▼豊山 長谷寺 西国第八番の御朱印です。(真言宗豊山派・桜井市初瀬)
長谷寺は複数の札所となっていますので、西国三十三所のほかにいくつかの御朱印がいただけます。現在は受付に丁寧な御朱印の種類案内が出されているようです。
▼同、御詠歌。
いくたびいも まいる心は 初瀬寺
山も誓いも深き谷川
御詠歌は「長谷寺」ではなく「初瀬寺」としています。どちらも読みは「はせでら」です。
寺のある地名の「初瀬」は古くは「泊瀬」とも表記したそうです。
「初瀬寺」がいつから「長谷寺」になったのか分かりません。
でも寺のある土地は大和川に沿って長い谷になっていることが空撮写真で確認できます。御詠歌の「深き谷川」は現在の大和川を指しているのでしょう。
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近鉄大阪線の「長谷寺駅」から歩くと1.5kmくらいあるので、15分〜20分ほどかかるかもしれませんが、参道には軒先の低い商店や古い建物のある奈良らしい風情を感じられ退屈しません。
長谷寺に近づいて参道が左に90度折れる手前に西国三十三所の番外札所「法起院」があります。
「法起院」 を過ぎて左折すると、参道は一気にみやげ物屋などで賑やかになります。
焼きよもぎ餅を一つ買って頬張りながら歩くと、全部食べきらないうちに寺に到着してしまいます。
総本山「長谷寺」は十一面観音を本尊としますが、他には有名な鎌倉の「長谷寺」をはじめ、同じ本尊で同名の寺は240寺ほどあるそうです。
坂東三十三観音霊場には、ややこしいことに「長谷寺」は3つあって、それぞれ鎌倉の「長谷観音」、厚木の「飯山観音」、高崎の「白岩観音」と通称があります。
3寺とも寺名表記は「長谷寺」ですが、高崎の「白岩観音」だけは「ちょうこくじ」と音読みです。
もともと寺名は音読みが多いので、本来の読みは音読みなのかもしれません。
しかし、ここの「長谷寺」は「初瀬寺」とも呼ばれていたのですから、もう音読みも訓読みも訳わからなくなります。
「ちょうこくじ」と言うと、東京には「長国寺」という寺もありホント、寺の名前には混乱させられます。
ともかく、ここは長谷寺の総本山です。
奈良にあるから創建は当たり前に奈良時代ですが、詳細は不明のようです。1300年の前のことですので確かな事は少ないはず。
創建「・・・年」と言い切るか、「不明」とするかは紙一重の違いのように思います。
何はともあれ「源氏物語」や「枕草子」にも、名称が出てくる寺はそんなには多くありません。
寺の名前が出てくる以上、清少納言や紫式部も、この寺を訪れているのでしょうか?
▼柱の諸天神祇在(しょてんじんぎざい)の文字は神仏が「ナカヨシ」の意味?
彼女らが参拝した時代には、この「登廊」は無かったかもしれません。
しかし、花の寺としても有名なこの寺は「登廊」でも名が高く、季節ならば登廊の両サイドに牡丹が咲き、花の寺としての面目躍如とするそうです。
「登廊」はいくつかの寺院で見かけられますが、印象的なのは福井の永平寺と、東大寺の二月堂でしょうか。
▼その永平寺と二月堂の写真を2枚並べてみます。
どれも傾斜のある回廊なので似ていて当たり前です。頭の中の記憶はグジャグジャになります。
長谷寺の回廊は、提灯のような形をした照明器具が特徴のようです。
緩やかな「登廊」を直角に2回曲がりながら登り切ると本堂にたどり着きます。
本堂の周りをグルグル回りながら正面に来るたびに本尊に手を合わせ、またグルグル回る若い男性がいました。
何かの願掛けをされているのでしょうか? バターになってしまうんじゃないかと思うほどグルグルでしたが、心配には及ばないようでした。
見上げる本尊 十一面観音菩薩像は二体刻まれたそうです。
そのうちの一体が海に流され、たどり着いた地が鎌倉の海岸。その像を本尊として鎌倉の「長谷寺」も賑わいを呈しています。
海辺や川岸に流れ着いて救い上げられた観音像は数多く、浅草寺の観音様も隅田川で引き上げられています。
たびたび聞く言い伝えですが、観音像を2体刻むまでは分かるのですが、そのうちの一体を、どんな意図で海や河の水に流すのがわかりません。
▼懸造りの本堂舞台は平安時代から変わらない山と谷の清々しい眺めが待っています。