田谷山 定泉寺の御朱印
▼通称「田谷の洞窟」定泉寺の御朱印です。
境内はフリーです。
有料の洞窟拝観受付のおネェさんに朱印帳を預け、洞窟を出てから受け取りましたので、どなたの揮毫か不明ですが、とってもステキな墨書きで戻されました。
宗教は難しくない! しかし、ツッこむと訳わかりません!
▼Gmapでは「瑜伽洞」と表されている定泉寺「田谷の洞窟」はココ!
最寄の「大船駅」は遠いです。西口観音側からバス利用が可能です。
洗練されたHPを持っているこの寺ですが、その存在は限られた人しか知りません。
その名を知っていてたとしても、地元民以外ワザワザ訪れる人は少ないでしょう。
車利用の訪問ならば、何てことはないアクセスですが・・・。
しかしサイドシートに異性を積んだ車は、殆どが鎌倉へ行ってしまいます。
▼ここにやって来るカップルは、鎌倉も、車も、ベッドも共有済みの男女かもしれません。もちろん、そんな相手にアイソをつかした「おひとりさま」も訪れます。
公共交通機関利用だと最寄の駅は「大船」。
「大船」と言えば、ゴシュラーの誰しもが知っている、もしくは訪れる、駅前の観光臭さがふくよかな「大船観音」を思い浮かべられるでしょう。
そんな「大船駅」や「大船観音」から、この寺までバスルートがありますが、歩いても2km前後。時間にして20分強でしょうか?
しかし、1km、2km、歩いて15分、30分は人それぞれ捉え方がかなり異なります。
今の世の中、1km歩くのに「メンドー」と思う人の数の方が多いかもしれません。
人々はそれだけ忙しい! ノンビリ者は置いていかれるわよっ!
よって、この寺に訪れる人は少ないのです。
というのも、20分歩いても構わないけど、鎌倉のように寺社が連続していません。
ここで行き止まりです。往復時間と参拝・拝観時間で約2〜3時間。この寺だけを目的としなければ、訪れる機会はないでしょう。
参拝者が少ないと言えども、さすが10月の日曜日、数組の訪問者を確認。
▼オープンな本堂に足を踏み入れてみます。
▼これまで目にした経験のない大きさの木魚です。
「厄除木魚」だそうですが、その大きさはワタシの「ユメ」の大きさより遥か数段上をいく大きさです。いまさら人生に「夢」を抱いてもどうにもなりませんが・・。
ともかく「21回打つ」「厄年の人は年齢の数だけ打つ」と記されています。
記されてる通りの言うことをきかないで、1回だけ打ってみました。
梵鐘ほどの音はしませんが、ストレス解消には最適のようです。
▼朝比奈弁財天。「朝比奈」? 少し地理的に離れていますが?。
この寺は、鎌倉幕府の武将 和田義盛の子・朝比奈三郎義秀の館跡と伝えられそうなので「朝比奈」かしら?
▼真言宗の寺ですので弘法大師がお立ちです。ナムダイシヘンショウコンゴウ!
▼如意輪観音の真言でしょうか? 下の方が石に埋まっていて読めません。子宝が授けられる「玉石」のようです。子宝には「玉」が必要のようです。
広くもありませんが、境内は綺麗に整えられています。
▼子安地蔵尊です。
▼子宝を得られた方、子供たちが安らかに育ったことを感謝しての奉納でしょうか?
みなさん感心するほど感謝の気持ちが強いようです。
もし、待ちに待った子宝に恵まれたとしたら、不思議でも何でもないわね!
▼洞窟は「瑜伽洞」が正式名称のようです。「瑜伽」の意味は「ヨガ」だそうです。
▼いよいよカンジンの洞窟に入ってみます。
▼小山の下に、クログロとした暗い入り口が見えました。山の下が洞窟になっているようです。
▼アップしてみると「魔界への入口」のようにも見えます。
魔界ではなく、胎内でしょう、きっと。
▼洞窟探検?は、棒の先にローソクを灯して進みます。
▼ザッと読んだのですが、文字が多いので、この時は一番左の大きな文字「撮影禁止」に気づきませんでした。
でも、こういう場所は慣れています。普通は言われなくとも神仏へレンズを向けることはメッタにしません。
神仏のお姿以外ならお許し願いましょう!
定泉寺さまからオシカリの言葉が出るとしたら、ヒラに、平に、平身低頭! ゴメンなさい、バチアタリです。
以下はカメラに勝手に納まっていた写真とします。
鎌倉時代から江戸時代にかけて拡張を続け、人の手で掘られてきたとか。偉業です。
歩きが速いのか、棒の先に灯したローソクはスグ消えました。
同種の「洞」で、昨年11月には愛知県蒲郡市の「千仏洞」を巡りました。
善光寺、元善光寺、玉川大師などなどの地下「洞内巡り」を含めると、もうすっかり、自分のその記憶は見事に混ざっています。
混沌とした記憶の迷宮は、それぞれの区別がまったくつきません。
地理的に少しだけ時間を必要としますが、ぜひ、定泉寺、田谷の洞窟を訪れてみてください。
ステキな御朱印と、ステキなトンネルが皆さんの訪問を待っています。