アリの歩みのような熊野詣でした。
紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録されてから久しく2004年のこと。
訪れたのはGW。
早朝、東京から車で向かいました。同行者がいますので高速を使います。
新東名が開通したばかりの頃でした。
首都高の用賀を通過、東名に入った途端「三ケ日インター渋滞25km」という、いきなりテンション下がる電光掲示板。
新東名と旧東名が合流するインター。
なんなんだ! まだ午前4時!
三ケ日までは300km、状況が変化してくれることを願って走ります。
沼津から新東名に入り、初めての新東名です。
さすが走りやすい。スピードメーターに目をやると140km前後になっています。
その速度は意識できない、やばい、落とします。
走りやすいが景観は全くなし。変化もなし。
ただひたすら走る退屈な道路です。旧東名のカーブに多少のアプダウンや景観変化の方が好みです。
やがて愛知県に近づいた。甘くなかった。渋滞は緩和されていませんでした。
渋滞もいろいろです。
完全に車の流れが止まってしまう渋滞もあれば、30、40km位の速度でノロノロの渋滞もあります。
この時の三ヶ日インターまでの25kmは完全に止まってから、アリの歩みのような速度。しっかり2時間近く余計時間を取られました。
新東名から東名、その後も伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道、伊勢自動車道と乗り継いで行くのですが、途中何回も渋滞にはまりました。
昼も過ぎ一体何時に着くのやら気持ちは焦ります。
この日のうちに最低速玉大社と本宮は訪問しておきたい。
熊野本宮から速玉大社に移動する交通手段の一つ。もちろん小舟での移動は高貴な人たちしか利用できなかったようです。
車を捨て、そんな船でも利用したくなるような東京からの高速渋滞。
▼和歌山県に入り熊野川にかかるを渡ったのは午後3時を過ぎていました。
東京からの移動距離、約600kmをなんと約12時間近くかけてやっと目的地にたどり着いたのです。
一山に着く前からサンザンでした。
GWの移動です。普段休暇が取りにくい仕事についている人間はGWでの地方旅の選択もやむを得ません。混むのは覚悟の上。しかしこの時は運悪い状況でも最悪10時間で着くだろうと計算していました。
結果的に甘い計算でした。
この時よりずっと以前、やはりGWに南会津の田島へ出かけた際は、210kmを8時間かかった生涯最悪の渋滞を経験しています。
もちろんSAに立寄るのもままならず、SA近辺の道路脇で立ちションしてた男も見かける始末。
最近、夏休みは分散傾向にありますが、GWと年末年始だけは集中が避けられません。
▼やっとの「熊野速玉大社」。
結局、この当日は速玉大社、神倉神社訪問だけに終わりました。
▼「神倉神社」。
高速は集中大混雑でも、殆どの場合、目的地に着いてしまえば、その周辺の交通状況は悪くはありません。
だから目的地にもスムーズに移動できます。
▼それでも翌日の「大門坂」下は観光客であふれています。
▼「大門坂」を登り切って、目指すはさらに石段の先。
手水舎も行列ができます。
▼拝殿の前は長蛇の列。ほとんどマトモな写真も撮れず、人ばかりの写真になります。
▼それなのに、まだまだ参拝者が石段を登りやってきます。
▼滝下の鳥居の周りも人で埋まっています。
熊野古道のホンのさわりである大門坂も登り、大社、青岸渡寺、飛龍神社の参拝を何とか終え、御朱印も無事いただけました。
▼「熊野三山」最後の一社に向かいます。
賑わっています。当たり前かも。
▼そして境内に入りますが、ここですすみません。
この列には辟易しますが辛抱強く待つしかありません。
ここも思うように写真は撮れません。
▼どうでも良いような対象物をカメラに収めることになります。
訪問時の熊野にそれほど多くの外国人観光客はみかけられませんでした。
現在はどうでしょう?
今月の半ば雨が続いた1週間がありました。
その時に京都に行った知人の話では、雨にもかかわらず、伏見稲荷の千本鳥居の前は外国人で溢れかえって、全く前に進む様子がうかがえず諦めた、と言っていました。
東京の浅草もここ3、4年であっという間に外国人観光客が溢れかえるように変化しています。
だが、まだまだ外国人観光客を増やそうというこの国の方針。
熊野も外国の方々で賑わうのも間違いないんでしょうね。
「三山」を訪れたら「サンザン」も同時に味わわされる事もナチガイない、違う、マチガイない?!ということです。