神社名に「金」「宝」
という字が使われていても神社の所為ではないね。
読みはどうあれ「金」「宝」、直裁的だ。「金」が嫌いな人にお目にかかったことがない。わしも当たり前に大好きだ。しかし、そんな言葉を連呼する様、そこに群がる様は、さもしい、はしたない。わしの心も見事にさもしく、はしたない。その裏返しからか、口からはあまり出したくない、そういう場所もできれば遠慮したい。ねじれ国会なみにグネッてる。御朱印をいただくためには群がる。でも正直、そんな名称の寺社で御朱印をいただく時は少し恥ずかしい。考えすぎである。さもしい自分を隠そうとするからだ、きっと!?
何の話だ?幸稲荷神社だった。「さいわい」だ。しっかり記憶に残っている神社だ。「幸福」だったら恥ずかしくなる、記憶も薄れる、どうしてだ?
自らのことを「さいわいでした」という表現はするが「私が さいわいでありますように」という言い方はしないと思う。多くの人は「誰々さんが、さいわいでありますように」と使うことが多いはず。だからこの神社は「感謝と人の幸福を願う神社」と勝手に決め付けた。この神社の名称の変遷は少し意味が違うようだが、かまわない。見かけも大きさも可愛らしい神社で、パワーを求める人でワイワイしてなくサイコーにサイワイだ。御朱印を対応していただいた女性も優しさに溢れていた。この神社に幸いあれ!
幸稲荷神社・東京都港区芝公園
今週のお題「おやつ」