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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

飯香岡八幡宮の御朱印(千葉・市原市)〜かつては潮の香りがした 重文の本殿、ほか見処いっぱいの古社

飯香岡八幡宮御朱印

いいがおか はちまんぐう主祭神誉田別尊

 

御朱印の構成は中央下の印が異なっていますが、記帳いただいた宮司さんは変わっていないようで何よりです。

 

飯香岡八幡宮御朱印です(2020年)。f:id:wave0131:20200210143826j:plain

飯香岡八幡宮御朱印です(2016年)。f:id:wave0131:20200210143821j:plain

初回の訪問での記憶が薄い、約4年間のブランクの御朱印ですが、2体とも同じ筆跡ですので、記帳していただいたのも同じ宮司さんのようです。

この御朱印のために再訪する人は少ないかもしれません。

ワタシはどこかが曲がっているのか、派手なキラキラ御朱印のために再訪はしませんが、クラシックな御朱印の体をなしていれば、再訪して御朱印をいただくこと度々です。

 

御朱印はこちらの授与所でいただきます。2016年は300円、2020年は500円受け取っていただきました。

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▼こちらの神社でもオリジナル朱印帳があることは少々驚きです。

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購入してはいませんが、シンプルでとても好感の持てるデザインでした。

 

▼最寄駅のJR内房線「八幡宿駅」から徒歩数分です。

「八幡宿」は中山道にも同じ名前の宿場町があり、全国にはほかにも同一地名がありそうですが、名前の通り江戸時代までは陸海の交通の要衝であった宿場町でした。

 

そして戦前から戦後までは海水浴や潮干狩り、すだてなどが可能な観光地でした。

遠浅の東京湾の海が神社前までヒタヒタと波打っていたに違いありません。

写真は撮り損ねましたが、神社境内にこんな文学碑がありました

次の汽車までの2時間を過ごすために海岸べりの神社の境内に出かけた

ほこりっぽい停車場よりも潮の香りのする緑の森の園のほうが快適だったからである

直木賞作家の立野信之の文学碑です。

 

しかし戦後も昭和30年代以降になると市原市東京湾沿いは、三菱、三井をはじめとする巨大プラントが続々でき、味気ない一大工業地帯となります。

今は、宿場町も海辺も当時を知るヨスガは全くありません。

 

ですが、ここ飯香岡八幡宮には当時の香りがいくらか残っているようです。

ところが2019年9月の房総半島を襲った台風が、この神社もヒドく痛めつけました。

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▲上は2016年、▼下は2020年。季節は異なりますが、木々の鬱蒼感がなくなっています。

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重文の本殿や大鳥居のは大事なかったものの、小さな境内社や、多くの木々に甚大な被害を被り、2019年の大祭も中止されたそうです。

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▼台風では無事だった鳥居の扁額は屋根? 向拝? 付きの珍しい形をとっています。

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▼鳥居脇の左右に立つ新しそうな灯篭は獅子と竜の彫刻が見事です。

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▼2016年撮影の本殿。

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▼今回訪問の本殿。やはり台風で倒木したのでしょうか、木々のスカスカ感があります。

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千葉県では一宮の香取神宮と、この神社しかない重文である本殿が大きな被害を被らなかったのは不幸中のサイワイでしょうか?

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そんな理由から神社の建物や木々は片付けられ整理されていますが、広い境内はまだまだ復興途中とみられる箇所があちらこちらに残っていました。

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▼笑ってる場合じゃないと思いますが、嘆いているようにも見えます。

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▼美しい拝殿の左右には台風により傷んだ木々を養生した跡が見えます。

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鳥居の額は「八幡宮」とだけ記されていました。

▼本殿の「国府総社」の額は、鳥居の額に地名を冠さなくても良い、地域の八幡社の代表である誇りを感じさせます。

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飯香岡という美しい名称は、日本武尊が東征の折に神社から供された食べ物に対して「この飯の香 至極宜し 依ってこの勝地を飯香岡と謂うべし」と悦びの言葉をいただいたと伝わっています。

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▼拝殿側面。

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▼2016年の拝殿から本殿の側面です。木々に守られているかのようでした。

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▼今回の修復中の本殿側面。やはり台風でどこか傷んだのでしょうか。

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楽殿

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忠霊塔の周辺は広々としています。台風による倒木が周囲を明るくしてるのでしょうか?

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大神宮天神宮などの境内社が、とても覚えきれないほど展開しています。

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▼頼朝が植えたと伝わる神木の「さかさ銀杏」は無事だったようです。

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▼しかし老木の「夫婦銀杏」はボキボキ、バキバキの様子が伺えます。

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神龍は湧き出ていませんでしたが、裏側に神水?が出る蛇口がありました。

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▼やはりここは市川市ですので、出羽三山の登拝記念碑が数多く建っています。

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浅間神社などの小さな鳥居は、やはり台風で倒壊したそうですが今は修復された後のようです。

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浅間神社富士塚は山頂近くまで登れました。

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富士塚の頂近くから社殿を眺めてみました。

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▼鳥居の方に戻って神池をグルッと回ってみます。

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▼台風でイタイ目に合わされても、負けずに立ち直るかのごとく勢いのある噴水です。

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神代からの歴史を持つこの神社は、2000年もの間には様々な天災、人災に遭遇してきたはずで、それは神社が存続する限り未来も続くものかもしれません。

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気の遠くなるような長い時間の流れの中では、2019年の台風災害も歴史としては記すに値しない微々たるものかもしれません。

しかし厄災の大小に関わらず、その都度立ち直ってきた二千年です。この先の厄災もその都度立ち上がり、さらに二千年先、四千年へ続く神社であってほしいと思います。

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