▼天台宗別格大本山 東叡山 寛永寺 護国院「谷中七福神 大黒天」の御朱印です。
▼天台宗別格大本山 東叡山 寛永寺 弁天堂「谷中七福神 辯才天」の御朱印です。
▼同じく、2013年にいただいた御朱印。
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戊辰戦争までは上野山すべての広大な敷地に諸伽藍が建ち誇っていた。
いつの世も多くのものを犠牲にしなければ、新しい時代を迎えることはできないようです。
現在残っている寛永寺の姿は上野公園に点在しています。
寛永寺根本中堂、両大師堂、清水観音堂、円珠院のほか、上野公園の北には広大な徳川将軍家霊廟もあります。
そして今回掲載の護国院と不忍池弁天堂が主なものでしょうか。
▼護国院があります。七福神期間以外はほとんど参拝者は誰もいません。
▼大きな奉納額が印象に残ります。
▼ここまでの写真は2015年の撮影でした。断末魔のカメラでボケ、ラインなど悲惨です。
護国院を出て左、左と公園を回り込むように歩むと不忍池畔に出ます。
▼清水観音堂に上がる階段上から見てみました。
▼週末の弁天堂に向かう参道は、屋台と人で埋め尽くされています。そもそもは琵琶湖と竹生島に見立てられた池作りと堂ですので、当初は島だったのでしょうが、今は小さな橋はありますが、イメージはまったく陸続きです。
▼手前にお堂があり、その奥が本来の弁天堂なのでしょうか。
▼裏から見ると八角形になっています。本尊は秘仏で9月の「巳成金(みなるかね)大祭」のみの会長だそうです。
▼七福神の期間中や1月はこんな感じで、お参りするにも忍耐が必要です。
▼右手にある大黒天堂です。失礼ながらこちらは弁天堂に比べ人気薄。
▼不忍池は蓮で埋もれて、水面は全く見えません。
▼夏には鮮やかな花が人々を魅了することでしょう。
▼水面はここに残っています。季節が良いと大人気。
▼鶏肉や鶏卵を扱う業者さんたちが供養のために建立されたそうです。最近、やっと知りました。塚はどんな塚があってもOKということ。
包丁塚、鯨塚、貯金塚、生姜、卵、鍔などな何でもありです。
かつて日本人が山、川、岩、田など、全ての自然に神が宿り、それを崇めた気持ちと近いものではないでしょうか?
すべての物、生物に対して感謝の気持ちと、使い捨てる、命を奪うことでしか生きていけない人間の性に対する贖罪なのでしょうね。
▼弁天堂の裏に「聖天島」があります。ここも正に「島」になってます。そして、ここはかなりミステリアスで奥深い面白さがあるようです。
▼旋錠されたフェンスで囲まれ、普段は鳥居をくぐれません。
不忍池にお立ち寄りの際は、ぜひここも覗いてみてください。
寺の歴史や言い伝えは、まともに、科学的に考えればバカバカしい部分もありますが、科学がなかった頃の伝承ですのでオモシロイわけです。