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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

御旅所 日本橋日枝神社と兜神社の御朱印(東京・中央区)〜旅する神様! 株する神様?

日本橋日枝神社(御旅所 )の御朱印です。(f:id:wave0131:20191002192841j:plain

「山王御旅所」とありますが、赤坂日枝神社の摂社となると神社です。

▼同じく2012年の御朱印f:id:wave0131:20191002192837j:plain

2012年時点の「日本橋日枝神社」では「赤坂日枝神社」と全く同じ体裁でした。

 

兜神社御朱印です。(f:id:wave0131:20191002192833j:plain

兼務されてる日枝神社でいただきました。

 

▼「赤坂日枝神社」と同様の栞とストラップをいただきました。f:id:wave0131:20191002193056j:plain

 

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日本橋茅場町は江戸時代初期は「茅」の生える湿地、低地でした。

その「茅」を屋根葺き用の材料として商う人たちが多く住んでいたことから地名の由来になっているそうです。

現在は証券会社などの多いビジネス街。企業ビルばかり林立し飲食店舗の少ない、一般には表面はあまり面白くない街です。

 

▼神社の唯一の参道も見つけにくいビルの谷間にあります。

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▼覆いかぶさるようにビルが左右に迫る肩身の狭い参道。

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▼ビルの間の参道を抜けると、境内は狭いものの思ったほどではなく、ビルの谷間のように、ポッカリ開いた穴のような空間となっています。

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祭神は赤坂本社と同様に「大山咋神(おおやまくいのかみ)」を主とします。

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しかし、この神社は御朱印にも記されているように、赤坂本社の「神」が「一休み」される「御旅所」となっています。日本橋の神が赤坂からお出ましの本社の神をねぎらうのかもしれません。

6月に本社の日枝神社では天下祭、日本三大祭の1つとして「山王祭」が盛大に開催されます。

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その祭り行事の一つとして神幸祭の巡行は、その祭礼行列が2、300mほどになり、赤坂の本社を出て四谷、皇居、丸の内、銀座、新橋、日比谷の街をほぼ1日を費やして雅に練り歩きます。

f:id:wave0131:20191002193024j:plainそして途中の昼過ぎに、日本橋茅場町までやってきた行列は止まり、神様にここの神社で一休みいただくのです。f:id:wave0131:20191002193020j:plain

本当のところは「一休み」ではなく、ここ日本橋日枝神社への「渡御」自体が目的かもしれません。

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そもそも幼い頃は「神輿」は「オミコシ」でした。

愚かにもまさか神社の神様が載っているとは思っていませんでした。

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「オミコシ」を「御神輿」を漢字で理解し、

「神」の乗り物「輿」であると知ったのは大人になってからのことでした。

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しかし、普段は神社の本殿に鎮まっている神様がなぜ祭りの時に「輿」で担ぎ上げられ、神社の外に出て町内を練り歩くのでしょう?

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神様も1年中本殿の中に閉じこもっていると「タイクツ」だから、七夕のように1年に1回だけの祭日に外に出ていただく! のでしょうか?

いや、そうじゃないようです。

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神様に本殿から出ていただき、ご足労願って、その権威・威厳とご利益を振りまき、厄災を抑えていただくことが目的のようです。

おおよその話ですが・・。

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神道の面白いところで、神々に「旅」していただいて初めて祭が成り立つのです。

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そこを比較すると仏教では「」さまが外に出ることは少ないでしょう。

仏の「出開帳」は」祭りと言えなくもないですが、仏とご利益の出張でしょうし、詳細は全く思い出されませんが、信者の手によって関西から北陸を往復する仏などは例外的でしょう。

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この神社に話を戻しますと、江戸名所図会にはとても賑やかな様子が描かれており、縁日や勧進相撲なども行われたそうです。

当然境内はもっと広く、今も神社の横に残っている薬師堂の別当智泉院、閻魔堂、天満宮、稲荷社、浅間社などが建立されていたそうです。

江戸時代の寺社は、現在に残っている姿と比べると総じてとても賑やかだったようですが、ここの神社も参拝して当時の賑やかさを描くのには逞しい想像力が必要です。

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▼旅する神さまの話から、株取引される神様「兜神社」に移ります。

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「株取引される神様」はジョーダンですが、

兜神社は周辺に多い証券会社、株取引会社の象徴、鎮守として明治時代に建立された神社です。ですから小さくて無住です。

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▼神社側の正確な由来はここにありますが、もちろんワタシの雑な説明より詳細。

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どこの神社も由緒、由来は古く、深く、ややこしくて、とても覚えられるものではありません。

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それでなくともこの神社は日本橋兜町、株取引の企業が林立し「株」と「兜」のシャレかと思いたくなりますが、そうではなく「兜」と「鎧」に繋がりがあるようで、さらに源義家や将門も関連ありで、全くチンプンカンプン。

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▼「明治27年3.1 起工」の文字が読めます。

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神社の由来は1ミリほどしか理解できませんが、きっと間違いないことが一つあります。

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1991年にバブルが弾けるまで、この街に勤める者は誰しも「ジュリアナのお立台」に上がっているような状態でした。

入社1、2年で1000万円の年収もウソではありませんでした。

彼らは毎朝この神社に感謝し、いつまでも続くように祈願したことでしょう。

f:id:wave0131:20191002192904j:plainしかし彼らの中には「勝って兜の緒をしめる」ことを忘れてしまった者もいました。

いや、けっして勤務してる者の責任でもなく「緒」をしめたところで どうにもならない経済の流れでした。

社員は悪くありません!」と社長が泣きながら訴えた、バブル後を象徴するような不正会計で破産した「山一證券」の牙城は、「茅場町タワー」と名称を変え、外見は変わらずに今も近くの永代橋の脇にサミしくそびえています。

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兜石に兜岩、平安時代まで遡る言い伝えがあるそうです。

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兜と株と蕪、さらに「おいちょかぶ」に「スーパーカブ」。

「かぶ」は不滅のようです。

 

wave2017.hatenablog.com

 

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