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御朱印迷宮 /Goshuin Labyrinth

御朱印収集目的には殆ど役立たずなブログ!かも

奈良井・長泉寺の御朱印 〜 茶壺におわれてトッピンシャン〜 木曽路を南下❷

玉龍長泉寺曹洞宗長野県塩尻市奈良井)の御朱印です。f:id:wave0131:20180918192022j:plain

本堂に入って朱印をお願いできるか尋ねる。

応対いただいた、にこやかな奥さまらしきご婦人、ちょっと背後を2、3度振り返り、躊躇しながら「ちょっとお待ちくださいねっ!」右手の庫裏らしき方向に消える。

 

(あらら、お忙しいのかしら?)と、内心(書置きでいいのよっ!)と思った。

 

戻ってこられた。

はい、お預かりしますねっ!」私の朱印帳を持ってまた庫裏へ。

 

後でわかった。

帰り際に「上がって、お茶でも飲んでいきなさい」と声をかけていただいた住職は来客中だったのだ。

奥様は、その来客中の住職に朱印帳への直書きが可能か、訪ねてくれたようだ。

で、来客中にもかかわらず住職に朱印帳に揮毫いただけたのだ。

 

その間、奥さまと20分ほどお話。(内心は思いのほか時間が長引いて少し焦っていた)

 

▼「わたしが作ったの!」と渡された。f:id:wave0131:20180918192914j:plain

あらっ! キレイで作りがシッカリしてるのね、ウレシーです

本当にありがとうございました。

朱印とともに500円じゃワルイわっ!

結果的に今回の長野3日間の旅で、ぜひ再訪してみたい寺のBEST 3の一つでした。

 

この感覚は神社でも同じで、メジャーな寺社ではアリエナイ!

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▼前回記事の「大宝寺」から奈良井宿を南に進む。「手打そば」にはまだ時間が早い。
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▼明治前まで「問屋」を担っていた手塚家の先に・・・f:id:wave0131:20180918192024j:plain

▼こんな門構えが。門は奈良井宿の元 本陣にあったとか。f:id:wave0131:20180918192038j:plain▼「三門」をくぐる。f:id:wave0131:20180918192025j:plain

▼端正さは完璧で、禅寺らしさ満開。f:id:wave0131:20180918192037j:plain

▼鐘楼も「リッチ」な雰囲気。f:id:wave0131:20180918192036j:plain

▼本堂に入る。f:id:wave0131:20180918192026j:plain

▼入ってすぐ天井を見上げる。f:id:wave0131:20180918192032j:plain

▼左右いっぱいに龍の天井画。20m以上ありそうで全体図はカメラに治らない。f:id:wave0131:20180918192027j:plain

▼生き生きとした迫力。よく見るとユニークで憎めない。首が痛くなるからいつまでも眺めていられない。f:id:wave0131:20180918192028j:plain

▼籠の話は時間切れで聞きそびれた。f:id:wave0131:20180918192033j:plain

徳川家光によって始められた「お茶壺道中」。茶葉を京都宇治から江戸へ運ぶ道中の宿泊所として毎年使用されていたこの寺に残る茶壺。f:id:wave0131:20180918192030j:plain童謡ずいずいずっころばし」に「ちゃつぼにおわれてトッピンシャン」と謡われる部分がある。

「茶壺道中」は殿様行列同様、恐れ多いもので、道中が通りかかると人々は戸をピシャと締めて家の奥に隠れた、という様子を謡ったものだそうだ。「戸ピンシャン」なのだ。

この話も長泉寺の奥さまからの受け売り。

 

日本国民の多くは何の疑問も持たずに「ちゃつぼにおわれてトッピンシャン」と謡ってきたのだ。チコちゃんに叱られる!

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▼道中の宿泊記録が記された古文書なのか? ほとんど全く読めない!f:id:wave0131:20180918192034j:plain

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▼近年になって「茶壺道中」の行列が再現され、6月の宿場祭のメインイベントとなっているそうだ。f:id:wave0131:20180918192031j:plain

 宗派の違いからではないだろうが、同じ禅寺でも前回記事の「大宝寺」とは、寺の様子も人も、まったく雰囲気が違った。

どちらもそれぞれ違った個性を持っている中で、この寺は「余裕」「寛容」といった言葉が浮かんできた。

境内の広さと明るさ、さらに奥さまの存在が、そんなイメージをもたらせたかもしれない。