▼医王山 西光院 薬圓寺(真言宗豊山派・)
▼同じく本尊 阿弥陀如来(豊島八十八ヶ所霊場82番札所)の御朱印。
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それでも2kmはないと思います。歩くのだけは早いので20分くらいでした。
▼中山道を横断、川越街道を横断、中丸通りにたどり着くと西光院があります。
▼山門前は車があって、自転車があって、仁王像があって、その下で外国の方らしい親子が写真撮影してて、それをスダジイが見下ろしています。雑然としているようですが、それは車と自転車だけが雑然さを強調しているようです。
▼しかしやはり、山門前の仁王もバックの木々に溶け込みそうで雑然感は払拭できません。自分の「カメラ力」に問題があることも分かって入るつもりですが・・。それにしてもこの仁王像は青銅製? 何を素材にしているのか分かりませんが、木造とか着色されたものが多いなか、青銅色の仁王像は力強さが圧巻です。
役目の邪気を払うに充分な迫力です。▼山門前のシイの木は400年も生きて疲れています、老いています。根元付近は空洞化されていますが、手のように延びる枝は元気満々。しかし金属製のギプスで補強され、倒れそうな体を数本の支え棒が力を貸しています。
老木たりとも、まだまだ力漲らせようとする姿、また枝となる子や孫とともに生きようとする姿はどこか人間にも似てます。
草木も動物も、みな同じ生き物であることを改めて知らされます。
▼小さくて確認しにくいですが、本堂の前で年配の女性二人がベンチに腰かけ休んでいました。▼UPしてみます。風もない晴天の穏やかな天気の中、まるで田舎の寺にやってきたような、とっても長閑な風景に心もおだやかになります。
▼大黒天は本堂脇にあり、すぐ見つけることができます。
寺の創建は400年前の江戸初期と伝わります。
▼こちらはその後に建立された薬師堂。薬師三尊像と十二神将などの像が安置されているそうです。
堂の扉は閉まっていて賽銭用の穴から覗いても暗くて何も見えませんでした。言い伝えでは松平尚庸が妻の眼病平癒のために建立とされていますが、松平尚庸って何者なのか全く知りません。でも、松平だから三河繋がりのお方?
▼よく見かける瑠璃殿ではなく「瑠璃閣」です。浅薄に瑠璃は東、瑠璃は薬師と覚えています。
▼さて、境内にはたくさんの緑と、様々な仏像たち林立しています。
▼無縁仏のリーダーは観音様でしょうか?
▼十一面観音もお立ち台にいらっしゃいます。
▼こちらの地蔵さんは足元に子たち。子育てと水子の地蔵様です。
▼出ました! 真言宗開祖空海、弘法大師さんです。その隣は、興教大師と書かれていましたが、まったく知識ありません。
▼墓域にもお堂が・・。写真の左手前の像が気になりますが不明。板橋区の住宅街にある寺ですがミドリたっぷり、ブツゾウたっぷりの好感ジインでした。