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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

「渭」の文字にユラユラ潜む歴史 〜青渭神社の御朱印(東京・調布市)

青渭神社御朱印です。(東京都調布市深大寺元町五丁目)f:id:wave0131:20200608172800j:plain

青渭神社御朱印(2013年)。

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令和元年にいただいた御朱印は、その6年前の平成25年と比較すると

延喜式内社調布」や「宮司之印」のスタンプ、朱印がなくなって、

墨書きも月日の漢数字以外は印刷になっていました。

 

チョッと、ザンネン!

 

もっとも「延喜式内社」については、多摩地域に青渭神社は3社あって、

そのうちのどれが「延喜式内社」か、確定されていないそうです。

 

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▼とても珍しい名称の「青渭神社」は深大寺のお隣さんです。

▼2013年の鳥居です。社頭は「式内 郷社」と彫られています。

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▼鳥居の額の文字は読み取れませんが、珍しい龍の彫刻が装飾されています。

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祭神が青渭大神と呼ばれる水神の繋がりから龍が彫られているのかもしれません。

創建は不明。

しかし延喜式の論社となっているのですから、千年は歴史があるということです。

 

▼2019年の鳥居は少し汚れが目立っています。

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撮影カメラが違うので、多分そのせいでしょう。

かもしれませんが、鳥居に限らず風雨にさらされる造築物は

常の手入れや化粧直しを怠ったら、土に還っていくことは間違いないでしょう。

 

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それを思うと、日本の場合の神社や寺は

言い知れぬ困難を乗り越えながらも、何百年、千年を越える年月を耐えてきた寺社が多いのは不思議といえば不思議なのです。

神仏を敬う、畏れるという単純な日本人の精神構造だけで、一千年の時間を維持し残されるものではないでしょう。

 

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青渭神社も、一言では言い現せられない日本人の特質が、

神社という形を現在まで維持できている一因かもしれません。

 

盲いたのかしら? と余計なことを思わせられる造形の「眼」です。

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もちろん、ワタシの眼より狛犬の眼の方が確かで広い視野を持っていることは、

これまでサンザン思い知らされていますが・・。

 

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青渭神社HPからの引用です。

往古は、社前に凡そ五町歩余の境内地があり、大池に滾々と湧き水あり、青波を湛えていた所から青波天神社とも称された。青渭・青波共に水の意であり、『渭』とは広遠に波立つ様を云い水面に打ち寄せる意で、水神様を祀った古社である。

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理解できたような、できないような引用内容ですが、

この地域で今よりもっと豊かな湧き水があったのでしょう。

もともとこの神社の別当寺だった深大寺に湧水があり、周辺に多くの蕎麦屋が昔からあることも納得できます。

「氵」の水が元で蕎麦が作られるようになり

その美味しさは人々の「胃」を満足させてきた歴史だけは確かでしょう。

 

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青渭神社のHPからの引用文内に「五町歩余の境内地」とあります。

かつての社地と言うことでしょうが「五町歩余」がどれほどの広さかは

農業従事者ならすぐ分かるかもしれませんが

おおよそ サッカーピッチ5面分ほどだそうです。

ボールを追いかけ駆けずり回るには広すぎです。

 

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狛犬ほどの探索眼を持たない身には、この神社でほかに撮影対象が見つかりません。

 

▼神社入口の道路ぎわに立つケヤキの大木まで戻ります。

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樹齢数百年、江戸名所図会にも紹介されている巨木ですが、まだまだ壮年だそうです。f:id:wave0131:20200608172813j:plain

しかし、何本もの支え木なしには自立できないようです。

▼何しろこの角度ですから。f:id:wave0131:20200608172809j:plain

うろが「ハート形」をしているので若いカップルに話題とか。

 

自然の造形はいろいろな形を創り出します。

狐の形をした枝や、根元は男根や女陰などもありますね。

どこもパワースポット呼ばわりされているようです。

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幕末に深大寺の火災により類焼した青渭神社ですが、このケヤキは無事に生き延びたそうです。

印内 八坂神社の御朱印(千葉・船橋市)〜手水舎、本堂、枝豆の正しさ

印内八坂神社御朱印です。(千葉県船橋市印内二丁目)f:id:wave0131:20200715164404j:plain


印内八坂神社疫病退散」の御朱印f:id:wave0131:20200715164320j:plain

▼「あまびえ」疫病退散のイラスト紙。f:id:wave0131:20200715140632j:plain

御朱印は神社前の道を東に歩き、交差点近くのこの理容店でいただきました。

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訪問時は幸いにも理容店に客はいませんでした。

丁寧に対応いただいた店主と少し世間話。優しそうな人柄があふれていました。

 

御朱印は地元の有名書道家の書によるものだそうですが、

残念なことに書置きで全て印刷物。

プロの書道家がボランティアで何百枚もの書置き御朱印を揮毫するとも思われないので、複製を許可されたことだけでも充分でしょう。

 

神社の祭礼の折には書道家自らの直書き御朱印がいただけるとか。

しかし歴史ある祭礼も残念なことに2020年は中止となっています。

 

八坂神社の鎮座地は「印内二丁目」。

三丁目まである「印内」ですが、

南に隣接するような位置に小さな面積の「印内町」もあります。

何でしょうか? 「印内」とは。

その地名は下関や佐久など、全国に数ヵ所あります。

同じ音で「」という地名も多くあり、千葉神社は「中央区院内」です。

」の地名も何らかの形で寺社との繋がり、関連がありそうな名称です。

 

▼由緒書きには江戸時代の疫病に苦しめられた村を救うため、1733年、京都八坂神社牛頭天王の分体を奉ったとあります。

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半年以上の期間、世界中の人々を苦しめ

ブレーキのかからない2年目の疫病の退散を願って牛頭天王を参拝しましょう。

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▼社標下部に「相馬郡藤谷講中」の文字が刻まれていました。

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福島の「相馬」ではなく、明治までは千葉・茨城にまたがっていた行政区分です。

この神社の隆盛期を記録する社号標です。

 

▼しかし「再建記念」の文字。

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なんと!

いつ失われたのか、社殿は2013年に再建されたものだそうです。

 

▼中門には「印内」の文字はどこにも見当たりません。単に「八坂神社」。

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富士塚に見るような火山岩らしき塊。

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2020.06.sat.の境内は静寂が支配していました。

2人の参拝者と遭遇しましたが、静謐な境内は乱されません。

 

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▼参道途中の「太子堂」は聖徳太子が祀られているはず。

ここに「八坂大神」が祀られる以前は寺だけでした。

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手水舎も再建同時期に造られたものなのでしょう。

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▼コロナ禍でも水も流れ、柄杓も用意されています。正しいと思います。

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牛頭天王」が見守り、強い味方のはずです。

 

手水舎をロックダウンしている寺社が多いのですが、

コロナ禍の今だからこそ、手水舎の御神水により「穢れ」を禊がなければ、

どこで清めれ、と言うのでしょう?

半ばジョーダン、半ば本気ですが・・。

 

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▼拝殿扁額には「印内」の文字がありました。

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▼拝殿の前の新しい狛犬とは別に、拝殿裏側の本殿前には年老いてなお壮健な狛犬

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▼苔むした狛犬は、覆屋上部はあるもののほぼ剥き出しの本殿を守っていました。

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本殿を完全に覆ってしまうより、この方法が正しいのでしょう。

 

▼本殿扁額の「八坂神社」は素晴らしい書体!

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▼そしてこの神社の産みの親でもある光明寺

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光明寺は神社社殿と仲良く右隣に本堂があります。正しいと思います。

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神社と寺は「」で良いのです。

同じ敷地内で同じ扱い方をされるのが好ましいのです。

 

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御朱印をいただくため移動する途中、農家らしき家の前で見つけました。

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コンテナボックスには少品種の野菜類が入っていました。

代金はポストへ」と書かれています。

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枝豆1袋200円を手にしました。

鞘も豆も小さ目だったのですが、

朝獲りだったのか、新鮮でシンプルな余計な味のない、

懐かしさを感じさせるとっても美味しい枝豆でした。

久々に正しいと思える枝豆を味わう事ができました。

 

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「コロナ前の社会が懐かしい!」

そんな思いでいる人が大勢いることでしょう。

 

しかし、覚悟が必要です。

決して戻ることのないコロナ前の社会です。

 

そして人とコロナの共存の戦いはまだ始まったばかり。

野球で言えば2回の裏に入った頃かもしれません。

 

東京でも再び不安定で危険な数値が示されています。

7月の連休も夏休みも積極的な計画を立てる人は少ないようです。

 

自分では決して大きな恐怖を抱かなくとも

遠方に外出すれば自粛という同調圧力が重くのしかかってきます。

 

御朱印も授与再開や、書置き、郵送のみなど

様々な対応方法、授与方法が模索され変化しようとしています。

 

こんな状況のなかで他県の寺社を訪問しても

いろんな思いが頭をよぎり決して楽しくはありません。

 

もう何ヶ月もトップニュースはコロナの話題です。

最強のウイルスに対して最大の忍耐を求められている人間。

 

ついこの間の事であった

あの頃の何の憂いもないノーテンキな楽しい御朱印巡りをできる日が

いつかまた、やって来てほしいものです。

 

たとえ「コロナ前」と100%同じには

戻らないにしても・・・。

これからは重厚長大から軽薄短小 ナノ・・ 〜高崎観音の御朱印(群馬・高崎市)

▼観音山 慈眼院高崎観音)「白衣観音」の御朱印です。

高野山真言宗群馬県高崎市石原町)f:id:wave0131:20200618181011j:plain

中央墨書きは「白衣観音」。

建立八十周年」のスタンプも押されています。

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高崎観音は観音山と呼ばれる山とも言えないほどの高台に建ちます。

とは言え標高190mほどの丘陵に、

高さ42mほどある菩薩像が建ちますので

遠くからでも見える高崎のランドマークの一つでしょう。

 

車で山を駆け上がり観音像が見えてくるものの有料駐車場しか見つかりません。

滞在時間1時間ほどの予定なのに500円は高い!

と思いつつも土地勘のない者には他に方法が見つかりません。

 

▼観音サマの手前で500円出すことにします。

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慈悲深い観音サマに無料駐車場の設置をお願いしたいところですが、

元々は観音山一帯をレジャーランドにしようという計画だったそうですから、

飲食店にしろ、観音サマ、駐車場など金を使っていただかなければ「お山」が存続できないかもしれません。

 

かつての高度経済成長の時代には遊園地が運営されていたそうですが、あえなく2003年に閉園されています。

東京の「豊島園」でさえ閉園を余儀なくされている中、

地方の中途半端な遊園地は悉く同じ運命を辿るのかもしれません。

 

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高度経済成長期には重厚長大がもてはやされたのですが、

ここ高崎の巨大な「白衣観音」は実業家による1936年の建立ですので戦前になり、

高度経済成長期とは関係ありません。

 

そして鎌倉中期に創建されたと伝わる慈眼院は

1941年に高野山からここへ移転してきました。

 

ということで2016年にいただいた御朱印は「建立80周年」になるわけですか?

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奈良や鎌倉などの全国各地の大仏は阿弥陀如来や釈迦如来などが多いのですが、

関東で露座の巨大像を思い浮かべると、

ここ高崎を含め、東京湾観音大船観音大谷平和観音など、観音サマの数も多くあります。

あの世界一高いとされている120mある牛久大仏は、浄土真宗ですので阿弥陀仏です。

 

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見上げるようなあまりに大きい仏像は、どうしても観光的イメージが先に立ち、

その大きさに比例して本来の仏像の意義が薄められていくように感じるのはワタシだけかもしれません?

 

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バブル後は「重厚長大から軽薄短小の時代へ」と言われたことがあります。

しかし世界では現在も世界一高い建築物、世界一長い橋などが今だ競われています。

 

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もちろん「重厚長大から軽薄短小へ」は価値の変更ではなく、

軽薄短小」の価値をも求めるようになるということで、

当時はそんな言葉も聞かなかった「ナノ」という小さな世界が

科学技術と社会を大きく変えるようです。

 

そんな難しい科学の話ではなくとも、薄くて軽い「軽薄」なスマホやTV などは身近なものになっています。

軽いモノはより軽く、小さいモノはより小さく!

そして大きなモノはより大きく、長いモノはより長くと

人間は両極端に価値を見出し、ひたすらその究極の先端を目指すようです。

 

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『周りの環境は心の状態によって変わる。心が暗いと何を見ても楽しくない。静かで落ち着いた環境にいれば、心も自然と穏やかになる。』

 

弘法大師の言葉です。

 

空海はここにも立て篭り人々に説いていますが

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確かに大きな像も、真夏に開く花も、

『心が暗いと何を見ても楽しくない』ようです。

 

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みなさんが楽しく観音山を訪問出来る事を望みます。

 

変貌の衝撃! どこか懐かしさを覚えた あの本堂はどこへ? 〜赤坂不動の御朱印(東京・港区)

▼智剣山 阿遮院 威徳寺赤坂不動御府内八十八ヶ所75番の御朱印です。

真言宗智山派・東京都港区赤坂四丁目)f:id:wave0131:20200622132733j:plain

関東、東京の霊場で唯一「御府内八十八ヶ所霊場」だけは意識して巡っていません。

 

知った寺を参拝して御朱印をいただく。

そして結果的に御府内八十八ヶ所霊場だったことを知る。

そんな状況での御府内ですが、積極的に巡ることのブレーキは88という数の多さと

機能している霊場なのか? という疑問があるからでしょう。

 

今ではその様相は少し変化しているかもしれません。

何しろ「御朱印バブル」に呼応しない寺社は、

集印者からは、

コロナ禍でマスクをしない者に等しい扱いにされるかもしれません。

 

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威徳寺は通称の「赤坂不動」の名前どおり赤坂の繁華街中にあります。

 

▼掲載の御朱印をいただいた2013年時の寺の入り口です。f:id:wave0131:20200622132751j:plain山門と言えば山門かもしれない佇まいでした。

赤坂の街中にこんな寺が存在し続けていることにオドロキました。

 

▼ そして本堂。山門よりさらに驚きました。

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赤坂の街のイメージとこの本堂の姿は、月と地球ほどの隔たりがありました。

生い茂る緑に挟まれた細く短い参道の先に、山寺の小さなお堂のような姿で静かに佇む本堂。

街のイメージとのギャップの大きさと、

どこか懐かしさを感じさせる本堂の姿に、しばし見とれてしまいました。

 

あれから7年の時が経過していますが、再び訪れてみます。

 

▼「一木通り」はこのアーチと、車道と歩道を分ける石柱が新しくなったのかな?

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大人しくなって赤坂の街に夜繰り出すことはほとんどなくなりました。

▼2020年6月の日曜午後の通りは、行き交う人もまばらです。

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やはりこの街はウイークデーの夜にならなければ生き返らないないようです。

 

そして赤坂不動、

▼オドロキの様変わりです。本堂への上り勾配だけは変わっていません。

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▼えっ〜〜! これがあの本堂? う〜〜〜〜ん!f:id:wave0131:20200622132758j:plainビルになってしまった。見た目より奥行きのあるビルは7階建かしら?

都市の神社によく見るようなマンションにはなっていない。

全階寺の設備として使われているようですが、

あとで調べてみると、室内型の墓苑になっていて「赤坂一ツ木陵苑」と名付けられていました。

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広くない境内しか持たない東京の神社は社務所ビルの上がマンションに、

寺院のビル上は室内墓苑になるのは、

それぞれが永続していく手段としての選択なのでしょう。

 

あの田舎のお寺のような暖かさを感じるお堂を思い浮かべながら再訪問したものの、

都会の7年間はそんなに悠長ではありません。

本堂が新しくなって、そして見上げるようなビルになっても

何の不思議はないのです。

東京ではむしろその方が自然と言えるかもしれません。

 

▼パンチを食らったような気持ちになり、

ただ見上げるだけで御朱印の事などすっかり忘れ、外からのお参りだけにしました。

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▼改めて本堂までの狭い境内を眺め回してみます。

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▼さまざまな案内や設備、如意輪菩薩像や地蔵菩薩像は新し目です。

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▼この一角の水子地蔵と弘法大師は以前からのものでしょう。

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赤坂の街のビルの谷間、

その狭隘な地に墓石と卒塔婆が立つのは異様とも言えます。

東京人は慣れましたが、田舎で暮らす人々が見たら、やはり異様でしょうね。

 

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▼不動像も新しく3段の基壇を造ってもらってご満悦そうです。f:id:wave0131:20200622132802j:plain

「ノウマク サンマンダバザラダン センダ マカロシャダ

ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」

 

いずれ、もう一度やって来ます!

もう次回は寺の様変わりに驚くこともないでしょう。

しっかりお参りして、御朱印もいただいてくることにしましょう!

霊気漂う古墳を駆け上がれ🦶🦶 〜姉埼神社の御朱印(千葉・市原市)

姉埼神社御朱印です。(千葉県市原市姉崎)f:id:wave0131:20200630184458j:plain

4年前の御朱印からカラフルな神紋と龍のスタンプが押されていて、

ブームを感じさせられます。

コテコテ、ハデハデのイラスト御札より、

このレベルに抑えられていると御朱印らしく、

神社の「品」と「格」は保たれていると思います。

 

▼同、姉埼神社 2016年の御朱印f:id:wave0131:20200630184453j:plain

読みは「あねさきじんじゃ」です。

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▼地域と神社の読みは「あねさき」ですが、最寄駅の「姉ヶ崎」は「あねがさき」。

またgoole mapでは神社となっていますが、正確には神社です。

 

▼2016年に参拝時の写真3枚です。

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社伝によると

日本武尊が東征のおり、海路の安全を祈って志那闘弁命を祀ったのが始まりといい、延喜式神名帳にも名を残しているそうです。

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また940年には、平将門の乱平定の祈願が行われ、

1180年には、源頼朝が社前で馬ぞろえをして平氏追討の祈願をしたとか。

それ以来、流鏑馬の神事が行われるようになったと伝えられているそうです。

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言い伝えはともかく歴史も格式もある古社です。

 

▼4年振り、2020年の訪問です。

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駐車場からですと裏参道を進むことになります。

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▼神門の裏にも扁額ありました。文字通り「萬世太平」の願いが込められています。

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裏参道側にある手水舎は素晴らしくいい趣きの建物。

f:id:wave0131:20200630184557j:plain元禄年間に建てられ、装飾彫刻が施されています。

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裏参道から境内に入ると順序が不同になります。

末社殿が続きますが、ここは15社も並んでいます。f:id:wave0131:20200630184603j:plain

天神社です。f:id:wave0131:20200630184607j:plain

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ところで境内には松の木がないそうです。

そう言われて境内を見渡せば、松の木は見当たりません。

少し長くなりますが神社のHPからの引用です。

<松の嫌いな明神様>
明神とは創祀も古く由緒正しい神社に対し平安以降に授けられた称号であり、この地域において明神とは姉埼神社を指す。
姉埼神社の主祭神の志那斗弁命(しなとべのみこと)は女神であり、夫神志那津彦命(しなつひこのみこと)(島穴神社の御祭神)の帰りを待ちわび「待つは憂(う)きものなり」と歎かれ同音の「松」を忌むようになったと伝えられる。
この姉崎(姉前)という地域名もこの伝承が語源ともいわれる。
境内は勿論、氏子地域では、1本の松樹を見ない事と合わせ、正月の門飾りには松の代わりに竹と榊(門榊(かどさかき))を用いている。また、新年の挨拶状、家具や服の模様などにも一切松を使用しない氏子もいる。

よくあるパターンの話です。

それにしても本当に境内に松の木がなく、

現在でも近隣の人たちは、正月の飾りでも松をヨケ物にするのは徹底しています。

 

島穴神社は訪問していますが、引用した話は知りませんでした。

 

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厳島神社f:id:wave0131:20200630184622j:plain

▼こちらが表参道から参拝した時のメインの手水舎でしょう。f:id:wave0131:20200630184631j:plain御霊泉」だそうです。

この宮山深奥部より湧き出る水は清冽にして古来より涸れる事なく滾々と湧きて流れて今日に至る この水は霊泉と称され用いる者は百歳の長寿を保つと伝えられる 本殿正面の階段(一六三段)を下りた右方より常に湧出しています。

 

2016年に訪問した時は社殿を真横から見た時、

記事冒頭に掲載した写真のように形の美しい権現造の全貌が確認できましたが、

▼参拝者待合所が作られていて全体が綺麗には見えなくなってしまっていました。f:id:wave0131:20200630184835j:plain

▼正面は2016年と全く変わりません。日の丸の日章旗と茅の輪は常設かもしれません。

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▼拝殿内に輝く装飾物は龍でした。見事な金の龍です。

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▼流造の本殿。f:id:wave0131:20200630184745j:plain

▼この階段を下れば表参道の一の鳥居につながるようです。

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降って、また登ってくる? くじけました。

2回も訪問して1度も表参道を通ってないことになりますが、また来ましょう!

 

▼階段の上のここは三の鳥居になるようです。

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神輿庫から本殿の裏側方面に回ってみます。f:id:wave0131:20200630184839j:plain

 

▼「御嶽山」に登ります。

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▼「御社二号古墳」。「姉崎古墳群」と言われ神社周辺にいくつもあるそうです。f:id:wave0131:20200630184709j:plain

日本武尊が海を見晴るかした「記念地」。

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御嶽山大神、八海山大神、三笠山大神、御嶽大神の石碑が並んでいます。f:id:wave0131:20200630184721j:plain

金毘羅大権現などの古そうな祠が建ち、古墳でもあるからでしょうか、

この付近は神社一番の霊気が満ち満ちているゾーンでした。

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浅間神社もあります。房総の神社はどこも山岳信仰の講がありました。

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富士塚には2つの浅間大神の石碑のほか、小さな祠には「小御岳」の石碑がありました。f:id:wave0131:20200630184735j:plain

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▼梅か桜かは、花びらの違いを見ればわかるのでしょうか?

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▼案内札があってやっと「カンピザクラ」だと分かるのでした。

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裏参道の神門近くにもう一つの古墳。

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だんだんわかって来ました。

姉崎神社に古墳があるのではなく、古墳群の中に姉崎神社があるのです。

古墳時代は3〜7世紀頃だったでしょうか?

そのころからこの地に人の営みがあり、

地域の長や豪族が埋葬されるとき、その権威を象徴するような記念碑的古墳を築きあげたことを思うと感慨深いものがあります。

 

▼山になっているので円墳なのでしょうか? 直径21m、高さ2.5mだそうです。

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▼駆け上がった古墳の頂上は「大山祇神社」が建ちます。

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▼古墳を降りて、もう一度周りの末社を巡って帰ります。

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何の知識もなく、興味もなかった神社が御朱印が目覚めさせてくれたものの、

その後も理解するのに人物など具体的な対象が多い寺院のほうが興味深かったのですが、姉崎神社のような古社をめぐる都度、

神社もドンドン興味深い対象になって来ました。

 

この神社と関係の深い島穴神社と同様、再度訪問した神社でした。

いや、姉崎神社は再三になります!

 

 

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