▼心城院の「江戸三十三観音 第十七番札所」2012年の御朱印。
▼今回は住職不在のため書き置きが用意されていました。
日付は入っていませんでしたが、1枚1枚丁寧に墨書きされた書き置きです。
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▼心城院は湯島天神の男坂下にあります。最寄駅はメトロ千代田線「湯島駅」ですが、上野や御徒町からでも歩ける距離です。
▼2012年の門前と境内です。
▼2019年の本堂です。
▼2020年。寺の門前は「学問のみち」になっていました。いつから名付けられたのでしょう? googlemapにも「学問のみち」と表記されていました。
道の正面が学問の神様を祀る湯島天神なので、その縁から名付けられたのでしょう。
明治期の文豪、泉鏡花が「かくれ里」と呼んでいた寺のある天神下地域は、かつては昭和レトロな建物が多い情緒ある街だったそうですが、現在はごくわずかに残るのみとなって、変化の激しい地域です。
▼聖天さまなので「二股大根」と「巾着袋」が描かれている本堂の扉ですが、閉まっていました。
▼本尊の「大聖歓喜天」は厨子の中で絶対秘仏。十一面観音や大黒天、弁財天もすべて本堂内に祀られているようです。
▼失礼ですが猫の額のような境内です。しかし綺麗に整えられて見るものがたくさん!
▼吾 唯 足るを知るのつくばいには水が落ちて池に流れています。
▼本堂片隅には稲荷社。日本で一番多い稲荷社ですので、どこででも見かけます。
▼「放生池」の説明板。
心城院はもともとは湯島天神の別当寺「喜見院」として元禄年間にはじまり、明治前までは天神の境内にあったそうで、当時はかなりの境域を持っていたそうです。
その頃の池は太鼓橋が架かるくらい大きく、また亀が冬眠できる泥の池で「亀の子寺」とも呼ばれていたそうです。
▼現在も太鼓橋は「かめの子はし」として架けられ、何匹もの亀が放たれています。
▼水琴窟もあります。たおやかな音色は竹筒に耳をつけると、よりよく聴こえます。
▼「柳の井」は関東大震災の折、飲み水としての罹災者を救ったそうです。現在は美髪・厄除けの霊水とか。「美髪」ねぇ⁉️
ということで湯島天神に訪問の折には、ぜひ立ち寄ってみるに価値ある寺です。
もちろん「心城院」の参拝のついでに湯島天神を訪問するのも可です。
どちらが先でも、元は一つの天神さんだったのですから・・。