▼同じく本尊 地蔵大菩薩(多摩新四国八十八ヶ所霊場83番札所)の御朱印。
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多摩川に合流する「浅川」沿いに展開する日野七福神の各寺ですが、ここ延命寺は浅川を背にする位置にあり、最寄駅は無いに等しく、京王線の「南平」からでも「高幡不動」歩いたら同じような距離で20分以上かかるかもしれません。
もっとも延命寺を参拝する方は七福神目的がほとんどでしょうから、その経路を考えれば延命寺の前後は高幡不動ですので、その間はやはり徒歩20分くらいでしょう。
▼広い入り口は山門ではなく、車で参拝に来る方の駐車場出入口です。今回は車での七福神めぐりでしたが、日野七福神の場合は車で巡る方も多く見受けられました。
23区内にいくつもある七福神はほとんど徒歩で巡りましたが、東京近郊となると佐倉や吉祥寺などは、圏内まで車で行き駐車場に車をおいて徒歩で巡ることもありました。
七福神の多くは基本的に徒歩で巡ることを想定して7つの寺社が構成されているはずです。車で巡ることは邪道かもしれません。
各寺社の境内に入ってしまえば同じはずなのに、車と徒歩とでは各寺社の印象や記憶が異なるように思います。
車ですと、どうしても慌ただしく印象や記憶が希薄になりがちのように感じます。
日野七福神も徒歩で天気に恵まれれば、富士山を遠望しながら浅川沿いを歩くことができます。それはきっとこの七福神巡りの忘れない記憶となることでしょう。車でも移動中に富士山が時々目に入りますが、あっという間に物陰に入り見えなくなります。
そんな違いもあり七福神めぐりは、やはり徒歩で移動途中の街並みや、景色、商店街などで新しい発見をすることが醍醐味かもしれません。
話を延命寺に戻しましょう。
▼この寺も創建は不詳ですが、死後の安寧を願ったこの板碑は1470年のものだそうですから、少なくとも室町時代以前の開基だったようで、鎌倉時代とも伝わります。
▼駐車場の方から回り込んだこちらが総門のようです。
▼本堂は扉が閉ざされていました。
▼寺の本尊の延命地蔵尊はこの中もしれません。
▼本尊には出会えませんが、境内には子育て地蔵や六地蔵、観音菩薩などの像が・・。
▼主目的の長寿と知恵の神さま「福禄寿」も境内に祀られています。
▼福禄寿と区別が難しい寿老尊ですが、同体異名とも言われていて、2尊とも中国の道教の神さまで仙人がモデルだそうです。見分けがつかないわけです。巻物を杖に結わえ、桃を手にしています。寿老人は巻物を手に持っています。
2尊の違いを何度確認しても、またすぐに忘れてしまいます。
▼庫裏に祀られている小さな像も寿老尊なのでしょうか? おっと、撮禁でした!
▼寺の裏側に小さな社がありました。社殿の後方はすぐ浅川で神社全体がこれだけでした。調べて見ると「日枝神社」でした。寺のすぐ裏にあるわけですから江戸時代までは延命寺が別当だったのでしょう。七福神巡りの人々が参拝に来ることは見受けられなかったものの、近隣の家族連れらしき人々が手を合わせていました。