▼瑞龍山 太平興国南禅禅寺の御朱印です。
南禅寺の御朱印はこの「金剛宝殿」と書かれた1種類のみのようです。
▼それも人気のこの朱印帳を購入すると1ページ目に直書きされているもので、持参の朱印帳への記入はしないようです。朱印帳が不要な人には書置きが用意されています。大きな寺には何種類もの朱印をいただけることが多いのですが、ここは1種類だけ。
御朱印を求めて、こちらで、あちらで、そこで、とウロウロせずに済み、寺をジックリ拝観できます。
とはいえ、御朱印目的の方には少々ご不満が残るかもしれません。
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御朱印収集者にとって寺社の多い京都はとっても羨ましい街です。
▼しかし一番羨ましいのは「鴨川」です。こんな川は東京にはありません。もちろん東京でも多摩川、隅田川、荒川にはテラスが設けられたり、緑道や遊歩道が整備されています。しかし雰囲気は全く異なります。東京のようにコンクリートの高い護岸はなく、石積みと土の歩道、木製の欄干の橋、そして川岸の建物は鴨川ならではのものでしょう。
▼三条大橋から眺めていると時間を忘れそうになります。
そうも言っていられないので橋からの眺めを切り上げ、目的の寺まで向かいます。
▼五山の上、南禅寺中門です。
▼中門を潜ると正面に例の三解脱門が待ち構えています。日本に三つある最も大きな門のうちの一つとか。他の二つは知恩院と久遠寺。しかし日本一ならともかく「三大・・・」なんていうのはもう意味ないかもね。
▼とは言え間違いなく圧倒的にデカイ!ここはみなさんご存知の「絶景かな 絶景かな」の歌舞伎演目の舞台です。山門の建立年と五右衛門の生きていた時代はズレがあるので、彼は山門には登っておらず、ストーリーです。
五右衛門の名台詞は「春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両・・・」と続きます。「絶景」という言葉については、何回も書くようですが、最近TVなどで使い過ぎ、タタキ売り状態。今日のTV欄を眺めても「新地球絶景紀行」なんて番組が載っています。
希少だから「絶景」だと思うのですが、日本中、世界中が「絶景」だらけ。
東京では少なくなった書店に入っても「御朱印本」と同様に「絶景本」が溢れています。毎日が絶景で、千もある絶景はもはや絶景ではなく、単に佳景か可景になり下がります。超絶品のゴチソーを毎日のように口にしている人にとっては、最早それはゴチソーではないのと同じでしょう。「・・・この五右衛門の目からは、値万両、万々両・・・」と五右衛門が言うように、人の目それぞれに「絶景」はその値が違うのでしょう。
以上、巷間に氾濫する「絶景」という文字にイチャモンをつけてみました。ところで「ゴエモン風呂」の名もあり、誰もがその名前を知っている石川五右衛門。少し前までは実在の人物なのか、フィクション中の人物なのか自分の中では曖昧でした。ところがその人物像は創作によるところがほとんどですが、人物自体は実在です。京都に墓もあって、彼の戒名は「融仙院良岳寿感禅定門」だそうで、秀吉の手勢に捕まり、三条河原で親族もろとも処刑された罪人の戒名にしては異常に立派過ぎです。もっとも戒名は好き勝手につければ良いでしょうから、不思議ではありません。
現代でも寺での葬儀や、墓地の納骨時などでのトラブルを恐れなければ、戒名を自分で付けられます。そんな本も出てるくらいです。東京では寺の建物内での墓、堂内陵墓とか納骨堂、御廟とも言うのでしょうか、いわゆる都心部のマンションスタイルの墓は「宗旨・宗派を問いません」との売り文句ですので、20文字くらいの自作戒名で申し込んでも可能かもしれません。「宗旨・宗派を問いません」と寺側が柔軟にというか、本来の厳格な形を崩しているので戒名にだけ神経質になるとしたら理解しにくいことになります。ということで五右衛門から戒名の話に飛んで、南禅寺の話が出てきません。このブログに度々訪問いただける奇特な方々には、もう「慣れっこ」かもしれません。有名寺社の解説、紹介はNET上に溢れかえっています。後発が改めて同じような内容の写真や文字を並べることに、いつも躊躇しながらブログをアップしています。ですので時々、大脱線の言葉を写真間に並べることになります。まぁ、同じ写真、同じ紹介文になったとしても、やはりそれぞれ少しずつ個性が出ていて、それはそれで納得でき、オモシロイのですが・・。
▼「お前のタワゴト、タイガーにしろ!」叱られます。サブイ!