京都の寺が続きます。
が、観光客からみたらマイナー寺です。
▼桂光山 西福寺の御朱印です。(浄土宗/京都市東山区大和大路東入ル西轆轤町)
中央の墨文字は「法王殿」。
「法王」と言うと、ローマ法王しか思い浮かびませんが、調べてみると「如来」の異称だそうです。
御朱印対応の丁寧さに関わらず、残念なプリントの書置きでした。
3つの朱印・スタンプだけは現物の印が押されているようです。
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▼前回記事の「六波羅蜜寺」から、この寺へは北へ100mほど離れています。
しかし、それぞれの寺を訪れた時間は850日ほど離れています。
▼「六波羅蜜寺」の前の道を北へ少し歩くと「松原通り」に突きあたります。
洛中から延びていて鴨川の松原橋を渡り清水寺へ至る「松原通り」は、ジミだから好みな通りです。
「清水寺」にとっつく「東大路通り」を超えると様相は賑やかに一変します。
しかし平安時代から、この通りが目指す本来の目的地は清水寺の奥、鳥辺野でした。
葬送の地です。
しかし裕福でない人々は、そこまで行けず鴨川の畔に亡骸を打捨てた事もあったようです。
▼ともあれ、その「松原通り」に突き当たり角にあるのが「六道の辻」です。「陽炎の辻」ではありません。
冥界へと続く道の入口です。
「六道」とは、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六つを表すそうです。
ワタシは今、かろうじて「人間道」に存在させてもらっているようですが、いつ修羅道、畜生道に陥ってもおかしくありません。ワタシには六道それぞれの尺度、ボーダーラインがよく分からない。
▼「六道の辻」の石碑の隣に西福寺はあります。
観光客にとってはマイナーな寺と書きましたが、京都人にはそうでもないかもしれません。
前回記事の六波羅蜜寺でも書きましたが、六波羅(六原)はここの地域名でもあります。現世と冥界の境界なのですが、この地域の住所表示は「轆轤(ろくろ)町」。
六波羅原は「轆轤原」「髑髏(ドクロ)」が転訛したとも考えられています。
盂蘭盆の直前には、この寺やすぐ近くの「六道珍皇寺」に多勢の人たちが「六道参り」にやってきます。
六道参りは関東では聞かれませんが、京都ではこの時期には陶器市も開催され、風物詩にもなっています。
そして六道参りでは、ここ西福寺でも「熊野観心十界図・地獄絵絵解き」が行われ、恒例イベントとなっているようです。
また、この時には「壇林皇后九想図」という風葬により壇林皇后が朽ち果て、鳥に荒らされ、髑髏になり、やがて土に還るというリアルで生々しく恐ろしい様子が9つの絵で表されている図も公開されるとか。
こうして京都では、先祖を迎える8月7日の六道参り始まり、16日の五山の送り火で長い盂蘭盆の幕を閉じるようです。
▼西福寺の前には「幽霊 子育飴」もあります。
▼子供を育てるわけではないのですが、1つ買いました。
全く混ざり物のないシンプルな飴です。
渋さを超えたような店舗に入ると、
やはりこの界隈はあの世との境のようでした。