中世の越前には宗教都市が2つあった。
名称は御坊だが都市を形成していたはず。
▼ここは1506年、朝倉氏により葬られている。
もう1つは泰澄によって開かれ、巨大宗教都市となった「白山平泉寺」。
ここも1574年、一向一揆衆により焼失している。
誇張としても、ここには6,000もの坊舎があったというからスゴイ!
それらが全て失われた。
▼往時の平泉寺図。
両寺とも復興、再興をはかったものの往時を再現できるはずもない。
現在残っていれば、どれほど魅力的なものであるか測り知れない。
今は想像力を最大に発揮して当時を偲ぶしかない。何とも惜しいことだわね。
▼平泉寺 白山神社の御朱印。(福井県勝山市平泉寺町平泉寺 56)
「神社」「寺」の2種類が同居している御朱印は初体験!
ということで、かつての宗教都市の絵図とにらめっこして、往時の姿を探しながら歩く。
▼勝山城博物館近くから往時の旧参道が菩提林に覆われて1kmくらい続く。
▼精進坂。社頭の上2文字が埋め消されている。何が書かれていたか不明。
▼一の鳥居。
▼社務所の奥が「旧玄成院庭園」になっている。ここで御朱印をいただく。
▼拝殿の少し手前の今宮神社。
江戸時代に再建されたそうで、往時の姿をよく残しているとか。
それにしても他の神社の拝殿が頭に浮かぶから、ここは大き目のお堂のようなイメージ。
神も仏も仲良くしていた頃の形だから、これでいいのだろう。
往時は京都の三十三間堂より大きかったそうだが、この森の中では想像しがたい。
参拝者の数はソコソコだが、欧米の外人さんが目立つ。彼らは何を求めてやってくる? 1300年も続いている日本の霊域の神秘性を感じられたかしら?
長い。夏はきっと💦1リットル。
白山神社の建物はどれも小さく、素朴そのもの。往時の姿がそのままのようで、立派な建築物を期待するとガッカリすることになる。
まぁ、みなさん事前知識を持って、そんなものを望んでの参拝者はいないだろうね!
一向一揆以後は500年という静かに紡いできた森と苔の時間を体感しに来てるんだろう!?
三ノ宮の右手には、かつての僧院の石畳が発掘された地へ続く。
境内だけを見て、この石畳を目にしないと宗教都市だったことを思い浮かべるには難しいわ。
それにしても今回のブログ、ここまでで「オチ」がない、オモシロくない!
これじゃ意味がない。白山神社公式サイトでオツリがくる!
いいよ! さっさと移動して・・。
では、独り言にします。
この神社は広く深い森の中にあるのに、何故か神々しさを大きく感じられなかった。感受性の鈍さか、信仰心の欠如か、他に理由があるのかな?
例えば関東の鹿嶋神宮などは同じく深い森で境内を形成していて、奥宮に近づくほど神域であることや神々しさらしき感覚を抱かさられる。
山頂に奥宮を設ける山岳信仰や、神仏習合などの違いも影響しているかもしれない。
静岡県の富士山本宮浅間大社なども境内は明るく晴れ晴れとしているイメージだ。
あまり明るい神社には神の近さを感じることはないわねぇ。
薄暗いくらいに木々に覆われてる場所だと神々の存在が意識させられるのは、性格が「暗い」からか?
しかし、この地域が宗教都市だったこと、神仏を信じる人たちにとって「まほろば」であったことを想像するには楽しい。
そして鳥居を抜けたら近代的なものが何一つない事が、この神社には最もふさわしく思う。
では信仰心の薄い現代人はそろそろ別な「まほろば」に移動することにする。
白山神社から1時間ほど山道を走る。福井県から石川県内に入ってこの日の宿に着く。
この写真は翌朝のもの。左の建物が囲われているのは「雪囲い」?
俗世間に晒され濁った目にも、白山はこんな姿で心に焼き付く。忘れはしないわ。
小屋ではないか?!
立ち寄り湯、宿泊施設として白山登山の人々にも利用されているようだ。
今年、宿泊を受け入れたのはこの日、4月28日が初日。
雪で閉ざされていた宿までの山道が開通したのも数日前とか。雪に閉ざされ交通機関もない宿は、冬に営業はできない。
御朱印旅はほとんどが一人旅。行動の効率的な宿を選ぶから殆どが街中のホテル。
しかし今回は温泉フリーカーが同行。で同行者が選んだ宿である。
温泉が嫌いなわけではないが、御朱印優先の一人旅ならば、決して選ばない地理的に範疇にない宿。
今回の旅は御朱印収集の効率性は諦めている。
俗っぽい観光と温泉も含まれている。それも良い! 俗まみれの自分には。
さっそくザブンしてくる!
温泉解説は多くしない。見ての通り、いいじゃん、確かにすばらしい秘湯!だわね。
ごはんよ!
豪華絢爛なゴチソーに遭遇しても写真は掲載しないというのが、へそ曲がりブログのコンセプト。
しかし山の温泉一軒宿の夕食は質素だ。
ゴーカ・シッソのボーダーラインがアヤフヤだが、これなら「掲載OK」。
何がアサマシーかというと「これでもか!」という自慢気な写真ほどイヤミなものはない!と思っている。
なぜだ? そこに、その時間に、その空間に自分自身を置く機会がないからか?機会はそうでもないかも。
なのに、
一緒に喜べない ネタミ、ソネミ、ヒガミ?
きっと、少しだけだとしても誰もが抱く感情?
そこを突いてくるのが「素晴らしい写真」では? ステータスを誇示?!
aahh~~~ 私は永平寺で、この煩悩を撃沈させたいものの、まさに「門前払」でしょうね!
でも煩悩はステキだ!
質素だが岩魚の塩焼きはメチャ美味しかったし、ニジマスの刺身は初体験でビックリ!
何でも初体験は忘れられないもの。
煩悩万歳!
今夜はこれまで。
「おやすみ!」です。
まだ見ぬ世界の扉が開き始めたあの頃の初夏、遠くなってしまった夢でも追いかけましょうか?!