▼道本山 東海院 霊巌寺 本尊の御朱印です。(浄土宗・東京都江東区白河一丁目)
好みはともかく印象に残る御朱印です。
特に「本尊 阿弥陀如来」の墨書きは霊巌寺の文字がなくても、寺名を当てられる個性的な筆書きです。
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▼日本橋方面から永代橋に向かい茅場町の交差点を過ぎると「霊岸橋」を渡ります。
「霊岸橋」を渡った地域が「霊岸島」です。「霊巌寺」は江戸時代にはこの埋立地の「霊岸島」にあったそうです。文字は違いますが読みは同じ「レイガン」です。
島の呼称は「霊巌寺」にちなむそうです。
▼明暦の大火後、隅田川を越え白河に移転しています。
現在は「深川江戸資料館通り」沿いに山門を開いています。
「深川江戸資料館」は小規模ですが、江戸時代の深川の町を再現していて、タイムスリップできる楽しい施設です。
▼1624年に雄誉霊巌上人(おうよれいがんしょうにん)による開山だそうです。
▼山門には「呑龍上人奉安所」の石柱も建っていました。
「呑龍上人」の御朱印は川越の「蓮馨寺」でいただいたことがあります。
▼反対側には「史蹟 楽翁松平定信墓」と「銅像地蔵菩薩坐像」の石碑があります。
▼門扉の松は寺紋でしょうが、 何と呼ぶのか分かりません。
▼気持ちの良い参道が本堂まで延びています。
▼2005年に清澄白河駅にできたビジネスホテルが本堂の景観を一変しています。
▼寺で良く見かける地蔵石仏などが一ヶ所に集められ、塚のようになっているこういうのを何と呼ぶのでしょう?▲2013年 ▼2020年です。ここもバックに新しい建築物ができています。
▼「勢至丸」は浄土宗の宗祖 法然上人の幼少期の名だそうです。
▼そして「江戸六地蔵」第5番の石碑と都の文化財になっている「銅製地蔵菩薩坐像」。
1717年に造立された像の高さは約2.7m、丈六です。
かつては鍍金が施されていたそうです。六地蔵のうち現存している5体の地蔵菩薩像は、どれもその大きさに驚かされます。
▼八代将軍吉宗の孫にあたり、陸奥白河藩主で老中でもあった「松平定信」の墓所は本堂左手にあります。
寺のある町名「白河」は白河藩主の墓にちなむそうです。
▼広い霊域は門扉がしっかり閉じていて、中には入れません。
▼「楽翁」というのは定信の別名だそうです。
門扉越しに覗いてみるものの、逆光でどれが墓かよく分かりませんが、正面のものが定信の墓のようです。
▼右奥には大きな宝篋印塔も建っています。
▼戒名らしき文字が彫られている地蔵さんに挨拶して帰ることにします。