三十三ヵ所の寺はすべて御朱印で埋まり、
那古寺で「結願」の印も押していただけました。
しかし、ここで完結ではないのです!
御朱印帳には33番の那古寺の後にさらに2ページ、善光寺と北向観音の御朱印をいただけるように作られています。
番外ですが、他の霊場の番外とは扱いが少し異なります。
結願のお礼にこの二つの寺にお参りするのが、昔日より習わしとなっているとか。
▼ご丁寧に、その2ページの頭部分にも「結願御礼の寺」「善光寺対の寺」と印刷されています。
習わしだとしても、このシステムは全く上手くできています。
逃げられないのです!
東京から、日本全国から長野、上田まで出かけねばならないのです。
結願して、この2ページ、2寺を無視、さらに「御礼」「対」の2文字を無視できる人は相当なドンカン、ツワモノです。
そんな人が恨めしくもなります。
この2ページの御朱印が埋まらないと気持ちが悪い。
何とも治りの悪い、落ち着かない思いにさせられます。
きっと、殆どの人が同じ思いになるに違いありません。
でもホントのところは、みんな多くの時間を費やして三十三ヵ所、全行程1300km以上を巡ってきた人たちだから、嬉々として長野まで出かける人が殆どでしょう。
逆に、坂東の御朱印帳を初めて手にして、まだ真新しい白い綴りが続くその最終ページの2寺を目にした時「ニヤっ」としたかもしれない。
「これで、善光寺にお参りできる」と。
「近いうちに必ずや・・」と心に誓っているはず。
勿論ワタシも、この2ページが、いつまでも埋まらなく気持ち悪い、落ち着かない期間が結願から14ヵ月続きました。
長野までの道のりは長いのでした。
▼結局、御朱印をいただきに長野まで出かけられたのは、結願の翌年秋でした。
▼訪問時はとんでもなく大勢の参拝者に出会いました。
▼結願御礼の寺 定額山 善光寺(無宗派・長野県長野市元善町491)
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▼そして上田の別所温泉です。
「北向観音」までやってきました。
▼善光寺対の寺 北向山 北向観音(天台宗・長野県上田市別所温泉1656)
メデタク最後の2ページを埋めることができました。
そして、この長野への御礼の旅へでかけたこの頃から、やっと那古寺の住職の言葉を自分のものにできるようになりつつあります。
「御朱印、御朱印!」と忙しくアチラコチラ回らないでも構わないような自分になっていました。
この話は、また後日!