▼牛頭山 弘福寺の御朱印です。(黄檗宗・東京都墨田区向島五丁目)
これは読めます! というか、どこかで目にしています。横浜中華街だったかしら?
「招財進宝」と書かれています。正確な意味はわかりませんが、何となく文字だけで「財を招き宝が進んでくる」というふうに理解できます。
4文字で「宝船」の形を表しているそうです。
▼同じく弘福寺「満徳」の御朱印。多くの徳の行いという意味でしょうか?
それにしても見事なデザイン文字です。
「招財進宝」のデザインは華僑の間で古くからあるものですが、布袋尊は弘福寺のオリジナルデザインでしょう。
いきなり見せられたら読み取れませんが「遊」んでいる素晴らしいデザイン文字です。
▼おとし玉をいただきました。中に御朱印と同じ文字の「招財進宝」のコインが入っていました。財布に入れておくと財を招くかも?
▼御朱印は4種類。それぞれ番号付きで何が書かれているか案内されています。七福神の「布袋尊」は正月七草までの授与のようです。
▼こんなふうに見開きで連続していただけるようです。
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▼弘福寺の隣は隅田七福神の長命寺があり、近くには三囲神社や牛嶋神社もあります。
江戸時代に大光普照国師 隠元が開いた禅宗のひとつ、黄檗宗の本山は京都の萬福寺です。
▼東京では黄檗宗の寺はそれほど多くありませんが、どの寺も中国的な雰囲気を感じさせられる建物が目につきます。
▼山門の扁額は草書で読み取れませんので、住職にお聞きしました。住職「山門ねぇ? 何と書いてあったかなぁ」
「ええっ!!?」どういうこと?
撮影した上の写真を見せました。
住職「あぁ、牛頭山!ごずさん です 」
「牛頭天王」は、近くの牛嶋神社に地主神として古くから祀られていたことに由来するそうです。かつては牛嶋神社と弘福寺は隣接していたようです。
▼本堂もやっぱりどこか中国っぽいです。屋根の反り具合や装飾がそのように思わせる気がします。
▼左右の丸窓は黄檗宗の特徴です。訪問したことはありませんが、京都の萬福寺にとても似ている作りの弘福寺の本堂だそうです。
▼本山 萬福寺と同じ「大雄寶殿」です。
▼「弘福寺」
▼山門の屋根にもありましたが、本堂の鴟尾はマカラと言って「ワニ」だそうです。
▼隅田川七福神 布袋尊の石碑ですが、布袋さまは本堂内にいらっしゃいました。
福徳円満の布袋は弥勒菩薩の化身とも言われています。
▼本堂から振り返る境内です。
▼梵鐘は1688年鋳造の古いものです。ここでも「ワニ」が威厳を強調しています。
▼こちらは「咳の爺婆尊」。弘福寺のHPからの引用です。
人呼んで「咳の爺婆尊(せきのじじばばそん)」と称し、口内にやむものは爺に、咳をやむものは婆に祈願し、全快の祈り、煎り豆に番茶を添え供養する習わしが伝わっています。
▼神社や寺院境内で度々見かけますが、大きさを実感させるためか、装飾や造りを確かめさせるためなのかよくわかりません。
▼出ました! 亀の姿の台座は「亀趺(きふ)」です。呼び名は覚えましたが、イマイチ理解できていません。
▼こちらも「亀趺(きふ)」の上に墓石が建っています。文学者でもあった因幡国若桜藩の藩主 池田冠山の墓だそうです。
▼本堂左手に広くはないのですが、きれいな庭が広がっています。23区内ですと神社に庭があることは少ないのですが、寺には落ち着いた庭が多く見られます。基本的には神社は神が住まう建物で人の住居ではなく、寺は修行や神社の管理人が住む場所ということから庭の有無に繋がっていくのでしょうか?みかんの木の実も禅の言葉「百花春至 爲誰開」に通じるかもしれません。
▼「ありがとうございました」観音様にも挨拶して帰ります!