▼天澤山 麟祥院の御朱印です。(臨済宗妙心寺派・東京都文京区湯島)
▼同じく2014年の御朱印。
5年前も書置きだったような不確かな記憶。
寺の山門を潜ると直ぐの左手受付のガラスの奥で、にこやかに会釈してくれるおねぇさんに気づきます。
お願いすると、その微笑をたたえたまま御朱印を渡していただけます。
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東京の道路の名称はすべて「・・・通り」です。
京都や大阪のように「条」や「筋」との組み合わせでなく、それらと比較すると何となく素っ気ないかもしれません。
京都の道路は碁盤の目状、大阪や名古屋も比較的整列した道路づくりとなっていますが、東京は皇居を中心に環状道路が幾重にも弧を広げ、さらに日本橋を起点に放射状に幹線道路が延びています。
したがって「筋・通り」「条・通り」が成り立ちません。
しかし全ての通りの名称に一応根拠があります。
普段は東京人がそんな事に拘わっていませんし、通り名の由来を知ろうとする人も少ないはず。
▼「春日通り」の名称はこの寺に端を発しています。
麟祥院は春日局の隠棲所であり、菩提寺でもありました。後にその戒名である「麟祥院殿仁淵了義尼大姉」の院号が寺名になています。
家光の乳母であって、大奥の実質的な権力を握っていた「斎藤 福」はここに眠っているというわけですが、他に京都の金戒光明寺などにも墓があるそうです。
寺は湯島天神と加賀藩上屋敷の間に、春日通りを一歩入ったところに通りの喧騒から離れ、静かに山門を開いています。
寺の裏は加賀百万石、前田家の上屋敷。もちろん現在は、その敷地の跡を利用した東大となっています。
加賀藩上屋敷当時は東京ドーム7個分以上あったそうですから、想像もつかない広さの屋敷だったようです。
お福が隠棲した開山当時は天澤寺と称していた麟祥院も、当時はもっと広い敷地を有していたようです。
そして後の麟祥院には臨済宗の勉学の場でもあって名僧たちがここで学んでいたそうです。
▼さらに後の明治になると東洋大学の前身の哲学館が創立されています。ここは文京区、まさに現在も文教の地でもあります。
周囲の生垣にカラタチが植えられていて「からたち寺」とも呼ばれていたそうですが、今はその姿はありません。
▼しかし、こんな緑はお福が隠棲していた当時もあったに違いありません。1万坪もあったという寺域の緑の中を散策しながらも、まだ天下が気にかかるお福だったかもしれません。
▼本堂は禅寺らしく簡素で凛としています。
▼さて「おつぼねさま」に挨拶に行きましょう。
▼沢山の墓石の間をクランク状に右左折を何回も繰り返すと見えてきました。
▼墓跡の上部には前後左右に穴が穿たれ貫通しています。
お福の遺言による穴だそうですが、さすが「おつぼねさま」、今もこの穴の奥から天下のご政道が正しく行われているか注視、目を光らせているそうですよ、安倍さん!
▼春日局は麟祥院より春日通りを1kmほど西に行くとある礫川公園内でも睨みを聞かせています。