▼長谷寺 開山坊 法起院の御朱印です。(真言宗豊山派・奈良県桜井市初瀬)
中央の墨文字は「開山堂」。御朱印は西国三十三所札所番外のものです。
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▼近鉄「長谷寺駅」から長谷寺へ続く道が、大きな寺へと続く参道らしき雰囲気に変わってくる頃に「法起院」の山門が遠慮深く現れます。
この寺が西国三十三所の番外札所であることは知っていたものの、長谷寺の塔頭であることは後で知りました。
718年に徳道上人により開基されたと伝わる西国三十三所観音霊場は2018年に、草創1300年を迎えたそうです。
その徳道上人の御廟があることから番外札所になっているようです。訪れたのは2014年ですが、今も山門から本堂まで趣のある寺の様子は大きく変わっていないことでしょう。
現在は西国巡礼者はもとより、御朱印を求めて長谷寺にやってくる人たちも、この寺は絶対外せないはず。
▼本堂になる「開山堂」はコジンマリとして、とってもいい姿をしています。
向拝左の柱には「己を見つめよ」と言われているような、この寺の御詠歌が筆書きされています。
1300年の時間は徳道上人が創建された頃の姿を何一つ残していないように思われますが、それでも江戸時代に再建されたお堂は、創建時を彷彿するのに十分のような気がします。
正確な年代は知らないところですが、寺のHPによると白洲正子もこの寺を訪れ
「ささやかなお堂と、石塔が崩れたままで残っている・・・この寂れたお堂の方が今度の旅では印象的に残った」
と、その感想を残しているそうです。
ワタシも人が多く訪れる大きな有名寺を訪問しても、感動もそれなりで、深く記憶に残るモノが少ない人間です。
そんな中で、いつでも鮮明に記憶が蘇る寺社は決まって、忘れられたような空間の中で、とんでもない時間を凛として佇んできた寺社たちです。
▼今は整えられている「徳道上人の御廟も、白洲正子が訪れた時間には「石塔が崩れたままで残っている・・・」状態だったのでしょう。
▼白洲が多くの言葉を残していないこの寺ですので、当時は仏足石もなかった?ところで、もう一つこの寺の面白いものが本堂の裏手になる場所にあります。
「葉書」の語源となった木だそうです。別名「ハガキの木」。
「郵便局の木」とも呼ばれ、東京中央郵便局はじめ各地の郵便局の前にも植えられているとか。
葉の裏にキズを付けると、そこが間もなく黒くなるので、昔はこの葉で情報の伝達が行われたことがあったそうです。
現在は願いが叶う葉として多くの葉がキズだらけ。
手の届く範囲の葉は全て願いの文字で埋まっています。
常緑樹だそうですが、新しい葉の供給が追いつかないほどです。
人間サマの願いの多さにカマキリも呆れかえっていることでしょう。
交尾中にオスを頭からムシャムシャ食べてしまう事もあるメスカマキリ。想像すると何ともおぞましいのですが、人間社会もおぞましさには負けていないかもしれません。