで、摩利支天との繋がりは何?
▼何も知らないワタシに、女神 摩利支天はカンタンに答えを教えてくれない。
しかしイノシシたちを従え、その背に乗り、君臨する摩利支天?
Wiki によると、楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。猪突猛進?
有名な上杉謙信の毘沙門天など、戦国武将たちは神仏を固く信じていた。
イノシシは神の使いでもあるようね!
もう少し勉強しなきゃ!
▼前述した「日本三大摩利支天」の筆頭は、上野の日蓮宗「徳大寺」のようです。
さすが、イサマシー!
今年は亥年でもあるし、他の寺の摩利支天巡りでもしてみますか?
▼上野・徳大寺 摩利支天記事です。