▼武王山 安養院 最明寺(真言宗豊山派・)
▼同じく本尊 阿弥陀如来(豊島八十八ヶ所霊場 1番札所)の御朱印。
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▼前の寺、長命寺から歩いてスグでした。1kmもないと思います。
▼安養院は大きな寺でした。それもそのはず、豊島八十八ヶ所霊場の1番札所です。
▼豊島八十八ヶ所は霊場としては小さくはありませんが、どんな小さな霊場でも1番札所ともなれば歴史や風格、見所などを備え、参拝者も多い寺がほとんどです。
▼山門の扁額は山号の「武王山」。
書体名は分かりませんが、面白い書体で各堂の扁額はこの書体とカラーで統一されていました。
▼本堂の扁額「安養院」。
ここまで4つの板橋七福神の寺を巡って来て、その創建はほとんどが江戸初期でしたが、ここ安養院は鎌倉時代と伝わる古刹です。
それも、最明寺入道と呼ばれた鎌倉幕府の執権、北条時頼によって開創されたとも伝わるそうです。
▼子育て地蔵でしょうか? 地蔵にじゃれつく子供がユニークな像で、ショッキングピンクのような頭巾も他では見ない色で新鮮です。
▼六道地蔵はオレンジの頭巾でした。
▼こちらが弁財天が祀られている大師堂。
ここまで巡ってきた寺と違って七福神はオープンではありません。
弁財天はお堂のガラス越しにしか見られませんでした。
▼だから参拝者の皆んなは興味深げにガラスの奥を覗き込まずにはいられません。
▼ガラスにカメラをくっつけて撮影失礼します。女性ですので気を使います。
▼二重の塔、いや多宝塔です。まだ新しそうです。
▼同じ書体、カラーで「遍照」でしょうか? 「遍く照らす」でいいんでしょうねっ?
▼多宝塔内部は空海の立体曼荼羅でした。高野山の多宝塔内部の縮小版でした。
▼空海が見た「海」と「空」はどんなんだったでしょう?
空は無限に広く広く、深い深い海だったに違いありません。
▼庫裏として使われいる建物は、泊まってみたくなるような、歴史ある旅館のような佇まいです。こんな雰囲気の大きな建築物は目にすることが少なくなりました。
建物は白壁の塀に囲まれています。
元は明治期に建てられた、旧前橋藩から連なる伯爵の住まいだったとか。遠い昔のことです。
明治、大正は遥か遠く、昭和も遠く、そして平成も遠くになりつつある令和2年元日です。