▼諏訪山 吉祥寺の御朱印です。(曹洞宗・東京都文京区本駒込3-19-17)
2012年にいただいた朱印ですが、寺務所でお願いして待つ間、お茶の接待をいただき、おいしくいただきました。
しかし「お茶を出すとは、どんな意味があるのか?」
言うまでもなく
「よくぞお出でくださいました」「どうぞ ノドを潤しください」「くつろいで ください」「一息入れてください」
ダブった意味の言葉を並べたかもしれませんが、
まさにお茶を出すのは「おもてなしの心」の具体的行動の一つでしょう。
吉祥寺を訪問した日よりさらに遡って、
どこかの寺で初めてお茶を出された経験をした時は、温かく美味しいお茶をいただきながら思った。
この「おもてなし」に値する自分だろうか?
身が縮んだ!
その頃のワタシの知識は、まだ「曹洞宗」も「栴檀林」も人に説明できるほどでなく、ほとんどチンプンカンプンに近く、訪れた寺の歴史も、本尊も、何もかも知らずに御朱印をお願いしていました。
「ワタシは 何でお茶をいただいているのだ? 何をしてるのだ?」
いただいていた 美味しいお茶が、急に苦くなったのを覚えています。
お茶をわざわざ出していただくのはほとんどの場合、寺です。
御朱印を待つ場合、面接試験があるわけではありません。
ワタシも寺社を訪問する時、たくさんの予備知識は持ちませんが、ワタシにとって最小限の知識を得て挨拶に向かいます。
例えば、ここ吉祥寺なら本堂にお参りする時「南無阿弥陀仏」とは言わない! 程度です。
お茶を出された場合も、余裕を持って美味しくただけます。
寺名がそのまま駅名になっている駅はいくつもあって、東京だけでも高円寺、国分寺、泉岳寺、護国寺、祐天寺など枚挙にいとまがありません。
御朱印の有無は別にして、これらの駅近辺には当然、同名の寺があります。
しかし、JR中央線の「吉祥寺駅」を降り立っても「吉祥寺」とう言う名称の寺は無い。
▼「吉祥寺」はここにあります。文京区駒込です。
▼「本郷通り」の東側に立派な山門を構えています。
▼「栴檀林」と言うのは仏教の学寮の事だそうです。
「栴檀は双葉より芳し」と言う諺を知っていたものの「栴檀林」の「せんだん」と同じ意味だとは思いもよらず、別物と思っていました。
駒沢大学の前身にあたる学業の場であったそうで、校歌の歌詞にも使われています。
寺は当初、水道橋近くにあって、その後、明暦の大火「振袖火事」によって門前町が全焼。
その焼け跡地は大名屋敷になりました。
寺はここ駒込へ移動させられ、門前町から焼け出された住人たちは幕府の斡旋により、武蔵野の地の開墾のため現在の吉祥寺に移住。
その開拓者たちが以前住んでいた門前町を懐かしんで付けた名が「吉祥寺」という事のようです。
ですから武蔵野市吉祥寺には寺は無く、駒込の吉祥寺が故郷という事になります。
▼新緑の頃は参道をはじめ、どこも緑がモリモリです。
▼1804年建立の経蔵。江戸時代からの建物は山門と経蔵だけだそうです。
▼「振袖火事」の話が伝わる「お七 吉三郎 比翼塚」。仲睦まじかった二人、悲劇に終わった二人などを、後の世の人が祀った塚を「比翼塚」と言うそうです。
「お七」は、明暦の大火の諸説ある失火原因のひとつにも関わってきますが、江戸時代には真実をもとに尾鰭をつけ、面白い話に仕立て上げる作者が多くいたようです。
そんな代表選手のような井原西鶴は「好色五人女」。「お七」をモデルにした物語を面白おかしく書いています。
▼茗荷を絶って痔病の平癒を願ったそうです。食材の中で「茗荷」は、あえて「絶つ」ほどの存在とは思われませんが・・。
▼最近はこの稲荷社の「茗荷稲荷大権現」の御朱印もいただけるそうです。
▼二宮尊徳の墓碑。「墓碑」であって「墓」ではない?
尊徳の墓は、その存在が小田原や今市の説がありますが、正確な埋葬地はわからないようです。
現代では尊徳がどんな人物だったか知らない人が多いかもしれません。
その昔は小学校などの校庭には、必ず薪を背負った二宮金次郎の石像がありました。
今じゃ、東京では八重洲ブックセンターに行かなければお目にかかれません。
場所柄なのか吉祥寺にはこのほか、箱館戦争で敗北した榎本武揚など、多くの著名人の墓があります。
さぁ、吉祥寺ではない吉祥寺に行きましょう!