巨鼇山 清見寺の御朱印
御朱印中央墨書きの「佛心」とは「仏の悟り」を示すそうです。
しかしワタシたちは「何かを悟る」という言葉は使いますが、名詞の「悟り」となると曖昧になってしまいます。
禅では「心の迷いが解けて真理を会得すること」だそうですが、「真理」とは何ぞや? 掘り下げると話はさらに難しくなってしまいます。
「仏の悟り」であって、ワタシがそれを求めようとしても、その距離は百万光年の彼方にあるようです。
「ぶっしん」と言われたら「物心?」と頭に浮かぶくらい、まだまだ、いや死ぬまで「物」や「物欲」から解放されない自分ですので。
この「佛心」と書かれた御朱印は、これまで他には一つしかいただいていないように記憶しています。
▼そしてもう一つ、同じく臨済宗の鎌倉「円覚寺」の朱印帳です。
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実は恥ずかしながら「清水」は「清水市」と思っていました。
しかし2003年、とっくに静岡市の区制の1区になっていて、現在、清水市はありません。
もっとも静岡市にある「区名」をすべて言える人はどの位いるでしょう?
区の数さえ知らないワタシが一般人のスタンダードとは言いませんが、区の数は3つ。
自分が足を踏み入れた地域の地理は、少しは知識があるつもりも、その中身は清水の海辺の真砂の一粒くらいの量のようです。
▼清見寺があるのは清水区興津です。「おきつ」と読みますが、その昔は宿場。
興津宿は日本橋から数えて17番目の東海道の宿場です。当時は興津川をカゴやコシに乗って渡ってたようです。
一つ手前の由比宿同様、山からすぐに海になる難所の地形は今も変わりませんが、
▼現在はJR東海道本線、国道1号線、静清バイパス、生活道路などが、その狭隘な地を埋めつくしています。
興津宿とはいえ、狭隘な地ゆえ旧道がそのまま国道1号になってしまっていて、石碑が目立つのみで当時の宿場の面影は見つかりません。
▼国道から一つ海側の道を行くと「珍百景」に出会います。
広すぎる敷地内に新たな出入口を設けたい気持ちは理解できますが、この石垣と松の景観に「アルミドア」を設置した勇気を讃えます。
記事本題から1万光年遠のいています。戻します。
▼興津宿の西端に清見寺の山門が開いています。
▼大きな扁額は「東海名区」でしょうか。
「東海」は日本のことで、「名区」は素晴らしいところと言うような意味だそうです。
山門の裏側をJR東海道線が延びています。
広い敷地を持つ寺社は道路が広がるたびに、新たな鉄道が敷設されるたびに、その土地の提供を余儀なくされるようです。
ここ清見寺の参道も東海道線がハラキリのように横切っていますが、
鎌倉では円覚寺や長谷の御霊神社も参道を江ノ電が横切っていて珍しくもないのです。
しかし、地方では珍しい? 狭隘な土地だからこそでしょうね。
▼幼少の頃の家康が勉学に勤しんだと伝わる寺の庭は夏の匂いと、海の匂いがします。
▼綺麗に整えられグリーンに塗りつぶされた境内で唯一ピンクを誇るのはサルスベリ。
最近は東京の街路樹としても見かけられるようになったサルスベリは、やはり寺が似合います。
水上勉の「五番町夕霧楼」に描かれる百日紅は印象的ですが、悲しすぎるかもしれません。
▼禅では本堂を仏殿と呼びましたかね?
▼百日紅のほかに、もう一つピンクに輝き人々を誘うビンズルさん。
▼江戸時代に改修された鐘楼は多くの言い伝えを持っています。
観音さんにもご挨拶して・・・
▼釈迦の弟子たちの五百羅漢は、夏とは言え、みんな緑の中で心地良さそう。
この場面を藤村が小説に描いた頃の姿と大きく変わっていないようです。
この時も自分に似たラカンさんを見つけることはできませんでしたが・・。