▼三十三間堂(蓮華王院)の御朱印です。(天台宗・京都市東山区三十三間堂廻町)
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▼七条通りに面したハイアットリージェンシーの前を歩く。全く縁のないこのホテルは1泊の料金が、東京から2泊3日のワタシの京都旅行の総費用より高い。
ところが週末はほとんど空きがない。
世の中、様々な人がいるから世界中に1000以上もあるハイアットの部屋も埋まる。
分相応に満足している人間にとって、そんなホテルと、そこに泊まれる人たちが羨ましいわけではないが、泊まってみれば優雅に満たされた気持ちになることは間違いないでしょうね。自分のステータスは「こうなのだ!」と。
ボンビー人間もたまにそんな場所に身を置く時がある。
そんな時はボンビー状態を忘れて、あたかも自分のステータスが上がったような気持ちにもさせられる。
身に付けるものも同じでしょう。いつもユニクロばかりだと気持ちも「ゆにくろ」か「ちびくろ」。
ブランド物を身につけた時は、なぜか心もゆったり「ぐっち」も出なくなる。
ブランドの魔力なのか?
▼ここはどんな人にも同一金額で平等に接してくれる。ステータスに影響ない金額で。しかし、貧すれば鈍する。本堂しか写真がない。本堂とその内部しか見ていない。国宝であり、千手観音立像が1001体、本堂内部の柱間が33。ということくらいの知識しかなく訪問。1000体の観音像には圧倒されたものの、この時はその1000体の観音像を見ることと、御朱印をいただくことだけしか目的がなかった。三十三間堂の周囲には、他にも見所がたくさんあることを現在は知っている。もっとも京都の有名寺社各地の周辺をつぶさに見て回るとすると、一般の観光客には時間がいくらあっても足りない。外からの訪問者は上っ面だけの観光で「行った! 行った!」と、人と話ができる程度で良いのでしょうね。
▼格子の障子がやけに記憶に残る。
▼どこの家にもあった障子は、寺を除けば今や高級旅館などでしか見られなくなった。
▼当然、本堂内部は撮影禁止。いったいこの写真はどうしたことか?
スマホをしまおうとした時に偶然シャターを押してしまったのか? バチアタリのワタシにはよくあることだ。
いずれ天罰が下ることを覚悟しておきましょう。
ところで千体観音の目的はともかく、1体1体微妙に違う1000もの仏像を現実に鑿をふるったのは何人の仏師が関わったのだろう?
その制作期間とか、どんな人たちだったのかツマラナイ疑問がフツフツと湧いてくる。
当時の人たち、権力者の力だろうか、仏像にしても建物にしても、現在ではほとんど真似できない驚くばかりの大きさや数をこなしている。
それにしても日本の寺社、美術館、博物館はどうしてこんなに撮影禁止が多いのだろう。
ルーブルやオルセーなどはフラッシュを使わなければOKと聞く。
映画などでは美術館でスケッチしている場面などよく目にする。
日本ももうすこし緩くなっても良いのではないだろうか?
どのみちNET上では、この記事のような汚い写真ではなく、綺麗な千体観音像写真がゴロゴロしている。他の仏像、絵画なども然り。
NET上にないのは絶対秘仏だけのようです。