置賜、米沢を続けます。
松心山 光照院 善光寺(堂森善光寺)の御朱印
「どうもり ぜんこうじ」真言宗豊山派(米沢市万世町堂森375)
「置賜」の地理的な位置に知識がないことを前回記事にしましたが、この朱印の左上墨書きの「出羽」は誰でもわかります。
ですが、言葉に出す時、イメージとして米沢を「出羽」と呼ぶ事はしません。
自分では米沢は置賜でもなく、単に米沢でしたが、当地では米沢は出羽でもあるようです。
▼東京人間にとっては「ここは何処でしょう?」的な地にある善光寺です。
東京からトコトコ車で米沢に入って、まず笹森観音を訪問し終わると、昼時間も1時頃。
腹も空く。ここは米沢、当たり前に米沢牛ランチも探せばあります。
しかしボンビーであり、少食でもあるスキニーなワタシはラーメンを選びます。
ホントは米沢牛ランチはサイフが許さないだけです。
▼白羽の矢は米沢市内の「熊文」に当たる。クマモンではなく、クマブンと読むそうです。
▼ほぼ地元の人たちで満席状態の店でオーダーしたのは、最もシンプルな「中華そば」600円。安い!
「おいしい!」
が、是が非でも、もう1回 食べに行こう! という味ではない。
当たり前に普通に美味しい中華そばなのだ。どちらかというと東京ラーメンの味に近いのでしょうが、昨今、東京ではシンプルな東京ラーメンの店を探すのは難しい。
地域差の物価の違いはあるものの、東京でこの値段と味の「中華そば」は、丹念に探さないと出会えないでしょう。
ワタシは味覚障害なのか「特別に美味しい」モノの記憶はキハク!
しかし、マズかった記憶は鮮明!
したがって記憶にない味覚は及第点以上となります。
「熊文」さんは十分にワタシの記憶をキハクにしてくれてます。
ラーメンオタクではないので、ダシがどうの、メンがどうのとは、一言もいえないけど、
昨今の東京では「博多ラーメン」「家系ラーメン」はアマく、
ラーメンではないと思っている「ツケメン」が幅を利かし、
さらにツユのない「マゼメン」とかが台頭し、
もはや東京ラーメンらしい「食べ物」を提供する店を見つけるのは、そんなに易しい事ではなくなっています。
また、東京では「喜多方ラーメン」の店は数多くあっても「米沢ラーメン」の店を探すことは難しい。
こんな記事書いていると食べたくなってくるので、ラーメン談義はまたの機会!
▼堂森善光寺の所縁が説明板になっていました。
▼仁王門は「みくじ」が結び付けられ、遠目には蛾か蝶が貼り付いているのかと勘違いさせられます。
実はこの寺の予備知識はゼロ!に近い。
普段、多くの知識を持たずに寺社を訪れるのがツネですが「ゼロ」は、そんなに多くはない。
いずれにしても、この寺は北海道から九州まで200以上ある「善光寺」のひとつ。だから寄ってみる。
寺名としては日本で一番多い名称かもしれない。
▼阿弥陀堂は1750年の再建。
前回記事の「笹野観音」同様、味のある堂です。正直似たようなお堂で、どちらがどちらかコンガラがります。
▼向拝を支える左右の柱には「善光寺三尊如来尊」「見返り弥陀」と書かれています。
写真はお寺のHPから借りました。
「永観遅し」の京都 永観堂を代表する姿だけど、全国には案外数多くの「見返り阿弥陀」があるようです。
当然見返り角度も違えば、それぞれの伝説も異なります。
▼もう一つこの寺で有名なものが、のぼりの間を進むとあります。
▼「前田慶次郎利貞供養塔」(以下3点の写真もWikiなどからお借りした)
前田慶次郎なる者、直江兼続の友人らしいが情けないことに全く知識がないに等しい。
「傾奇者(かぶきもの)」という言葉は知っていた。
▼「大ふへんもの」の旗竿。本来は「武辺者」らしい。
巷では「ふへんもの」=前田慶次郎らしい。
武勇者にして奇人変人っぽいところがあった人物のようです。
▼そんな「かぶきもの」が「花の慶次」というコミックになった。
「北斗の拳」の作者らしい。
コミックは、ほとんど手にする事はないから知らないが、コミックになった事で前田慶次郎はさらに人に知られることになったようです。
毎年、この寺で供養祭が盛大に行われるとか。