ちなみにこの御朱印、今回記事タイトルの「キラキラ御朱印」とは無関係です。
龍城を「たつき」と読むそうです。
鎮座地の岡崎城も「龍城」という別名を持っています。
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▼せっかく岡崎に来たのだから「城」に寄ってみることにします。
▼11月25日のイチョウはまだ半分以上が緑。この季節はこんなだったでしょうか?。
駐車場から川沿いの堤防に出てみます。
▼矢作川に合流する乙川は季節には桜の名所となるそうです。
▼だが、この時期は何もないわね! 桜の季節にそなえて冬眠の準備?
▼その乙川に鳥居を開く神社があります。
寄ってみます。岡崎最古の神社と言われている菅生神社。
家康も厄除開運祈願したという石標があります。
戦国時代の武将はおしなべて念持仏や必勝祈願など神仏を深く信じるしかなかった。したがって数多くの神社・寺が誰々の祈願所だったり、祈願したと言う歴史や伝説を持っています。
▼「開運稲荷大明神」。全体でそれほど大きな境内を持つ神社ではありません。古さはともかく、岡崎にはもっと他にも大きな神社もあります。
参拝の後、朱印をいただこうと授与所に近寄ると様子がおかしい。どことなくザワザワしていました。
授与所の前で構えていたオネェさんが近寄って来て「御朱印ですか?」と尋ねられました。
「そうですけど・・・」
あとは話が噛み合わない!
少し落ち着いて話を聞くと、この日の朱印受付は「過日限定御朱印を予約されてた人へお渡し」することと、「本日限定御朱印を予約されて 朱印帳をお預かり」することだけのようでした。
「通常の御朱印はいただけないのでしょうか?」
「すみません、受け付けてないのですよ!」
「ええっ!」
どうやら「キラキラ御朱印」を授与するにあたり、朱印帳を預かり、のちほどお渡し、地方の方には ゆうメールか何かで送り届けるシステム。
限定にオロオロ対応で、何でもない通常の御朱印は対応なしと言うことでした。
▼キラキラ御朱印百花繚乱の掲示板。岡崎最古の神社がこの対応か?と呆然、唖然!
限定御朱印と言う言葉にも慣れたが、この神社は本末転倒、限定最優先のようです。
こんな節操のない限定には開いた口が塞がらない。
朱印を求めて来るべき神社ではなかったようです。
キラキラ御朱印収集人さま御用達神社でした!
これは絶対に授与ではない!販売だ!!ねっ。
好きにして!
ブームとばかりに、とんでもない方向に進む寺社があることはわかっているものの、普通の当たり前の朱印をいただきたい者にとっては、かなりヤリニクイ、不可能な寺社の典型的な神社かしら?
と言って自分でも、参拝が主目的か、朱印が主目的かわからなくなり、いったい御朱印とはなんだろうか???と、いつものように、いや、さらに正解のない思いにふけりながら、神社を去りました。
▼岡崎城に向かってみます。
▼公園になっているお堀端を歩きます。
▼神橋の正面に天守があるはずですが、木々が邪魔して見えません。
▼微妙な衣装を身にまとった若者たちが、あちらこちらで撮影ごっこしています。
最近の寺社巡りで時々見かけます。後で知ったのですが「JPCC 日本コスプレ委員会」なるものがあり、その撮影会だったようです。
若者のエネルギーの発散法の一つでもあるのかしら?
家康に見つかったら家臣にひっ捕らえられ、無条件で遠島。いや斬られるかも?
▼こちらはコスプレではない。後ろ姿を撮ったら盗撮かしら? つい美しいから・・・。
カメラレンズが一人勝手に追ってしまいます。
▼家康の遺訓は天下のことを思って潔い。
▼ようやく天守が見えてきます。大きさがカワイイ城だから威容を誇る感はありません。
▼城はこのくらいの小振りな大きさが好きです。彦根城、小田原城、犬山城とか・・・。
▼鳥居の向こうは崖。ここは龍城神社ですが東照宮でもあります。
▼龍城神社と龍城(岡崎城)の位置関係はこうなっています。
▼「百願成就」の石柱。大盤振る舞いの神様です。
▼日にちはズレていますが、まだ七五三詣での人もあり、3連休と城で人出は賑やか。
▼おいおいここもかよ!
何も言わずにお願いすると、戻されたのは記事冒頭に掲げた御朱印でした。上の写真でいうと左の授与期間限定御朱印と言うことになります。
通常御朱印もお願いすれば「岡崎東照宮」という墨書きが入った朱印をいただけるかもしれない。
だが、もうどちらでも良くなりました。いただけるものを一体で良い!
▼城だけなら入館料は安い。しかし、昔入った事があるからパス。
▼城から八丁離れた三河路の名所「八丁味噌の郷」に行ってみます。
「名所」「郷」と言っても単なる味噌屋の商業施設にすぎません。
観光バスが来て、工場見学して味噌を買って帰る、というよく見かけるパターン。
城からもう少し近い場所に味噌屋が出来てたら、六丁味噌、五丁味噌になってた。
「八丁味噌」という名称は江戸時代から、大阪、江戸で名が知れていたそうです。
▼連続TV小説は観ないから知らない。
▼「つきまとい」さんが、ここにも居た。普段、他に使わない単語だからねぇ!
土産売り場を覗いてみました。
味噌は数種類あり、800gくらい入った物でしょうか、1箱1000円〜2000円する。味噌にしては高い!
でも豆味噌のこの味は好きです。
このメーカーに限らず、東京でも常に手に入るけど1つ買います。
一番安いものだと沽券にかかわるから、この際、下から2番目1300円のものにします。
ほぼ御朱印4体分ですが、朱印は高いとは思わず、味噌は高いと感じる。
味噌汁にしたら何10杯もできる味噌を高く感じるのは病気でしょうね!
▼味噌屋の先に矢作橋があります。包装紙のイラストは・・・
ストーリーでしょうが矢作橋の上で幼い頃の秀吉、日吉丸と蜂須賀小六が出会った様子が描かれています。
1300円の「赤出し味噌」はビックリするような特別の味はしませんが裏切られず、それなりに美味しいのでした。値段からして当たり前だけど・・。