昨日、10月30日の朝は木枯らし1号が関東地方にやってきた。
いやが応でもこの先に待ち構える冬を意識させられる。
「出たくない 春まで冬眠 こたつむり」というような、冬の寒さが苦手な人がいる。得てしてそんな人は夏の暑さも苦手の人が多い。
人間は恒温動物だ。外気の温度にかかわらず体温を一定に保つように身体が機能する。
夏の暑さ、冬の寒さに弱い人は、おそらく身体が変温動物に近く身体温度の調節がうまくいかない人かもしれない。
人の手を握った時、とっても冷たい手、ジトッとして冷んやりしている手、暖かい手、汗が滲むほど熱い手があり、様々に体温というか、手の温度の違いを感じさせられる。
相手と状況次第でその手の温度とシメっぽさは相当「キショクワルイ」ものになる。
人は遊びでも仕事でも、瞬間に握手する機会は少なくはない。
そんな時には相手の手の温度とともに、肉付き、力具合、目線などで様々な事柄が判断させられる。ボディーランゲージの少ない我々日本国民だからこそ握手という行為に神経が研ぎすまされてしまうかもしれない。
相手と状況次第でその手の温度とシメっぽさは相当「キモチイイ」ものになる。
単純である。手を握った相手に好意を持てるか否かで二分される。
手の冷たい人は足も冷たく、いわゆる「冷え症」ということなのか、これからの冬は就寝時も寝入るのに時間がかかるようだ。
自分の体温は四季を通して36.5度。
冬場は人とクッツイているとホッカイロがわりに暖かいと歓迎されることもあるが、夏は「離れてて! アツイ!!」と勝手な言い分を聞かされることもある。
ここは御朱印ブログだ? いつものように何を書きたいのか分からなくなる。そもそも毎回、事前に何を書くか決めてないことの方が多い。キーを叩きはじめて右往左往しだすのだ。
武蔵野三十三観音霊場に限らず、タイムリーな御朱印紹介ではなく、いつも時間差があるこのブログ。
今回の時間差は2年だ。大きな違いはない。2年前の今日も木枯らし1号は、その年の数日前にやってきていた。
しかし、木枯らしは吹いても、本格的な冬にはまだ少し時間がある。
15番の所沢を過ぎると狭山市、入間市に入る。いよいよ街中から離れ、心和む風景にも出会える。
変温動物的な人たちも体温に左右される事がまだ少ない11月は、冬枯れに入る武蔵野を巡るのには最高の季節かもしれない。