2013年と2019年では朱印は変わっていませんが、それぞれの墨書きは微妙に異なっています。
▼御朱印はこちらの寺務所でいただきます。2013年は本堂横の受付窓口でいただきました。そんな頃の境内の様子や、まだ若い僧侶に直接対面で御朱印をいただいた時の事が懐かしく甦ってきます。
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▼大圓寺へは目黒駅前の目黒通りを西に進み、左手に見える遅い坂道を下ります。
坂の名は「行人坂」で、前につんのめりそうになる急な坂道を下ると左に大圓寺の山門が見えます。
▼訪問日の3月31日は大圓寺前もこの通り、桜が満開でしたので門前を通り過ぎて、ひとまず桜見物です。▼寺前の坂を下りきって目黒川方面に向かってみます。▼江戸時代は西に向かう、とりわけ目黒不動参詣のメインストリートだったこの坂の普段は、それほど人通りは多くないものの、「桜祭り」期間中には大して広くない通りが人で埋まってしまいます。
▼目黒川に架かる「太鼓橋」の手前の川沿いに造られた狭い歩道も人で埋め尽くされています。写真の対岸の通りはもう少し歩道が広くゆったりとそぞろ歩きができます。
▼中目黒から大崎方面まで目黒川沿いに4km近くの長い桜並木が続きます。
▼遊覧船に乗船しての眺めは地上からの眺めとは違うんでしょうねぇ!しかし、残念なことに2020年は「桜祭り」は中止です。
ボンボリは飾られず、遊覧船も出ないことでしょう。屋台はどうでしょう?
それもこれも「チャイニーズウイルス」のおかげです。
チャイニーズを恨むつもりは全くありませんが、自国が発生源であることを素直に認めようとはしない中国の姿は大人気ない!
さらに大人気ないトランプは「中国ウイルス」呼ばわりです。
「新型コロナウイルス」と呼ぶより「中国ウイルス」と言われた方が分かりやすい事は確かですが・・。祭りは中止となっても、桜の開花は中止されません。
人間のやることと自然界のなせる技の違いでしょう!
▼大黒天がいらっしゃる大圓寺に戻りましょう。
2013年は「元祖 山手七福神」での参拝でしたので、忙しなく寺の様子もゆっくり見ていません。
▼そんなんことから、当時はこんなものがあったかしら? と思われるようなモノも見つかりました。
▼大圓寺の本尊は「釈迦如来」ですが、本堂には大黒天も祀られています。白地に墨書きの幟にも「江戸城 裏鬼門守護 開運 大黒天」と書かれて堂々と立っていますので、この寺の「ウリ」は大黒天のかもしれません。
▼「阿弥陀堂」は「無量寿」の扁額で分かりやすいです。阿弥陀如来がいらっしゃるのでしょう。
▼大圓寺の境内でも一番小さいお堂「釈迦堂」に、御朱印にも書かれている重文の本尊「釈迦如来」がいらっしゃるようです。扉はカタく閉ざされています。
▼阿弥陀、釈迦の如来さまのほかに「薬師如来」もいらっしゃいます。キンピカになっていますが、例によって自分の身体のイタイ箇所と同じ箇所に金箔を貼り付けるシステムです。
▼観音さまもいらっしゃって、仏様のオールスターが揃っている感じですが、目黒不動が近いせいか、お不動さまの姿は見当たりません。
▼参拝者の多くは「おみくじ」を手にしてシゲシゲと読み、考え込んでいます!「おみくじ」がそんなに気になる事なのでしょうか?
運勢、手相見と変わらない「おみくじ」ですので、「当たるも・・当たらぬも・・」何とかですので、やはり気になるのでしょうねぇ?
気が弱く、おみくじも信じてしまいそうな身は近寄らないことにしています。
その昔は寺でも神社でもない、レストランとかのテーブルの上に置かれた地球儀のような「おみくじ」販売機に10円を入れてガチャガチャ回して、コロンと出てくる「おみくじ」が楽しかったのですが・・・! 地方などでごく稀に目にする事があります。
▼さて、大圓寺最大の「ウリ」「ミモノ」が境内の左手の斜面に展開しています。
▼「行人坂」の斜面に並ぶ石仏群は圧巻です。これほどの数の石仏を、都内では他に見つけられないかもしれません。大圓寺は不名誉にも、江戸三大大火のひとつ「明和の火事・行人坂火事」の火元とも言われています。その大火の犠牲者を供養するために建てられたのが、大圓寺からほど近い「五百羅漢寺」だそうです。目黒不動の参詣路の途中にある大圓寺、その先の五百羅漢寺。寺はすべて何らかの形で繋がっているようです。
▼見ずに、聞かずに、言わずにいれば、災いは降りかかりようがないのでしょう。
▼本当に、真剣に思うのですが、2020年の地球上を覆っている「中国ウイルス」罹患の身代わりになっていただけますよう願うばかりです。
▼ナムアミダブツ!さぁ〜て連休です、ウイルスを気遣いながら目黒川の桜と大圓寺の石仏群を訪れてみましょう!