ご住職の息子さんたちでしょうか、または近所のお子さんたちでしょうか、2人の子供たちとのキャッチボールを中断して笑顔で対応していただけました。
本法寺のHPの引用です。
本法寺の山法
一、法師たらんものは給事第一たるべし
一、法要葬儀等に臨みては当に輪王の気概あるべし
一、檀信徒来客に対しては懇切丁寧いやしくも粗暴の振舞あるべからず
まさにこの通りの対応で、恐縮いたしました。
こういう場面では毎回、日蓮宗の知識の少なさに情けなく「もう少し深く、日蓮宗を知らなければ・・」と思わされます。
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駅前と言っても駅を降りた通りに寺の姿は見えません。
▼地下鉄駅から地上に出て「仏壇通り」とも言われる「浅草通り」から南へ一歩入ったところにあります。この地域は寺の密集地です。いったい幾つあるのか見当もつきません。
御朱印、御首題がいただける寺も多く、気がかりな地域です。
しかし、数多い寺のほとんどは広くない境内で、参拝者は見当たりません。
そんな寺は御朱印、御首題をお願いするのに二の足を踏むことも多いのです。
しかし、特に目的を持って歩いていた訳ではないのですが、
▼神社ですと玉垣でしょうか、寺を囲む石の塀が赤い文字で埋まっている寺がありました。
▼特に寄席や落語が好きでなくとも、聞き覚えのある名称が並んでいます。昭和の噺家や寄席の名前のようです。これじゃ、落語や噺家に詳しくなくとも境内に侵入してみるしかありません。ということで、行き当たりばったりで訪問の本法寺。
▼キャッチボールのボールを見上げている少年。この後、境内を一巡してから御首題をお願いしました。
▼白狐が祀られた「熊谷稲荷」。かつては芸能界や花柳界に名高く、多くの信仰をあつめて賑わっていたそうです。白狐を祀る「熊谷稲荷」はここ本法寺と青森の2ヶ所にしかないそうです。
▼筆塚は書家の田中千代の建立だそうです。
▼「熊谷稲荷」に由来する朝倉の武将、熊谷安左衛門の和歌碑。
▼最初は「二羽塚」と読んでしまいました。正しくは「扇塚」でした。平成に落語芸術協会により建之されたそうです。
▼「はなし塚」は、日本が戦時体制に突入した昭和16年の時局に適さない、落語や講談の演目の台本が収められているそうです。
簡単にいうと、一億国民が戦争に対峙しているのに、庶民の娯楽としての落語などで酒、女、遊里、廓などの演題や艶笑話とは何事か!このっ非国民!
と、オカミからの禁止のお達しが出たということです。
噺家は泣く泣くそんな演題を諦め、台本をもここ本法寺に埋めたということでしょう。
国が勝手に始めた戦争に、一般庶民も右に倣えを強要された理不尽な時代の話です。
この寺はこの他に塚がイッパイあります。
とりわけ噺家や芸事にまつわる塚が多くあります。
噺家や寄席などにまつわる寺社はいくつも他にあります。
上野の下谷の「下谷神社」は「寄席発祥の地」の石碑があります。また同じ台東区の「蔵前神社」は古典落語の舞台にもなっていて、落語とも縁の深い神社です。さらに中央区の「川崎大師東京別院・薬研堀不動院」は講談発祥の地の碑があります。
もっとも話の中に出てくる寺社や場所をあげたらキリがありません。
そんな中でもここ本法寺はとりわけ噺家たちにとって縁の深い寺で、彼らの聖地とも言えるかもしれません。
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ところで、日本中が自然災害で喘いでいる人たちが多い中、ノーテンキに御朱印のブログ記事など書いているのも、見方によっては非国民かもしれません。
亡くなられた方々の冥福と、被災地の方々の1日も早い復興を祈るばかりですが、
▼御朱印一体分でもよいので、これです! こんな時期にブログを書いている者のせめてもの良心です。
「愛は地球を救う」なんて言葉を鵜呑みにするほど青臭くないけど、
御朱印収集者の数%の人でも御朱印1体分の寄付が集まれば、そこそこの数字になると思われます。
ワタシは貯まっていたポイントでの寄付でしたが、みなさんどんな形でも良いです。
わずかな寄付でも、きっとBLOG更新時の気持ちは「ハレ」たものになります。