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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

アクセス数公開(2022.01)〜今年の「ボーナスアクセス数」は変則的、持続可能なブログを目指す

本ブログを開設して5回目の年末年始を迎えています。

 

そして元日を挟んだ数日はアクセス数が伸び、ここ2、3年はそれが顕著でした。

普段は1日のアクセ数を500〜1000の間でウロウロしているのに

この時期は元日を頂点として、2000〜3000を超えるアクセス数となります。

 

なぜこの時期だけアクセス数が伸びるのか原因はいろいろ考えられますが、

本ブログでは「はてなブログ」運営者側からのボーナスと思うようにしています。

 

しかし、2021年から2022年の元日前後のアクセス数字は2000にも届きませんでした。

ボーナスも半減したのかと思いました。

2021〜2022年年末年始のアクセス数

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その代わりと言うか、正月5日は本ブログ開設以来の初の5000超えとなっていました。

 

▼何がどう影響した? アクセス先ページの50%以上を占めていたのはこの記事でした。

こういう突出したアクセス数の経験がないので、意味わかりません。

 

「ボーナスアクセス数」と言う表現は本ブログの勝手な判断としても、今回はかなり変則的です。

 

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1年前、

2020〜2021年、年末年始のアクセス数。

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過去の「ボーナスアクセス数」から見れば、1年前のこのアクセス数の方が理解しやすい数字となっています。

 

コロナなどの感染症に大きな影響受けることはあるでしょうが、日々のアクセス数はSNSやマスコミなどのキーワードの影響が最も大きいのでしょう。

しかし、本ブログは Insta は利用せず、Twitter もホンの時々の投稿で「イイネ」もつきません。

 

ブログの投稿だけで精一杯で、ほかのSNSに費やす時間がありません。

2021年は、200記事以上投稿しています。

 

2017年に始めたブログは自己満足以外の何物でもありませんでした。

 

自己満足は大きく変化していないものの、

読者寄り、少しでも利用価値のある記事を目指そうとすると、自己満足とは対局的中な内容になってしまいます。

記事を書き続けることが負担になってくるのです。

 

それで、ほかの多くのブログ同様「自然消滅」「閉鎖」という結末にしては、多くはない読者に申し訳がありません。

 

2022年、様々な事情により投稿数は減るでしょうが「持続可能」な BLOG を目指します。

 

過去記事をリライトしながら、1週間に一つか、二つの新しい記事でも良いでしょう。

 

ということで皆さん、本年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

wave2017.hatenablog.com

駒形 諏訪神社の御朱印(東京・台東区)〜小さな神社の 大きな御朱印

【21.07.03-rewrite 22.01.07】

 ▼駒形 諏訪神社御朱印です。(東京都台東区駒形1-4)

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駒形 諏訪神社御朱印(2022年)。

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数種類あった書置きから干支をあしらった御朱印をいただきました。

 

駒形 諏訪神社御朱印(2021年)。
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夏菜の訪問なのでこちらの涼しそうな御朱印をいただきました。

和紙にキチンと墨書きされ、朱印された「正しい」書置きでした。

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▼参拝時は気づきませんでしたが、手水舎の上の授与品案内にも御朱印が掲載されていました。

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▼神社はあの有名な「駒形どぜう」 と「バンダイ」本社ビルの隣でした。

 

▼これまでも数えきれないほど何度も車で走る「江戸通り」です。

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最近、おしゃれなcaffeが増えた街です。「白か黒か」は乱立気味の食パンやさん。

 

▼そして通り沿いにデ〜ンと建つ「バンダイ」本社ビルです。

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▼ビル下に歴代の人気者達が並んでいます。

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▼永遠のヒーローたちが胸を張っています。

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▼その隣は「駒形どぜう」。

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▼これまで週末や休日は席の空きを待つ人がベンチに座り、列を作りましたが、2021年の今はいません。

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ここは癖のないポピュラーな味で何度も利用していますが、

外国からの訪問者が多く、あまりにも観光化された店に少し足が遠のいています。

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そんな客が戻るのはいつになるのか先の見えない出口です。

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▼「駒形どぜう」が弁当を売り出すなど考えられないことでした。

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▼さて「駒形諏訪神社」はバンダイから1軒おいた隣に鎮座です。

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▼ビルとビルの間で窮屈そうな境内は木々に覆われ、これまで存在を気づかさられなかった、知らなかった神社です。

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▼鳥居にかかる額のグリーンは珍しい。

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▼境内に足を踏み入れ、すぐ右にある小さな祠は・・・

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▼「稲荷社」でした。「おいなりさん」の名にふさわしい姿です。

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▼鳥居から距離がないので、社殿を撮ろうとするとこんな状態になります。

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「東京都神社庁」サイトからの引用です。

承久の乱(1221年)の後、信濃国諏訪郡小日村の神主が、諏訪大社(上社)の御分霊を当地に勧請したと伝えられている。また、天正年間には神主が数代に亘って奉仕したと伝えられ、その後、浅草寺の修善院が別当として奉仕して来たという。

 

▼神紋は「諏訪梶」と言って、諏訪大社と同じものだそうです。

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全国に数多ある「諏訪町」ですが、鎮座地の駒形もかつては「諏訪町」でした。

諏訪神社諏訪大明神、おすわさまがある町だから「諏訪町」、単純です。

新宿諏訪神社」の鎮座地も、かつては諏訪町でした。

 

現在より行動半径が広くなかった江戸時代の人々には「諏訪町」がいくつあっても不便はなく、自分の知っている近くの、唯一の「諏訪町」でしかなかったのでしょう。

 

そして「駒形諏訪神社」ではなく
諏訪神社」「諏訪大明神」「おすわさん」だったのでしょう。

 

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神社は少なくとも300年間は変わらずに現在地に鎮座し続けてきたとされますが、
この狛犬たちも同じような時間を過ごしてきたのかもしれません。

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▼社殿左奥に社務所です。

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中の様子が全くわからない扉に「ピンポ〜ン」するのは勇気のいることですが、
対応は極めて親切。

しかし、お留守の時もあるそうです。

 

こんな小さな神社が御朱印を通して人々に知られ、参拝者も増えることはとても良い事のように思います。

小さな神社の「大きな御朱印」になれば幸いでしょう。

猿江神社の御朱印(江東区) 〜「のらくろ」も戸惑う「猿江のお稲荷さん」の迷宮

【19.06.22-rewrite 22.01.05】

猿江神社御朱印です。(東京都江東区猿2-2-17)

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猿江神社 2022年正月限定御朱印f:id:wave0131:20220106135413j:plain

▼2022年正月の御朱印は、書置きをはじめ社殿裏に鎮座の「北向稲荷神社」など数種類が案内されていました。

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猿江神社御朱印(2014年)。
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猿江神社御朱印(2019年)。

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「深川」の朱文字の尾が5年間ですっかり伸びました。

 

猿江神社 2019年夏詣の御朱印。通常御朱印と中央の神社印が異ります。f:id:wave0131:20190621170648j:plain

夏の海を表しているのでしょうか?

 

猿江神社御朱印帳。f:id:wave0131:20190621170654j:plain御朱印2体と朱印帳で3000円の初穂料。

センベロ3回分の強気の数字に、おナカがいっぱいになりました。

▼とてもとても、これ以上の御朱印をいただく余力はありません。

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猿江神社へは都営地下鉄新宿線住吉駅」が一番近いのですが、JR「錦糸町駅」からも歩ける距離の1km強です。

 

東京・江東区の主な街と言えば亀戸とか門前仲町です。東京の下町を代表する、一般的に言うところの「深川」です。

しかし商業施設、娯楽施設が林立する巨大観光スポット「お台場」のほとんども、また築地から引っ越した豊洲市場江東区です。もはや江東区を代表する街はお台場とか豊洲かもしれません。

そんな臨海部にはタワーマンションも林立していますが、猿江神社のある、いわゆる深川地区にもタワマンは進出しています。

f:id:wave0131:20190621170711j:plain▼タワマンの足元には昭和天皇から賜った広大な「猿江恩賜公園」の緑が広がっています。f:id:wave0131:20190621170811j:plain▼江戸時代には「材木蔵」があったそうです。f:id:wave0131:20190621170815j:plain当時はこの辺まで入江になっていたようで、幕府公認の貯木場だったとか。

その入江の「」の字と、この地で亡くなった「猿藤太」という平安時代の武将名の「」の字を組み合わせて「猿江」と呼ぶようになったそうです。f:id:wave0131:20190621170823j:plain

スカイツリーも見え隠れする広く深い森は、近隣の人たちの絶好の憩いの場です。f:id:wave0131:20190621170707j:plainなぜ公園の話を持ち出すか?

じつは猿江神社は、近くに有料パーキングはありますが、神社内には駐車場はありません。

そこで猿江公園を横断している新大橋通り沿いのコインパーキングを利用します。公園近くにだけパーキングスペースがたくさん設けられています。

意地汚いことに最近の繁華街では日曜でもパーキングメータは仕事をしています。

しかし、ここのパーキングメータの日曜は安息日で作動していません。繁華街のパーキングメーターも悔い改めるべきです。

 

▼神社までは徒歩5、6分です。御朱印1、2体分の駐車料金も度々ですとバカにできない事情を背負って歩きます。

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裏参道から鳥居のある正面側に回ってみます。

▼2022年元日には大勢の参詣者が列を作っていました。

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▼夏はこんな様子。

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▼数組の参拝者の姿が見られます。

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▼時間を遡って2014年の境内です。桜が咲き残っているものの、いくらか陰気に感じられた境内で、他の参拝者とは出会いませんでした。

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▼2022年元日です。

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▼手水舎を生まれ変わって、ほぼ「新品」です。

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コンクリート造りの社殿としては最も古いそうです。といっても昭和6年の再建だそうで、東京大空襲にも奇跡的にその難を逃れたと神社のHPに詳しいです。

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御朱印がいただける境内社の「藤森稲荷神社」。猿江稲荷ではありません。

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神社のHPによると、戦後「猿江稲荷神社」から改称して「猿江神社」となったそうですが、なぜ「稲荷」の文字が外されたのでしょう?

なのに「猿江のお稲荷さん」として親しまれているそうです。

 

▼こちらも5年の時間差の中で生まれたようです。カワイイ女子ウケ顔の「神猿」の文字を読んで、バチ当たりなへそ曲がりは「深淵」の文字を連想します。

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正しくは「まさる」と読むとか。「魔が去る」そうで、神社でよく見られる何でもありのダジャレです。

本来、この神社の歴史に動物のにはエンがないように思われますが・・・。神社の深遠な考えがあるかもしれません。

 

▼「5年振りに参拝させていただきましたが、参拝者も多く、随分変わりましたね」

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と、受付担当の男性に声かけ。大きな反応はありませんでした。

ダメだ!

どのようにも取れる「随分変わりましたね」じゃなく「随分親しみやすくなりましたね」と言うべきだったかもしれません。ツイ本音が出てしまいました。

 

▼背後に立つマンションは社務所と一体になっています。都心だからこそで、人口の少ない地方の神社では、いくら敷地が広くてもマンションは建てられません。

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地方神社の口からはヨダレが落ちそうです。

▼ナナメな見方ばかりしていると「出て行け」と不本意にも叱られそうです。

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もとより、このブログは当初キラワレ者になろうと大ソレた考えで始めた。見事に初心貫徹ならずクジケ去ったが、時折正体が出る。

▼ところで、神社本殿の裏に「北向稲荷大明神」。

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なぜか神社本殿と背中合わせです。そして明らかに神社敷地内ながら金網のフェンスでシッカリ区切られています。

 

▼そしてこの猿江神社敷地内にある「稲荷大明神」が道路を挟んで向かい合っているのが、やはり「稲荷大明神」。

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▼「猿江稲荷社」と書かれています。

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猿江神社のHPで述べられている「猿江のお稲荷さん」は、もしかしたらこちらが本家?

 

▼2つの「稲荷大明神」は、道路で分断されてるだけで本来一つのもの、現在は世田谷にある「妙寿寺」が管理しているようです。

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今もお互い知らんぷりしなければならない原因は明治政府にあるかもしれません。

中合わせでなく、神社と寺が横並びに、お互いオープンに敷地繋がりである方が参拝者にはわかりやすいのですが・・・?

この関係はどこでも見られます。一番に印象深いのは四谷にある「田宮神社」と「陽運寺」です。

中合わせの猿江神社と大明神の事情とは異なりますが、四谷では、あたあかも対立するようお互い正面で向かい合っていて、お互い認め合っていないようです。

 

御朱印収集者、いや一般参拝者も戸惑いながらも両者に手を合わせています。

神社と寺の迷宮はワタシたちと神仏が望まない、知れない、表沙汰にならない部分があるようです。

 

▼「猿江稲荷社」の隣には名称からして浄土宗とわかる「重願寺」があります。

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御朱印もいただけるようですので、機会を見つけて参拝することにしましょう。

 

▼そして、その「重願寺」の先に摩利支天を祀る「日先神社」。

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100mも隔てていない中を歩くと、4つもの寺社に出会う興味深い地区です。

さらに、神社から西に脚を運ぶと「のらくろ」に会えます。

f:id:wave0131:20190621210730j:plain google map で「のらくろロード」を探せばすぐ出ます。

「アニメ」という言葉がなかった時代、誰もが知っていたキャラクターです。

 

深川の迷宮は深いようです。

 

wave2017.hatenablog.com

四国八十八箇所霊場の御朱印 〜四国遍路、ほんのサワリ経験の記録【後編】

四国八十八箇所霊場御朱印【前編】に続き後編です。

四国八十八箇所霊場 51番石手寺」の御朱印f:id:wave0131:20211222175251j:plain

四国八十八箇所霊場 75番善通寺」の御朱印f:id:wave0131:20211222175255j:plain

四国八十八箇所霊場 79番高照院」の御朱印f:id:wave0131:20211222175258j:plain

四国八十八箇所霊場 84番屋島寺」の御朱印f:id:wave0131:20211222175302j:plain

 

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51番札所 熊野山石手寺」(真言宗豊山派愛媛県松山市石手2-9-21)

 

【前編】で1・2・3番を記事にした徳島から、いきなり松山へ飛びます。

▼51番札所 石手寺は、あの「道後温泉」からも近い位置にあります。

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▼1318年建立の「仁王門」は国宝に指定されています。

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道後温泉に近く、国宝や重文もあることから遍路さんの他にも観光客も多く見かけられました。

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▼本尊薬師如来を祀る「薬師堂」が石手寺の重文「本堂」でもあります。

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石手寺の創建も奈良時代で当初は「安養寺」と称していたそうですが、

892年、当地の領主 河野氏に生まれた子どもが手に何かを握って開こうとしないので、

この寺で祈願すると固く握られていた手は開き、

衛門三郎」と書かれた石が出てきたという、衛門三郎再来の伝説によって「安養寺」から「石手寺」と改められたと伝わります。

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遍路の元祖と言われる衛門三郎については長くなりますので、リンクのwikiを参照ください。

その内容は、教訓めいたおとぎ話のような良く出来た伝承ですが、

「石手」というと仏教に関わる言葉でもなさそうなので、衛門三郎の伝説とは異なっているとしても、何らかの形で「石」と「手」にまつわる事柄に影響されて改称されたのでしょう。

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▼「大師堂」。

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石手寺の参道は回廊式にいるなど、ゆっくり見て回ると時間はすぐ過ぎてしまいます。

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道後温泉関連記事。

 

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71番札所 五岳山善通寺」(真言宗善通寺派愛媛県松山市石手2-9-21)

空海の出身地である讃岐に建つ「善通寺」は市名にもなっています。

もちろんJR土讃線にも「善通寺駅」があります。

 

善通寺の創建は平安初期の807年で、空海の父の開基と伝わっています。

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広い境内は空海が807年に建立したと伝わる創建地である東院(伽藍)と、

空海の生誕地とされる西院(誕生院)に分かれています。 

 

▼東院伽藍の正門「南大門」には「弘法大師 御誕生所」の看板が掲げられています。

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▼高さ43mの「五重塔」は焼失と再建を繰り返し、4代目は明治に入った1902年の完成。

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▼本堂である「金堂」は少し古く1699年の再建。

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▼境内が綺麗に整えられているせいか、何となく歴史を感じさせません。

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▼東院から西院へ繋がる「仁王門」の扁額は「遍照金剛閣」。

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▼仁王門は明治の再建ですが、仁王像は南北朝時代の建立。

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▼大師信仰の聖地とも言える「御影堂」は1831年の建立で、昭和に改修されています。

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地下で約100mの「戒壇めぐり」ができるそうです。

 

不動明王を祀る「護摩」。

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▼樹齢1000年以上と言われる楠。創建当時からの大木かもしれません。

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79番 金華山高照院天皇寺真言宗御室派香川県坂出市西庄町天皇1713ー2)

▼どうしたことか高照院の写真が1枚も見当たりませんので wiki から1枚お借りしました。f:id:wave0131:20211227175653j:plain

「三輪鳥居」の扁額は「崇徳天皇」。

崇徳上皇が祀られていた白峰宮に隣接し、白峰宮崇徳天皇社であった時、その別当寺であったことから「天皇寺」と呼ばれていたそうです。

 

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▼「屋島古戦場」にやってきました。

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那須与一の扇の的などの源平合戦で有名な古戦場です。

 

▼幼い頃、修学旅行での「屋島」の記憶です。

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屋島」は台形! その記憶に残る絵はどこから見たものでしょう?

 

▼「台形」は幻影だったのか、今回はどこにも見つかりませんでした。

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84番  南面山屋島寺」。(真言宗御室派香川県高松市屋島東町1808)

屋島寺は日本の律宗開祖の鑑真が754年、朝廷に招かれ奈良に向かう途中に当地を訪れて開創したと伝わります。

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本堂などは、どこか沖縄や東南アジアの建物を彷彿させられます。

当時の海外文化が日本の都へ伝わるルート、瀬戸内海に位置する寺院であれば当然かもしれません。

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3日間だけの短い四国ツアーでしたので、寺社を訪問できた数はわずか。

▼最後のミーハー観光地は「瀬戸大橋」。

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▼そして今回の四国旅、最後の「ぶっかけうどん」。

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ショウガとレモンをアクセントに冷たい、歯ごたえのあるうどんを初夏の季節にいただくのはサイコーです。

 

やはり「秋刀魚は目黒」「うなぎは成田」「うどんは讃岐」で、間違いありません。

四国八十八箇所霊場の御朱印 〜四国遍路、ほんのサワリ経験の記録【前編】

四国を訪問した時期はちょうど四国霊場開創1200年でした。

▼開創千二百年記念「四国霊場八十八ヶ所 奉納経帳」です。f:id:wave0131:20211222175235j:plain

納経帳の内容は、以下のように見開きで1寺。

片ページに霊場番号・寺名・イラスト、対向ページに各寺のご詠歌が印刷されていました。

このスタイルで88箇所分が1冊になっているので分厚く、表紙も豪華。

2014年の購入でしたが2000円。

2021年現在の平均的朱印帳の価格と比較すると超破格でしたが、当時は朱印帳に2000円を支払うのは初めての経験でした。

 

四国八十八箇所霊場 1番霊山寺」の御朱印

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各寺でイラストページに開創1200年の記念印、ご詠歌のページに御朱印と墨書きがいただけました。

 

四国八十八箇所霊場 2番極楽寺」の御朱印

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四国八十八箇所霊場 3番金泉寺」の御朱印f:id:wave0131:20211222175248j:plain

記念の納経帳が御朱印で埋まっているのは7札所だけ。

残り81札所が空欄となっていますが、これらが御朱印で埋まる日は来るのでしょうか?

一念発起しなければ無理でしょう。

 

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四国遍路はお大師様と「同行二人(どうぎょうににん)」と言われますが、

この時は現実の同行者がいて御朱印が主目的でない2泊3日の四国の旅でしたので、

四国八十八箇所霊場」のうち7ヶ所だけの参拝記録です。その前編。

 

以下、写真は現実の参拝順とは別に札所番号の正順での掲載です。

1番札所霊山寺」(高野山真言宗徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126)

四国遍路の全行程は約1460km、365里。

そして札所番号の順に巡拝する遍路は、ここが「発願の寺」。

「同行二人」の長い旅のスタートとなる寺です。

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仁王門前のお遍路姿のマネキンが、若い女性の姿だけに遍路が軽〜いに感じられます。

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軽く感じられるマネキンではありますが、

現代では四国遍路の目的そのものが本来の信仰に基づくものだけにとどまらず、

観光化や、自分を探す旅など、また方法も歩きから、自転車、車、バスなどと

多様な姿を見せていることから、四国遍路をガードの高い、壁の高いものと考えなくても良いという霊場会の方針かもしれません。

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札所1番のせいか、本格遍路を始めようとする人、観光客などが入り乱れています。

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1番札所 霊山寺では本尊の釈迦如来にご挨拶して、遍路スタートの心の準備と、遍路用品が整えられる寺です。

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▼遍路を始める方の奉納でしょうか?

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無数の灯篭が幻想的な雰囲気を醸し出していました。

 

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2番札所極楽寺」(高野山真言宗徳島県鳴門市大麻町桧ダンノ上12)

第2番 極楽寺奈良時代行基の開基と伝わります。

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もちろんここも空海の修行が言い伝えられています。四国遍路は空海の修行足跡をたどる道でもあるのでしょう。

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▼仁王門をくぐると、山に囲まれた明るくきれいな庭園が現れました。

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▼本堂への石段。

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弘法大師の手植えとされる「長命杉」は樹齢1200年とか。

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3番札所金泉寺」(高野山真言宗徳島県板野郡板野町大寺亀山下66)


金泉寺聖武天皇の勅願により行基の建立と伝わります。

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1・2・3番札所とも仁王門が建ち、記憶としては完全に整理できません。

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空海は当地の水不足解消のため井戸を掘り、霊水が湧出し「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、寺号も金泉寺と改称されたと伝わります。 

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▼本堂です。

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▼大師堂。

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▼1〜3番まで参拝してお腹が空いたら「ぶっかけ」です。

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当地は讃岐ではなく徳島ですが、やはりうどん屋さんはたくさんあります。

 

▼腹ごしらえしたら、この船に乗ってみます。

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▼GWの暖かい海風を切って、淡路島と鳴門市を結ぶ「大鳴門橋」に近づきます。

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▼他にも観光船が行き交っています。

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▼四国観光の王道「鳴門の渦潮」です。

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船上から渦潮が湧くのを見ていると、

京都に行って「金閣寺」を訪れ、少し気恥ずかしいような気持ちになるのと同じ感覚も湧いてきます。王道は、そんなものでしょう。

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それでも小型観光船に乗船していると、次々に湧き上がる渦潮を追いかけることに快感を覚えます。

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2000円前後の乗船遊覧料が高いか、安く感じられるか?

フトコロ勘定をする頭もグルグル

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▼【後編】へ続きます。

 

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