京都を続けます。
▼八葉山 安養寺の御朱印です。(浄土宗・京都市中京区東側町新京極通蛸薬師上る)
右上の朱印は「東洛六阿弥陀 第五番」でしょうか?「京都六阿弥陀佛」です。
平成?年か 分からないほど、ニジミが横に走っていますが31年です。
書置きでした。
しかし、シッカリした用紙に墨書きと朱印です。
大マンゾクです。
いつも書いていますがワタシは書置きで、何ら構わないのです。
寺社は多忙なのですから・・・。そして朱印帳に直書きが絶対でもないので・・・。
しかし最近は印刷もしくはプリントの書置きの多さにガッカリしています。
プリント・印刷はNO!
そこはゼッタイに譲れません!
プリント・印刷の朱印を平気で授与する寺社は、その薄い用紙の中に朱印と、それを求める、集める人たちに対する「ココロガマエ」が透けて見えてしまいます。
もちろんアリガタく、黙っていただいてきますが・・・。
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河原町通りから東に、蛸薬師通りに入ると寺町通りに突きあたります。
そこの繁華な地域の周辺には小さな寺社が ひしめいています。
名前の通り、まさに「寺町」なのです。朱印収集者にはダイヤモンドのようにキラキラ輝いてる街です。
▼安養寺です。左手前のベージュ色の建物は京都らしく装っているトイレですが、その後方全体が寺の建物のようです。
▼門はオープンなイメージ。しかし蛸薬師のように開けっぴろげではありません。
京都の記事を続けるわけですが、ヘソマガリなので実にマイナーな寺の記事になります。
小さい寺が好きなので仕方ないのです。
なぜ小さい寺が好き?
その都度、500円以上の拝観料を採られる大きく、気取った寺がイヤなのですが、ボンビー故の理由です。
ここは浄土宗の寺ですが「安養寺」という名称の寺は、京都周辺だけでも10寺以上あるから、全国的には一番多い名称ではないかと思われるくらいの数があります。
東京にもいくつかあり、ワタシも訪問しています。
「安養」というのは「安養浄土」の略らしい。名称からして浄土宗専用の寺名かと思いきや、真宗、曹洞宗、真言宗、臨済宗などなど、宗派に限定されずオールマイティに利用される名称のようだ。
「さかれんげ」とい呼ばれる通称を持つ、この寺の起こりは1018年で、1580年頃にこの地に移されたという英語表記の高札もあるけど、寺の門をくぐる人は少ない。
そうです! こんなに立地条件が良いのに・・・です。
門をくぐっても、ここまで掲載した写真以上に見るべきものがないから、みんなチョッと入って、すぐ出て行きます。
▼朱印収集人は、そんなに簡単に帰るわけにはいきません。階段があるから上がって振り返ります。一般の観光客は絶対に上がらない?!
▼上った先の2階部分のここが本堂でしょうが、通路は狭く、こんな写真しか撮れません。扉も開きませんが、浄土宗だから本尊は阿弥陀如来を脳裏に描きながら、とりあえず手を合わせます。
安養寺は
「本尊の阿弥陀如来の蓮華の台座がさかさまになっているところから、倒蓮華寺(さかれんげ)と呼ばれている」そうですが、扉は閉まっているので見られません。
塔婆、ローソク、朱印の「おネダン」と→ が記された貼紙があります。
▼案内にあった→の方向に行ってみます。階段を降りると、正面はほとんど民家です。
ここには何の案内もなく静かです。
ゴシュラー初心者は、ここで引き返したくなります。
▼しかし勇気を持って扉をあけてください。何も失うものはありません。
そして、運良く住職に朱印記帳していただけるかもしれません。
そうでなければ、気さくな おかぁさんが「書置きでよかったら・・・」という言葉と一緒に、由緒書きや他の印刷物もいただけます。
小さな寺は予備知識なしに訪れると、朱印をいただくだけ全く記憶に残らない寺になってしまう。
寺を理解する上では、少しだけでも事前知識を得て訪問した方が良いようです。
門前でスマホをググッてみるとか、でも構わない。
▼さてさて、繁華の街にありながら、訪問客の1組はヒヤカシ、もう一人はゴシュラーの2組しか出会わなかった空いた寺を出ると、ある店の前に地獄のような行列ができていました。
上の写真から店舗を取り巻くように時計回りに気の遠くなるような行列ができていました。混んでいると言うコトバどころではありませんが、店内に入れる人数を制限してるようです。
koéでした。
昨年、東京渋谷に「Hotel koé」というワタシには摩訶不思議なホテルがOPENしました。
そのシンセキでしょうか?
koé donutsの1号店のようです。それも、この日、3月21日のOPEN ! でした。
▼御朱印同様 ほとんどが女性客です。
建築家の隈研吾や、名のあるイラストレータなどが携わっているkoéです。
地獄のような列ができることに納得です! 京都人もエゲツない行列が好きなようです。
▼こんな店内とドーナツの写真を見せられたら、極楽を味わいたく、地獄の行列に参加しても買わずにいられません!
「御朱印は次の機会にして、ドーナツに並びます!」という女子がいても、やむを得ません!
南無阿弥陀仏! 南無阿弥怒夏!
(ナムアミダブツ、ナムアミドナツ、と読んでね!)
どんなに人々が行列を作ってもkoéは、100年も存在しないかもしれません。
しかし、安養寺はおそらく100年後も存在しているでしょう。
空いている寺に極楽を探しに訪れるか、
極楽を得るため地獄の行列に参加する、しないか? 価値は人それぞれ! どちらも正解? でしょうね。