▼達谷西光寺の御朱印です。(天台宗・岩手県西磐井郡平泉町平泉北沢)
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今回の旅2日目は、宿泊地の大河原から仙台市内を迂回して平泉まで一気に北上します。距離は100kmくらいあります。
この記事の副題「R6を北上」、国道6号線は仙台が終点ですので、正確にはこの記事からは「R4を北上」ということになりますが、カタイことは言わずヨシナに!
▼もちろん中尊寺を目指したのですが、BLOG記事は前後してこの寺から始めます。
拝観料300円お支払いで、いただいた由緒書きには
〈天台宗〉別當 達谷西光寺
達谷窟毘沙門堂(たっこくいわやのびしゃもんどう)とありますので、
寺かと思いきや、
▼いきなり鳥居です。
そもそも「別当」と言われてもよく分かりません。
対象の担当長官、守護者、お守役のようなものだとしか理解できていません。
▼「辯財」? 読めません! 「弁財」です。
で、ここでは別当は西光寺でその保護・運営対象が毘沙門堂ということです。
ですから毘沙門堂は寺であっても、神社であっても良いわけです。
鳥居は一から三の鳥居までありますが、寺でも神社でもないようで、
お「堂」なのです。
坂上田村麿が801年に創建した当時は、鳥居などなかったに違いありません。
毘沙門堂の奥には慈覚大師が刻んだと伝わる秘仏が安置されているそうですが、当時から大きく変化のないのがこの「窟だけかもしれません」
中尊寺よりその歴史が古い当初から堂も建てられたとしても、現在のような立派な建物ではなく、掘立小屋のようなお堂が一つだけだったに違いありません。
と勝手に解釈してたら、どうやら始めから「九間四面の精舎を建て」たようです。
どちらにしても、その後の長い時間の中でここに諸仏や、様々な神が集まり、祀られ一大霊場として隆盛を窮めたのでしょう。
現在は祈りの場でもあり、観光対象でもあり、中尊寺、毛越寺と同様、世界遺産の仲間入りを願っているようです。
▼3つの鳥居をくぐり窟毘沙門堂内に入ります。
▼蝦夷の酋長たちの住処だった窟を征圧した坂上田村麻呂が、清水寺の舞台を真似た造りにしたとか。
▼なんと書いてあるのでしょう?
▼この奥に毘沙門さまが御坐すのでしょうか?
建物が窟に穿たれたような位置にあるのは、栃木の大谷寺などの寺社を思い起こさせられます。
ところで由緒書きには、このお堂では「柏手を打って祈るもよし」「合掌して真言を唱えるもよし」とあります。
このあと巡る「弁天堂」「不動堂」でも「柏手を打って祈るもよし」とあります。
これまでは寺の堂の前で柏手を打っている人を見かけると、いくらか軽蔑したような目でその人を見ていましたが、軽蔑されるのはワタシだったかもしれません。
毘沙門も、弁天も守護神ですし、お不動さまも如来の化身でもあるので、もう神か仏かよく分かりません。
ということで、これからは「柏手を打って祈るもよし」「合掌して真言を唱えるもよし」として、必ずしも「寺で柏手を打ってはいけない」ということではないと理解することにします。
▼弁天さまが嫉妬されるのでしょうか? だとしたら弁天も煩悩アリ?
▼「柏手を打って祈るもよし」です。
▼「岩面大仏礼堂」です。
▼大仏の姿はどこでしょう?
▼下に案内看板はあるのですが、その姿は見つかりません。
▼えっ! どこよっ?!
▼やっと見つかりました。かなり上の方に顔だけでした。
身体を探していたので見つからないはずでした。北限の磨崖仏だそうです。
どうやら身体部分は崩れてしまったようです。
▼ほかにも故意に崩したか、地震などで崩れたのか分かりませんが、そんな岩肌が見えます。
▼鐘楼堂の隣に不動堂。
ここでも「柏手を打って祈るもよし」ですが、やはり東京の深川不動で柏手は打つ勇気はありません。機会があったら深川不動にお聞きしてみます、その是非を。
▼都からさらわれてきた姫伝説のお不動さん。
伝説を伝える「姫待滝」や「髢石」が寺の近くにあるそうです。
▼不動堂の裏の屋根はいい具合にコケと草が覆っています。
▼「金堂」に向かいます。
▼「大オッコウ」? なんですか?! 調べたら「キャラボク」とか、「イチイ」とかが出てきて、さらに分からなくなりました。億劫の親戚かもしれません?
▼イイ感じの屋根が見えます。寺の脇にある表側に回ってみます。
▼「御供所」というのだそうです。
「ごくしょ」と読むそうですが、
訓読みにして「おそなえどころ」と読めば、何をする建物か解ります。
でも、供えるところではなく、調える場所。つまり神仏のお食事の厨房ですね、きっと。
▼「おくどさん」ですが、東北ではなんと呼ぶのでしょう? へっつい?
▼毘沙門堂は参拝者で賑わっていましたが、ここだけは静かに千年の時が止まっていました。