▼素戔雄神社の御朱印です。
▼同じく2013年の御朱印。
この神社もかなり前から見開きスタイルを採用しています。
左ページは「行く春や鳥啼き魚の目は涙(いくはるや とりなき うおのめはなみだ)」という芭蕉の奥の細道、最初の一句。
もっとも希望者のみですから、片面の神社印のみもいただけます。
6年間に何も変化のない御朱印です。
「千住天王」とあるのは、祇園信仰系の神社であり、地元の人たちは「天王様(てんのうさま)」と呼ばれる事もあるそうです。
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1594年、隅田川に初めてかけられた橋です。江戸時代に、もう少し下流の両国橋が1660年にかけられるまで、この橋しかありませんでした。
松尾芭蕉が深川の庵をたたんで、隅田川を遡り、奥の細道の第一歩を踏んだのが、ここ千住大橋のたもとです。
千住大橋北詰の小さな公園に「矢立初めの地」の碑があります。その先には芭蕉像が建つ「千住宿奥の細道プチテラス」があり、JRとメトロの南千住駅前にも芭蕉像があります。
いつの間にか千住は「芭蕉の街」の様相を呈するようになりました。
そして千住大橋の手前に鎮座するここも、御朱印にあるように芭蕉の色濃い神社です。
▼南にあるこちらが表参道に当たるのでしょう。
▼境内西側にも鳥居が開いています。
街中にある神社ですので多くはない緑ですが、綺麗に整えられていいて清々しさを演出しています。
岩造りの子落としの獅子は、金網での保護ではなく、足元だけに石と鉄棒で囲いがつけられています。これならイタズラされにくいでしょうね。
社殿は昭和の再建だそうですが、鉄筋コンクリート造りとは思えないほど見事な堂々とした佇まいです。
神社は役小角の弟子が奇岩を祀ったことに始まる平安時代の795年の創建と伝わります。本殿の裏側に稲荷神社、菅原神社、福徳稲荷の末社が並んでいます。
▼ゴールドに光り輝く龍は神楽殿の奉納額。
▼江戸名所図会では「飛鳥社 小塚原 天王宮」として神社が紹介されています。
▼神社の創建に由来する「瑞光石」を祀る社。
▼天王宮、瑞光石の全体は富士塚になっています。世界遺産になった富士山も毎年登山者の多さで問題となり騒がれていますが、もしかしたら江戸時代の方がもっともっと人気があったかもしれません。
▼そして芭蕉碑です。神池に通した橋を千住大橋とみなし、その奥に碑が建ちます。
「千住といふ所にて舟を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。 行く春や鳥啼き魚の目は涙 これを矢立ての初めとして、行く道なほ進まず」と、「奥の細道」の冒頭部分が紹介されています。
それにしても芭蕉は「奥の細道」への旅路を前にして胸踊るどころか、旅に出る決意をしたことを悔やんでいるような内容です。
ホテル予約もない、当時の歩きによる旅ですので心細いこともあったのでしょう。
ですから芭蕉はここ千住にグズグズと7日間も逗留しています。
早く出かけなさいよ!
そもそも「前途三千里」というのは、どこから計算したのでしょう。現実は156日間、600里、2400kmの行程だったのに・・。
▼芭蕉が置き忘れた傘をかぶってみれば、彼のそんな心情が少し理解できるかもしれません。
南千住の駅から歩ける距離にある神社です。
少し寄り道して延命寺の首切り地蔵→小塚原回向院→旧上野の黒門が残る円通寺を訪問してから神社に向かうのが、とってもおすすめなコースです。
▼素盞雄神社となりの「荒川ふるさと文化館」。