京都を続けます。(いちいち、ウルサイ!?)
▼同じく薬師さんだから「醫王殿」でしょうか?
左上の印「洛陽二十一大寺随一」は、どう言う意味なんでしょうか?
受付で2、3人控えていた書き手さんに聞けば良いものを・・・。
▼同日にいただいた「小野篁卿」の書置き御朱印。
偶然「寺宝展」を開催中でした。せっかくだから600円と引き換えに拝観。
受付に、色紙金泥文字の書置きがズラリと展示されていたが、大きな興味はないので1体だけいただいてきました。
興味ないと言うか、ネット上で見飽きた紺紙・金泥文字。
まぁ、1体くらい持っていてもイイかな・・、と言う事でした。
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▼左の石柱に「小野篁卿舊跡」。知識がなければ一般人は、ほとんど読めない。
当然ワタシも読めなかった。読めるようになったのはここ数年。
もとより小野篁という人物の知識があれば別ですが、「篁」を「たかむら」なんて、どうやって読めと言うの?
さらに「舊跡」、「旧跡」だったら誰でも読めたのに。
去年この字を使っていた寺に出会った。
▼前回記事同様、ここも「六道の辻」。だが西福寺とは、石碑の「出来」が違う。格差です。前回記事の「六道の辻」の石柱は道路の角に建てられていたから、行政側の県・市・区などのいずれかが建てたものかと勝手に判断してた。
勘違いだった。西福寺角の石柱も上の写真、珍皇寺の「六道の辻」もそれぞれ自寺の名称が刻まれています。
それぞれの寺が設置したものです。だから私的なモノです。
平安時代からのことですから「辻」は「ここら辺」としか特定できないでしょうから、どちらも間違いではないのでしょう。
だから西福寺から珍皇寺まで直線で200mも離れていない。
▼精霊を迎えるために撞く「迎鐘(むかえがね)」だそうです。
緑の格子窓の下についている「ヘソ」のような結び綱を引っ張ると、内部は見えませんが、くぐもったその鐘の音が「十萬億土」の冥土にまで届く言われています。
「十萬億土」が何光年なのか分かりませんが、鐘の音に乗っていければ冥土を訪れられるかもしれません。
▼ここに閻魔さん、タカムラさん、空海さんがいますが、撮影禁止となっています。
▼普段はどこもかしこも閉まっているようですが、この日は「薬師堂」もOPEN。
でも、建物は新しいから収蔵庫にもなっているのかしら。
▼地蔵たちは、さして広くない境内に大きなスペースを得て、一番ノンビリしてます。
▼3月21日、祝日なのに夕方近くは群がる「ゴシュラー」は見当たりません。時間的なせい? それとも数年前から授与されてる限定御朱印に飽きた? 前述したようにワタシは、いただいてもいないのに、いささか飽きています。
▼「三界万霊十方至聖」?
キラキラ御朱印だけに興味のある人は、こんなのはドーデモ良いですよね!
料金を支払い、御朱印の注文をして、本堂内に展開されてる「寺宝展」に進みます。
が、当然ここもすべて撮禁。
▼内容はコンナンでした。
www.rokudou.jp前回記事、西福寺さんの「絵解き」イベントがイメージできるコワイ曼荼羅たちの絵巻物が紐解かれていました。
▼撮禁なのに、なぜかSDカードに記録されてた凛々しくすばらしい「毘沙門天立像」。
北の方角を守る彼は、きっと北から強力な磁力を操り、ワタシのカメラのシャッターを押した。そうです、そうとしか考えられない?! 撮禁なのだから!!
▼水琴窟の音色も同意してくれると思いきや、黄泉の国のVIPになれそうに聞こえる響きは、冷たく静かで小さい。
▼庭は明るく綺麗に整えられている。しかし・・・
▼ここから先はタカムラの「ヤミ」です。
ちょっと待って・・・・・・
なぜか、この記事を書くためキーを叩いていたら、急に気分が悪くなりました。
・・・・・・・
気分悪いと言うか「酔い」のようなキショクです。
飛んでるような、漂ってるような、酔ってるような、何とも言えない気分!
・・・・・・・
もう、キーも叩けなくなったワタシはどこにいるのでしょう
この後の写真詳細は、皆さんの想像におまかせ・・・。
▼「冥土通いの井戸」
▼小野篁は夜は閻魔をサポートしに毎夜この井戸から冥土に出入りしていた?
▼この奥にさらにに進むと・・
▼「黄泉がえり之井」境内端の狭い所にあります。
▼井戸内部はライトで照らされていますが、黄泉の国は相当深く、水底が見えません。
小野篁関連だけにかかわらず見所の多い寺ですが、普段はヒッソリとしています。
▼特別展にもかかわらず、早くも4時13分に寺の門は閉ざされました。ルール違反、撮禁犯しのワタシも、門の外に閉め出されます。おユルシを・・・。