三社の遷座位置は二等辺三角形を作っています。各社の本殿の向きも三通り。
そして、その社の延長線上に日光東照宮があり、江戸城、増上寺、富士山があったりするそうです。古代からある三社を江戸時代の人々が意識して構築したものでしょうか?
浪漫でしょうね、きっと。このスタイルの不思議は、他にもよく見られパターンで、探ればひねり出せます。
不思議好きな現代人が生み出したものとしか思えない、と言ってしまうと「それを言っちゃー、おしまいよー」。
人の三角関係は厄介で、結末は誰かが、もしくは三者全員が悲劇を自らのものとすることになります。
東国三社の神々たちの三角関係は決して崩れず、その不思議と奇跡は現代において発見されたとしても、そこに神を感じる人々とともに、永遠に未来に伝わることは間違いないでしょうね。
他の二社とは違い、派手さはない息栖神社。それだけに地域の人たちの守り神としても機能して、また、今はまだ参拝者もまばらで観光化されていないだけに、ホッとして、好ましいものを感じます。
格式高い神社にあるべき、潔く簡潔な御朱印。
折角のイサギ良さに苦言!! 少し傾いた「東国三社」の黒スタンプは、他の二社に対する劣等意識を露呈するようで無用。大丈夫、わざわざ、このスタンプを押さなくとも、私たちと多くの参拝者は理解しております「東国三社」の一社だと。
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香取神宮の参道はいくらか登り坂になります。
駐車場から歩みを進めると、左右に土産物店がいくつか並び、物欲しげ顔のお姉さん、おばちゃんたちに出会えます。その顔と声を冷たく無視します。
砂利敷きの参道は途中で曲がります。
鳥居から楼門、拝殿まで一直線に一気に見渡せるスタイルも好きですが、この先、曲がった先に何が待ち構えているか、想像して歩みを進める参道の方がより楽しく好きです。
見えてきました。曲がった先、総門。
息栖神社とは趣を異なり、朱色が派手でスケールも派手です。神はここで嬉々として輪舞していることでしょうね。
鳥居の扁額には見られませんでしたが、「神」の字の旁(つくり)「申」が長く伸びている。他社で見た覚えはありません。
「Logo」だと捉えますが、この長さ何か意味あるのかしら?
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関東以北から伊勢詣に出かけた江戸時代の人々は「下三宮参り」として、東国三社を詣でたそうです。
坂東の善光寺と北向観音と同じ意味合いなのでしょう。参拝順序は鹿島→息栖→香取だったそうです。
ここでは、その順序は全く無視しましたが、鹿島神宮は「神宮」の名に相応しい社です。その神域は広大。
なんでもない週末に三度訪れています。茨城県です。でもゾロゾロといつも参拝者は絶えません。
森は深い。奥の院に向かう入り口。
さらに神に近付く道は高い木々に覆われ、陽も届きませんが、神々しさは増してどんどん届いてきます。
ここで神は自分たちと出会えるのを永い間、待ってくれています。
奥の院の左手から急な坂を下りると「御手洗池」。
そしてホッとするお休み所もあります。
御手洗池。お手洗いではない!
お手洗いはこの写真の左手、50mほど先にあります。
鹿島の神の存在感に余りにも圧倒されて疲れます。
売店の焼き団子を買って、縁台でほおばると気持ちもほぐされます。ほぐされながら気持ちがモゾモゾ動きます。
自らの姿勢を鹿の角に例えるなら、メチャ曲がっています。鹿島アントラーズのような真っ直ぐな強靭な「角」になるべく矯正努力か、全く負けて角を切らせるか、二者択一。どうするのよっ?
まだ間に合う、何時でも、何歳でも、全てはスタートさえ切れれば、遅くはないのだ!
その相手を前にして、頭を下げアントラーズを真っ直ぐ伸ばせー。