▼平塚神社の御朱印です。()
「武芸上達」のスタンプは、神社の祭神を「八幡太郎」とすることからでしょう。
しかし、2つのカラフルな日の丸扇のスタンプは何なのでしょう?
神社の祭神は、源義家とともに弟の義綱・義光も祀られています。
その源義光は武田氏、佐竹氏の先祖となるそうです。
スタンプの日の丸扇は「佐竹扇」とも呼ばれているので、その繋がりかもしれません。
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▼神社の最寄駅、というより神社裏の崖下がJR京浜東北線「上中里駅」になっていますが、利用したことのない駅です。
神社前の本郷通りの地下は東京メトロ南北線が走っていて「西ヶ原駅」も近くにありますが、利用したことのない駅です。
▼そんな無知な地域に「平塚」です。無知でも神奈川の平塚と混同してはいません。
▼平塚は地名ではないようです。神社のHPからの抜粋引用です。
平塚神社の創立は平安後期元永年中といわれています。八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜されました。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守としました。塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれました。さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願いました。
なるほどです! 平塚は「平らな塚」だったのです。神奈川の平塚も同じかもしれませんが、なぜか納得!
▼神社の歴史は古いので当然「江戸名所図会」に載っています。
図会の右上に「平塚明神社 鎧塚 別当城官寺」、また左には「此辺すべて平塚の城跡なり」の文字が読めます。
かつての城は跡だけになり、江戸時代には神社から長い参道が延びているのが描かれています。
▼その長い参道は現在も残されているものの左右は駐車場にされてしまっています。
▼長い参道の半ばで車の姿は消えて、ホッとします。
▼社殿はコジンマリとしてますが、バックに緑を従え、寺のお堂のようで素晴らしい姿をしています。しかし祀られている武将たちには少々窮屈かもしれません。
▼神となった武将たちへの訪問者に睨みを効かせる用心棒は軟弱ではありません。
▼荒ぶれた岩を這い上がってこなければ武将にはなれません。サァ、登れ!
▼東京の「平塚神社」です。
かつてはこの地に豊島氏の「平塚城」があったものの、関東管領 上杉のもと、太田道灌が落城せしめたと伝わります。
平安時代後期から戦国時代の荒波を乗り越え、江戸時代の安定期から、明治の神仏分離の嵐、さらに昭和の戦火から令和に至るまで歴史を見つめてきた神社です。
▼そんな未来に続く神社の空は、今、このひと時は 平塚、いや「平和」です。
▼平塚神社へのアクセスはいろいろありますが、参拝前、参拝後のどちらかで、絶対ここに寄り道しましょう!
▼神社前の道案内にも出ています。
▼現在は国の名勝に指定されている「旧古河庭園」です。
歴史は平塚神社ほどではないですが、同じく明治から現代まで激動の時代をくぐり抜けてきて建ちづけている元古河財閥の邸宅です。
バラ園でも有名ですが、和と洋の異なる二つの庭は、どの季節に訪れてもその景観に魅了されるはずです。
神社も庭園も深い歴史を持っていますが、その全容を知ったところでスグ忘れます。
それでイイと思います。イイというか、許されるのです。
凡人は知を求めても、知を貯蓄できないことを知らされます。
この庭園には神社参拝で体感した空気感とは全く異なり、神ではなく人の息吹が感じられるはずです。
▼平塚神社から少し王子よりの神社です。