▼同、別バージョンでの御朱印。
思金神社は2010年頃からこのような大きな朱印で紙面が朱色で埋まりそうな、迫力ある御朱印を授与して話題になっていました。
当時は見開きの御朱印でさえ数えられるくらいの寺社しか授与されていませんでした。
そういう意味では思金神社は、派手な迫力ある御朱印の先駆者的存在の神社でした。
不確かですが、2015年に御朱印をいただいた時は数種類ほどで、1体500円だったと記憶します。
現在では10種類以上の朱印、見開きのもの、墨文字の組み合わせで、無数な種類になっていて1体700円〜1000円だそうです。
種類は多くなっても朱印と墨書きのみで、他のカラーのスタンプや色紙などは使用せず、御朱印の体裁を保っていると思います。
しかし、ここ5年ほどの全国の寺社の御朱印はもっとカワイく、もっとハデにがエスカレートして、御朱印の体裁から脱しているようの思えるものまで授与されるようになっています。話題的には当然そちらがもてはやされます。
という事で当時、全国からこぞって思金神社に押し寄せた収集者の数も今は落ち着いているかもしれません。
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▼神社のある栄区は横浜市の南端にあり、2、3km南に進むと鎌倉市に入る位置にあります
▼車で環状4号から横道に入り神社鳥居前に出たものの、駐車場どころか車のすれ違いもできない細い道路でした。環状4号に戻り、広い駐車場を持つマックに車を駐め、テリヤキセットを購入して「30分ほど駐めさせてもらっていいですか?」と聞きます。「そのくらいなら構いません」と、ウレシー返事。
30分と言ってしまったので、急ぎ足で神社に向かいます。
▼「願いが叶う階段」どこかで聞いたような、見たような名称です。
▼急階段の数はわかりませんが100段近くあったように感じました。
ところで昨今、神社ブームのなか神社名に「金」の文字が使用されている神社は、さらに大人気となっています。
金神社、金持神社、御金神社、金桜神社、金劔宮など枚挙にいとまがありませんが、ここの神社名も「思金」で、やはり人気を博しているようです。
日本人も2世代くらい前ですと多くの人は、人前で「金、金、金・・」と口に出したり、態度に出したりしなかったようです。
ガマンしていたのか、セッソウがあったのか、あるいはごく一部の人たちを除き等しく貧しく、今ほど経済的格差がなかったからでしょうか?
武士でもないのに「ブシハ クワネド タカヨウジ」的意識が、ワキマエが、あったのでしょうか?
でも今、人が社会で生活するのに、そんなことを言っていられません。
「金、金、金、金、金・・・・・・・・」です。
書店に行けば雑誌売り場に、お金を貯める教科書が山と積まれています。
そんな雑誌や書籍を買う人の中には、金を貯める事はしても、使う事を知らない人を何人も知っています。
しかし、
銭洗弁天でお札を洗う人も、ここ思金神社に参拝に来る方も「金」はイベントでしょう。
真剣には捉えていないでしょう!
「金」以外に真剣に思う、祈る気持ちを抱いて参拝に来る方が多いはずです。
イベント性から金、富、宝、財などの文字を持つ寺社に期待を寄せて人々が集中してももそれは、それで悪いことではないのでしょう。
かつて神社には「百度石」がありました。いや、今でも時々見かけますが、現実に100回往復をしてる人にはお目にかかれません。
かつての人々の神仏に頼る、お願いする気持ちは切実なものがあったのでしょう。
それは身勝手な「金」でも「縁」でもなかったように思います。
「お百度参り」をする当時の人々は苦しく、悲惨だったに違いありません。
しかし、その見方は現代人の奢りかもしれません。
悲しみ、苦しみの量は比較のしようがありません。
かつて「お百度参り」をしていた人が見れば、今のワタシたちを哀れむかもしれません。その祈りの内容のウスさに・・。
神社名に「金」という文字が使われていて、その寺社が人々の現実の「カネ」や「キン」とどのように結びつけ、どのような人気になろうとも寺社側の問題ではありません。
すべては訪問者、参拝者側の捉え方の問題です。
ここ思金神社は山麓に境内が広がり、横浜とは思えないのどかな雰囲気で、どこか田舎の小さな神社を訪れたかのような錯覚さえ覚えさせられます。
「思金神社」としては1974年のスタートだそうですが、元は昭和初期に白山神社の拝殿として創建されたそうです。
御朱印にかかわらず、素朴な神社の姿を感じられ、心和むステキな神社です。