墨書きも朱印もかなり色の薄い御朱印でした。補正して墨書きのみ色を濃くしてみました。
--------------------------------------------------------------------------------------
▼京都霊山護国神社は清水寺からも近く、高台寺とも隣接していますが参拝者は少ない神社です。全国にある護国神社の京都版ですが観光要素は少ないかも?
▼神社を参拝する前に二寧坂を散策してみます。
予想するまでもなく坂道は人で埋まっています。
坂の横道は静寂が広がっているように見えます。しかし坂道の喧騒は容赦なく耳に入ってきます。
▼ここが? の姿をしているスタバは、しばらく並ばないと何も買えません。
▼オシャレというか、日傘に使っても、雨傘にしても「目立ちたがり屋」のご用があるかも?
▼喧騒の二寧坂を下って突き当たった「維新の道」を右折すると目的の神社の鳥居が見えてきました。ここから神社までは長い坂道が続きます。
▼鳥居をくぐって振り返ると八坂の塔と、長い坂道を目の前にして躊躇する人々が見えます。坂道専門に往復するタクシーも見られました。夏場は繁盛するでしょう。
▼坂を登り切って、さらに右手に見える急坂の上の鳥居を目指すのかとビビリましたが、目的とは別な神社のようです。
▼坂を登ったら左でした。
▼境内に入るとすぐ右側に鎮魂碑、慰霊碑が建ち並んでいます。
▼広い境内に参拝者の姿はなく、あの二寧坂から300mも離れていないのに不思議!
他県の護国神社とは少し違う雰囲気を感じるのは京都ならではの「気のせい」かしら?
明治天皇の言葉により創建された神社は、東京の靖国神社より古く、近代の戦没者だけではなく、明治維新を目の前にして倒れた数々の幕末の志士たちが祀られています。
もちろん龍馬も祭神として祀られています。
彼らに柏手を打って挨拶します。
良くも悪くも彼らの犠牲の上に現代の日本があることは事実でしょう。
▼この建物内で御朱印をお願いして、建物上方の有料地域に足を進めてみます。
▼望遠で見てみます。あの辺まで登れば有料の価値を見つけられかもしれません。
▼振り返っていないでドンドン石段を登りましょう。
▼この山は招魂の溜まり場です。やはり他県の護国神社とは違う「維新の丘」です。
▼ほとんどは忠魂碑、慰霊碑のなかで、龍馬と中岡だけは「墓」と示されています。
と思いきや、同じ土佐藩志士も「墓」と示されていました。
▼坂本と中岡の墓です。分骨されたのか、彼らの墓は全国に複数あります。その数は人気度と比例するかもしれません。
▼墓の下で二人は仲良く京都の街を見下ろしています。
「万事、見にゃわからん」と言った龍馬は、現在の京都の街を見下ろして、どのように評価するのでしょう?
▼墓ではなく慰霊碑が山の上まで延々と続いています。
説明はできないまでも、耳にした名前がいくつかありました。
千年の都にふさわしい護国神社で、幕末の志士たちの信念と息遣いが感じられる、まさに霊山(りょうぜん)ですが、今は亡き志士たちの「梁山泊」でもあるようです。