▼複雑な思いをさせられた県境の熊野神社から軽井沢の街中に戻り、旧軽銀座の雑踏を何とか抜け、諏訪神社に向かいました。
▼飾りは何もなく、そんな余裕もなく、素朴な姿そのままを残している神社境内です。素朴さは海外からの観光客にも足を運ばせているようです。
▼もとより地元の崇敬者と一緒に歴史を築いてきたことは理解できます。
▼まさにその通りに、おそらく地元の方だと思われるカップルの挙式が行われていました。かつては軽井沢で結婚式といえば「教会」以外、思い浮かびませんでした。
「軽井沢の神社」で婚礼!
ワタシの中では、神社での挙式はかつての軽井沢イメージの反逆者となり、素晴らしいことです。
世は常に革命です。
そんな大げさなモノではなく、単に世は常に変化です。
▼そしてもう、こんなことは何でもありません。どうぞ末長く幸せを分かち合って離婚率を下げていただくことを願うばかりです。「イエス」様も「健御名方富命」様も、ワタシは御朱印を手に出来なかった事より若きお二人の、せめて「5年の末永き」を祈ります。
▼でも、ア〜〜〜ア、カミサマ! 正直、心が凍りそうです。BLOG内の言葉はジョーダンとヒニクが過ぎてるかもしれませんが、あちらこちらの神社で婚礼の儀式に出会うたび素直に「どうぞ、悲喜こもごもある、これからのお二人の人生に幸いあれ」と願うのが常です。
▼折角ですので、しばし軽井沢の11月を眺めましょう。
▼旧軽銀座界隈の街中に季節はありません。人気店はどこも東京の延長線にあります。
▼地方の人気ポイントは、東京人、大阪人、言い換えて都会人が作っていることは明らかです。不思議です。どうして地方がここまで都会の人間に媚びるのか?当たり前です。生きていかなければ・・、競争に負けられないから・・なのでしょう。
▼雲場池はChineseが飛び交っていました。確かに「鏡」でした。軽井沢に限らず、どこの街、どんな名所に巡り合っても、その場所の「謳い文句」「売り言葉」「宣伝コピー」に惑わされないつもりでいても、そこにノリきれない、ダマされないと構えている自分が、誰よりも一番惑わされているのでしょう。
▼どの店も長蛇の列の旧軽を離れて、小諸に移動し、この店に入ってみます。店内は、どこからこんなに人が集まってくるの? 状態。席は95%埋まっていました。
▼1200円の「山菜とろろ蕎麦」は素朴な田舎そば的で硬め。何でこの蕎麦がこの数字?はさておき、
最近はこの手のボロボロシコシコ蕎麦は苦手。どちらかというと更科系のツルツルシコシコが好みになっているので、まずくはなかったのですが店選びを失敗。
▼しかし、清算時にいただいた蕎麦の揚げたものは、思いのほか美味しく酒のつまみにもなりそうです。さらに今時、奇跡的なことに店のマッチがありました。
さらに、さらにカレンダーまでいただきました。ということで「かぎもとや」さん、大いに及第!でした。
それにしても小諸の街で食べた「小諸蕎麦」、どうしても東京でチェーン展開している「小諸そば」を思い出させられます。美味しくもなく、まずくもありません。
でもお同じ「小諸」だけに、小諸そばチェーンが、いかに「安く、早く、美味しく」を追求しているのかが理解できるような小諸の蕎麦屋さん「かぎもとや」でした。