▼山家神社の御朱印です。(長野県上田市真田町長4473−ロ2)
神社名の読みは「やまがじんじゃ」です。
まさか「やまや」「やまいえ」と読む方はいないと思いますが、念のため。
山家神社では摂社、境内社、境外社、限定など無数の御朱印がいただけるようです。
種類の多さに大きな興味を持たない集印者にとっては、そこの部分は用無しです。
この神社を参拝して本社と真田神社の御朱印だけで良いと思っていたところ、手持ちの朱印帳に残ページが少なくなったので朱印帳を購入したら「オマケ的」にいただける御朱印があり、結果3体いただくことになりました。
しかしあまりの達筆は、ちょっと見、3体の区別がつかないほどです。
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▼神社へのバスは「上田駅」から出ていますが、1日数本です。
真田氏発祥の地と言われる真田郷にやってきました。
現在は上田市に合併されていますが、以前は小県郡真田町でした。
現在も真田氏の菩提寺や本城跡、館跡、歴史館、公園など真田の名称がついた施設などが点在する、まさに真田一色の地域です。
▼山家神社に向かう途中「ゆきむら夢工房」というところで「新そばまつり」が開催されていました。
では「新そば」を食べさせていただきましょうと寄ってみたものの、長蛇の列。
整理券入手に並んで、さらに蕎麦が出て来るまで1時間以上は待ちそうです。
そばは諦めます。
▼代わりにというか「新」か「旧」か分かりませんが、すぐ出て来る「そばすいとん」にしてみます。
▼蕎麦のすいとんは初体験です。
歯ごたえのある蕎麦の「塊」は素朴な味がして美味しいものでした。蕎麦をいただくというより、蕎麦と一緒に野菜をいただく、ミソスープと言うのが正解かもしれません。けんちん汁に蕎麦だんごが入っているイメージです。
▼そしてテント売店で売っていた大きめの柿。正確な数字は忘れましたが、これで300円しませんでした。
この柿も甘くて、とても美味しかったので真田郷バンザイです。
▼山家神社は予想外にも参拝者の数はチラホラでした。
▼考えてみれば上田市と言っても、上田の中心街から10kmほど離れていて、交通はバスルート以外ありません。
上田城内の真田神社や、軽井沢の熊野神社と比べれば、参拝者は少ないに決まっています。
それでもこの神社の御朱印の種類の豊富さと、今回は訪問なしですが、神社へのルート上に真田氏の菩提寺の長谷寺や瀧水寺などもありますので、御朱印を求めて参拝しに来る人たちがいるということになります。
延喜式内の神社ですので歴史は古く、その創建は詳細でないとか。
当初は加賀国一宮「白山比咩神社」の祭神を勧請したそうですから、神社はどこでつながっているか予想できません。
一の鳥居からの参道は良い枯れ具合の雰囲気でしたが、社殿は新しい創りのようで、屋根が光っています。
ところで神社名の「山家」ですが、「やまが」とは山里そのものや、山里にある家を示していたように記憶しています。その「やまが」がそのまま神社名になっていることに、少し気になっていました。
おそらく「山家神社」の名称を持つのは全国でもここだけでしょうねぇ。
▼境内の真田神社は明治になってからの建立ですが、社殿もその後の火災により再建、そして改修されていて新し目です。
しかしここの真田神社は、戦国時代から江戸時代、明治を経て現在も続く真田氏が唯一認定する真田神社だそうです。
この真田神社には真田幸隆、昌幸、信幸、幸村の親子3代が祭神とされています。
では、いったい上田城址にある誰もが知っていそうな有名な真田神社は、何なのでしょう。
そうではないです。神社にインチキはありません。
上田城址の真田神社は改称を重ねて1963年に「真田神社」とされたそうです。
ハイ、天神さまや熊野、諏訪同様、真田神社がいくつあってもおかしくはありません。
でも、やはり人気者の真田に名称を定めたことは間違いないでしょうね。
ちなみに、六文銭は六連銭、真田銭とも言い「三途の川を渡る際の舟賃」だそうです。
寺でよく見かける「六地蔵」に1文ずつ渡すそうです。「地獄の沙汰も金次第」ということでしょうか?
戦国時代は、そんな死を覚悟の、恐れぬ真田の旗印に敵方はビビったかもしれません。
▼かつてはこんな巨大な鬼瓦を屋根上に乗せていた真田神社だったようです。
▼数多くある境内社を参拝、見て回ります。
▼いただいた御朱印の超達筆な腕の持ち主は、意外なことにステキな若者でした。
「ツケメン」も「イケメン」も言葉としては好きではないので、敢えて「ステキ」なおニィさんとさせていただきます。
ありがとうございました。