すぐそこに来てる新年の七福神巡りは柴又を目指そう。
柴又は下町どころか江戸、東京のハズレです。
江戸川を矢切の渡しで対岸に渡ればチバですが、柴又は愛しい街です。
近頃、門前町などを重要文化的景観にしてくれと文科相に答申したとか。
寅さん映画は嫌いでもないが、好きな訳でもない。今の若者達に通じないクラシックそのものです。山田洋次のユーモアとペーソスは時代の象徴だったように思います。
なにしろ第1作目が1969年。半世紀近くなります。その頃、映画館に通った若者たちは今はヨレヨレなジジババになっているかも。
そして懐かしく毎土曜日BSで放送されているトラを観ます。
声が聞こえる「いいじゃないの! ジジババの好きにさせてよ!」
だが、あと10年後「この人だ〜れ?」と聞かれるわよっ。
あの銀幕の大スター、裕次郎記念館でさえ閉鎖されています。
帝釈天の裏に「寅さん記念館」もありますが10年後にはやはり閉鎖かな?
柴又帝釈天門前街をゴールにしたかったから京成「高砂駅」から巡り始めます。
それでも普段は少ないはずの中、さすが正月中は巡る人が絶えません。
▼観蔵寺です。
▼医王寺です。
▼宝生院です。
▼万福寺です。
▼良観寺です。
▼真勝院です。
▼で、ゴールにした帝釈天ですが、当時の写真がないから夏の写真です。ここの参道は冬も夏も風情のカタマリです。
▲毘沙門天/経栄山 題経寺(柴又帝釈天)・日蓮宗・東京都葛飾区柴又
帝釈天境内の写真は別な夏の日のものですが、正月19日、メチャ賑わっていました。
で、御朱印は書置きの対応のみと言われました。寺の方針か?
どっちでも良いのですが、書置きを入れてある箱の中には、上に掲載の1種類しかありませんでした。
当初何種類かの御朱印を書置きとして用意していたのかしれませんが、昼過ぎのこの時はもう「毘沙門天」の御朱印がなかった!
僧に不満っぽい言葉を並べてもショーないと思って、なにも要求もせずに上に掲載の御朱印をいただいてきました。だから「毘沙門天」はありません!
いつも書いてきた例外はあるものの総じて「日蓮宗の寺は総じて親切丁寧」だと。過去はここ題経寺も間違いなくその通りの経験をしてきました。
しかし、どうも正月前後は別のようです。
まぁ、仕方ないです、納得です。
掻き入れ時に御朱印帳にイチイチ書いていられないわね!
▲帝釈天で初めていただいた御朱印。気さくな若い僧侶が私に話しかけながら揮毫していただきました。
▲この時も、まったく快く揮毫いただいた御主題です。
やはり、日蓮宗は親切丁寧さが際立っています。僧のお話を聞く時、こちらの知識勉強が足らないと時はオチコむ!
それにしても、柴又七福神は高砂駅から巡ると前半の道中はタイクツかもしれない。どこにでも見られる下町の住宅街の中を歩くことになりますが、帝釈天が近づけば少し様相が変わってきます。
そして、帝釈天参道を最終の楽しみにして巡ってみてください。どの店もハズレのない草団子を買うことも忘れずに!
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