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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

王子神社の御朱印(東京・北区)〜ハイテク案内板にオドロキ! 親水公園のグリーンにヤスラギ!

王子神社御朱印です。(f:id:wave0131:20191004163025j:plain

▼2013年の王子神社御朱印f:id:wave0131:20191004163021j:plain

▼祭礼期間中は書置きになる案内。

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▼ということで神社に向かう途中、祭礼の神輿に出会いました。

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▼みなさんイイ表情をしていらっしゃるので顔消しナシにします。お許しを!

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祭神と「王子」の地名の由来です。

神社HPからの引用ですが、太字箇所は加工しています。

御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、総称して「王子大神」とお呼び申し上げます。

▼令和元年5月1日にも訪問しましたが、この社頭手前まで行列ができていたので参拝を諦めました。

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創建は詳らかではありませんが、源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていたと思われます。その後、元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれます。それよりこの地は王子という地名となり、神社下を流れる石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれています。

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寺社の名称がそのまま地域の名前になるか、逆に地域の名称が寺社の名前になることもあります。

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歴史の古い大きな寺社は、その後に門前町が形成され、その寺社名が門前町の名称になっていったのでしょう。

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▼最近は御神木に限らず、あらゆる場所に手を当てている場面に度々出くわします。

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霊力と言うものが高い人は、いろんなものに触れていろんな事を感じるのでしょうか。そう言う人には特徴がいくつかあるそうですが、ほとんどワタシには当てはまりません。

 

▼黒塗りでシメられた金箔飾りを施した権現造りの拝殿は威厳に満ちています。

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屋根のグリーン、黒塗り、金飾り、拝殿幕の紫、そして柱の白。カラーバランスが絶妙です。

 

▼本殿は木々に覆われ全体の姿は拝めません。

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▼男子一人の参拝者も、ホント多くなりました。

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もちろん様々な世代性別の参拝者が新たに増える現象はイイ事ではありますが、いくらか複雑な思いにもさせられます。

 

▼キレイ目の案内板が目立ちました。「准勅祭社」は明治天皇の選定? でしたね?

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▼極めつけの案内板。神社を紹介するのにこのスタイルは初めて目にしました。

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▼7つある知りたい項目にタッチすると上部のモニターが和文と英文で案内します。

f:id:wave0131:20191004163220j:plain昨今 AR や QRコードで案内するパターンが目新しかったのですが、この案内方法はヨクできています。

ありそうでも今までなかったのでは?  オドロキです。

どこかの寺で おみくじ、御朱印、線香などの券売機は経験済みですが・・・。

 

▼珍しさのオドロキは、この末社にも。

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ここも引用です。

末社 関神社
全国でも珍しい「髪の祖神」。御祭神は百人一首でも有名な蝉丸公で、姉「逆髪姫」のために髢・鬘を作ったという伝説により、髢、鬘や床山業界の方々の信仰厚い神社です。また蝉丸公は琵琶の名手でもあり「音曲諸芸道の祖神」としても崇敬されています。戦災で焼失したものを、髢、鬘、床山、舞踊、演劇などの関係業界の御尽力により、昭和34年に再建されました。境内には毛髪報恩のための毛塚も建立されています。

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▼思わず読んでしまった「手塚」ではありません!「毛塚」です。f:id:wave0131:20191004163124j:plain

▼何も知識を得ずに「人毛商工組合」を目にすると、なにかオドロオドロしさを感じます。

f:id:wave0131:20191004163121j:plain「髪」の神様に、「毛」の塚でした。

やはり日本は「八百万の神」と、「八百万の塚」に満ちています。

 

▼神社境内の東側にポッカリ開いた穴のような坂。降りてみます。

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▼坂を下る途中で涼しそうな心安らぐ景観に出会えます。

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▼石段の坂下からも神社の参道となっていました。

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▼「音無親水公園」ストーリーチックな「音無」の名称です。

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もとはこの地域を流れる石神井川を地元の人たちは、王子神社と熊野を結びつけ「音無川」と読んでいたそうです。

▼そして石神井川の旧流路を整備して「日本の都市公園100選」の一つになりました。

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▼桜の木の数は多くないものの、季節になると被さるグリーンがピンクに染まり変わります。

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神社近くの「飛鳥山公園」「名主の滝公園」などもあり、ここは北区が少し羨ましくなるような安らぎの渓流です。さすが人出は多いのですが・・。

f:id:wave0131:20191004163151j:plainどっちにしても「癒される〜〜〜!」なんて言葉は使いたくないのですが、

カンペキ イヤサレマス

 

▼渓流の谷から這い上がれば都電と遭遇します。「トデン」も「癒し」でしょうか?

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王子神社から歩ける範囲に御朱印をいただける寺社はたくさんあります。

御朱印をいただきながら北区・王子を堪能しましょう。

 

王子神社とセットで参拝です。

wave2017.hatenablog.com

 

御旅所 日本橋日枝神社と兜神社の御朱印(東京・中央区)〜旅する神様! 株する神様?

日本橋日枝神社(御旅所 )の御朱印です。(f:id:wave0131:20191002192841j:plain

「山王御旅所」とありますが、赤坂日枝神社の摂社となると神社です。

▼同じく2012年の御朱印f:id:wave0131:20191002192837j:plain

2012年時点の「日本橋日枝神社」では「赤坂日枝神社」と全く同じ体裁でした。

 

兜神社御朱印です。(f:id:wave0131:20191002192833j:plain

兼務されてる日枝神社でいただきました。

 

▼「赤坂日枝神社」と同様の栞とストラップをいただきました。f:id:wave0131:20191002193056j:plain

 

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日本橋茅場町は江戸時代初期は「茅」の生える湿地、低地でした。

その「茅」を屋根葺き用の材料として商う人たちが多く住んでいたことから地名の由来になっているそうです。

現在は証券会社などの多いビジネス街。企業ビルばかり林立し飲食店舗の少ない、一般には表面はあまり面白くない街です。

 

▼神社の唯一の参道も見つけにくいビルの谷間にあります。

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▼覆いかぶさるようにビルが左右に迫る肩身の狭い参道。

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▼ビルの間の参道を抜けると、境内は狭いものの思ったほどではなく、ビルの谷間のように、ポッカリ開いた穴のような空間となっています。

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祭神は赤坂本社と同様に「大山咋神(おおやまくいのかみ)」を主とします。

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しかし、この神社は御朱印にも記されているように、赤坂本社の「神」が「一休み」される「御旅所」となっています。日本橋の神が赤坂からお出ましの本社の神をねぎらうのかもしれません。

6月に本社の日枝神社では天下祭、日本三大祭の1つとして「山王祭」が盛大に開催されます。

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その祭り行事の一つとして神幸祭の巡行は、その祭礼行列が2、300mほどになり、赤坂の本社を出て四谷、皇居、丸の内、銀座、新橋、日比谷の街をほぼ1日を費やして雅に練り歩きます。

f:id:wave0131:20191002193024j:plainそして途中の昼過ぎに、日本橋茅場町までやってきた行列は止まり、神様にここの神社で一休みいただくのです。f:id:wave0131:20191002193020j:plain

本当のところは「一休み」ではなく、ここ日本橋日枝神社への「渡御」自体が目的かもしれません。

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そもそも幼い頃は「神輿」は「オミコシ」でした。

愚かにもまさか神社の神様が載っているとは思っていませんでした。

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「オミコシ」を「御神輿」を漢字で理解し、

「神」の乗り物「輿」であると知ったのは大人になってからのことでした。

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しかし、普段は神社の本殿に鎮まっている神様がなぜ祭りの時に「輿」で担ぎ上げられ、神社の外に出て町内を練り歩くのでしょう?

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神様も1年中本殿の中に閉じこもっていると「タイクツ」だから、七夕のように1年に1回だけの祭日に外に出ていただく! のでしょうか?

いや、そうじゃないようです。

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神様に本殿から出ていただき、ご足労願って、その権威・威厳とご利益を振りまき、厄災を抑えていただくことが目的のようです。

おおよその話ですが・・。

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神道の面白いところで、神々に「旅」していただいて初めて祭が成り立つのです。

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そこを比較すると仏教では「」さまが外に出ることは少ないでしょう。

仏の「出開帳」は」祭りと言えなくもないですが、仏とご利益の出張でしょうし、詳細は全く思い出されませんが、信者の手によって関西から北陸を往復する仏などは例外的でしょう。

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この神社に話を戻しますと、江戸名所図会にはとても賑やかな様子が描かれており、縁日や勧進相撲なども行われたそうです。

当然境内はもっと広く、今も神社の横に残っている薬師堂の別当智泉院、閻魔堂、天満宮、稲荷社、浅間社などが建立されていたそうです。

江戸時代の寺社は、現在に残っている姿と比べると総じてとても賑やかだったようですが、ここの神社も参拝して当時の賑やかさを描くのには逞しい想像力が必要です。

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▼旅する神さまの話から、株取引される神様「兜神社」に移ります。

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「株取引される神様」はジョーダンですが、

兜神社は周辺に多い証券会社、株取引会社の象徴、鎮守として明治時代に建立された神社です。ですから小さくて無住です。

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▼神社側の正確な由来はここにありますが、もちろんワタシの雑な説明より詳細。

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どこの神社も由緒、由来は古く、深く、ややこしくて、とても覚えられるものではありません。

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それでなくともこの神社は日本橋兜町、株取引の企業が林立し「株」と「兜」のシャレかと思いたくなりますが、そうではなく「兜」と「鎧」に繋がりがあるようで、さらに源義家や将門も関連ありで、全くチンプンカンプン。

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▼「明治27年3.1 起工」の文字が読めます。

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神社の由来は1ミリほどしか理解できませんが、きっと間違いないことが一つあります。

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1991年にバブルが弾けるまで、この街に勤める者は誰しも「ジュリアナのお立台」に上がっているような状態でした。

入社1、2年で1000万円の年収もウソではありませんでした。

彼らは毎朝この神社に感謝し、いつまでも続くように祈願したことでしょう。

f:id:wave0131:20191002192904j:plainしかし彼らの中には「勝って兜の緒をしめる」ことを忘れてしまった者もいました。

いや、けっして勤務してる者の責任でもなく「緒」をしめたところで どうにもならない経済の流れでした。

社員は悪くありません!」と社長が泣きながら訴えた、バブル後を象徴するような不正会計で破産した「山一證券」の牙城は、「茅場町タワー」と名称を変え、外見は変わらずに今も近くの永代橋の脇にサミしくそびえています。

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兜石に兜岩、平安時代まで遡る言い伝えがあるそうです。

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兜と株と蕪、さらに「おいちょかぶ」に「スーパーカブ」。

「かぶ」は不滅のようです。

 

wave2017.hatenablog.com

 

日枝神社の御朱印(東京・千代田区)〜「山王さん」境内へ・・ガイジンさま必殺の参道!

日枝神社御朱印です。(f:id:wave0131:20190928173227j:plain

▼同じく「大正〜昭和初期」に使用されていた復刻御朱印だそうです。f:id:wave0131:20190928173220j:plain

▼同じく、2012年の御朱印f:id:wave0131:20190928173215j:plain

▼プラスチック製の栞と木製のストラップが「おまけ」のようです。f:id:wave0131:20190928173238j:plain

▼復刻御朱印は上記の他に「昭和戦前期」の2種類ありました。f:id:wave0131:20190928173242j:plain

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日枝神社は一般的には「山王さん」と呼ばれ親しまれています。

▼神社前の交差点名も「山王下」となっています。f:id:wave0131:20191002162220j:plain

神社は永田町という立地ゆえに「永田町」「赤坂見附」「山王溜池」「国会議事堂前」そして「赤坂」と5つの地下鉄の駅に囲まれています。

どこから歩いても数分で鳥居にたどり着きます。

その「山王鳥居」は 3ヶ所にあります。

▼一番目立つのが境内南側、外堀通り沿いにある山王鳥居はエスカレーター付きです。f:id:wave0131:20190928173820j:plain

▼2つ目は東側にあり本来こちらが「表参道」です。山王鳥居の正面は神門が見えます。f:id:wave0131:20190928173355j:plain

▼そしてもう一つ、3つ目になる西側にある山王鳥居の先は「稲荷参道」と「西参道」に別れています。f:id:wave0131:20190928173308j:plain

▼道路の反対側は赤坂の繁華街へと続いています。f:id:wave0131:20190928173304j:plain
▼今回はエスカレーターあの派手な鳥からではなく、西側にあるブロンズ色のこの鳥居から境内に入ってみます。f:id:wave0131:20190928173555j:plain

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▼ここを登っていくことになります。f:id:wave0131:20190928173317j:plain

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▼鳥居をくぐって左側の「稲荷参道」へ進みます。f:id:wave0131:20190928173544j:plain

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▼「山王社」は氏子にとっては「お山」だ」そうです。山を登ります。f:id:wave0131:20190928173535j:plain

▼階段上を左折すると「伏見稲荷」のミニチュア版ともいうべき「千本鳥居」です。f:id:wave0131:20190928173527j:plain

▼場所柄、欧米の方々の参拝者も多い神社ですが、ここは特に外人の方々に人気があるようです。と言うか諸外国からの観光客には極上の、必殺の景観なのです。f:id:wave0131:20190928173322j:plain

帝都、東京ではイチバン密度の高い「千本鳥居」のように思います。

 

▼2人がすれ違うのがやっとの狭い参道を登って振り返りました。f:id:wave0131:20190928173523j:plain

やはり「千本鳥居」は密度が必須です。

 

▼登り切ると「山王稲荷神社」の額があるやはり朱色の大きな鳥居が待っています。f:id:wave0131:20190928173520j:plain

▼その先が末社「稲荷社」となっています。f:id:wave0131:20190928173516j:plain

▼内部は左に稲荷神社。f:id:wave0131:20190928173512j:plain

▼右に猿田彦神社と、社殿の姿も似て仲良く隣り合わせて建っています。f:id:wave0131:20190928173509j:plain

▼稲荷社前を先に進むと、ここにも大きな朱色の鳥居があります。f:id:wave0131:20190928173331j:plain

▼ここは千本鳥居ではなく「千本幟」が並んでいます。いい雰囲気なので降りてみます。f:id:wave0131:20190928173459j:plain

▼下は駐車場になっていたので再び「千本幟」を登って戻ります。f:id:wave0131:20190928173346j:plain「お山」への参道はいくつもあるようです。f:id:wave0131:20190928173335j:plain

f:id:wave0131:20190928173503j:plain▼先ほどの稲荷社前に戻ると境内へ続く小さな門が見えます。f:id:wave0131:20190928173455j:plain

▼境内に入る前に今度は東側の表参道の「山王男坂」を往復してみます。f:id:wave0131:20190928173355j:plainケッコー急な階段で左手にはなだらかな「山王女坂」もあります。f:id:wave0131:20190928173352j:plain

▼「男坂」を登りきるとカラフルな「神門」が迎えてくれます。f:id:wave0131:20190928173448j:plain

▼もう一度ぐるっと回って南側の鳥居から境内に向かってみます。グルグル、右往左往、上行ったり下行ったり、一体ワタシは何をしているのでしょう。f:id:wave0131:20190928173250j:plainすべては「日枝神社」未訪問の方々に神社の全体像を掴み取ってもらうため、汗まみれになっているのです。

▼鳥居の正面の道路の先は「赤坂サカス」「TBS」方面に延びています。f:id:wave0131:20190928173254j:plain

▼総ガラス張りのようなハデなビルも見えます。f:id:wave0131:20190928173312j:plain

▼鳥居は「山王パークタワー」の足元に潰されそうな位置にあります。f:id:wave0131:20190928173300j:plainこの比較的新しいデカイビルは「二・二六事件」の舞台となった「山王ホテル」の跡地です。

そして、見えませんが、このビルの左先の奥に「首相官邸」があります。

 

日枝神社の表玄関のような一番大きな山王鳥居をくぐります。

▼右手はエスカレータが設置されています。お年寄りや妊婦にも優しい神社です。お金がないと、優しいだけではエスカレーターはできませんが・・。f:id:wave0131:20190928173814j:plain

▼2つ目のエスカレータは勾配がかなり緩やかです。もちろん無料です。有料の神奈川「江ノ島神社」や、会津若松の白虎隊の墓「飯盛山」を思い出しました。f:id:wave0131:20190928173559j:plainもちろんエスカレーターにお金を支払ってはいられません。江ノ島会津では頑張って階段でした。しかしここ日枝神社エスカレータは利用しました。無料はコワイのでじゅんす。

▼途中振り返ります。エスカレーター利用が正解の勾配です。f:id:wave0131:20190928173603j:plain

▼ご丁寧に3つ目の短いエスカレーターで完全な「凖バリヤフリー」を実現しています。f:id:wave0131:20190928173246j:plainエスカレーターを降りると右手は駐車場、左手に「日枝あかさか」の結婚式場。f:id:wave0131:20190928173407j:plain

▼ここから境内に入ることになります。f:id:wave0131:20190928173411j:plain

▼3つの参道を行き来しましたので時間がかかりましたが、やっと境内です。f:id:wave0131:20190928173436j:plain

▼本殿にお参りします。f:id:wave0131:20190928173444j:plain

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▼本殿の隣は「山王夢御殿」は梅沢富美男が歌い出しそうな名称ですが、祈願所のようです。f:id:wave0131:20190928173423j:plain

▼「神門」内側の扁額は御朱印にある「皇城之鎮」。f:id:wave0131:20190928173441j:plain

▼本殿後方にもニョキニョキです。高層ビルに四面楚歌。f:id:wave0131:20190928173427j:plain

山王信仰と猿との関係は不明だそうですが、原始信仰の名残りではとの推測もあるとか。「マサル」くんです。f:id:wave0131:20190928173418j:plainこの神社に狛犬は探さなければみつかりません。

拝殿の前には「コマ猿」がその位置を占めています。子育てのご利益も得られます。

マサル」さんは、魔が去る勝るとして、さらには「(えん)」も運んでくるとかで崇められているそうです。ありったけの言葉遊びのようにも思います。f:id:wave0131:20190928173414j:plainそれにしても、猿だって産まれた小猿は可愛く、パチンコにも行かず、飲み会も先に伸ばし、カラオケも我慢して必死に子供を育てます。もちろん虐待なんてありえません。

ところが、人間社会は「猿以下」の動物もいるようで、毎日のように悲惨なニュースが流れます。病んでる人間社会の動物を見て猿も哀れんでいるかもしれません。

この神社に夫婦で、また産まれた子と3人で参拝できる人たちは「猿以上」、いや

「猿と同等」と言えるかもしれません。

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▼「宝物殿」にも御朱印の案内。多忙な時期はここでもいただけるのかな?f:id:wave0131:20190928173400j:plain

今回は脱線なしに近い、ひたすら境内紹介の記事でした。

未訪問者に神社の魅力が少しでも伝わればと思います。

 

wave2017.hatenablog.com

 

三崎稲荷神社の御朱印(東京・千代田区)〜カンダ 간다、カンダナウ? ナンダカンダ!

三崎稲荷神社御朱印です。(f:id:wave0131:20190928162939j:plain

▼同、三崎稲荷神社御朱印(2013年)。f:id:wave0131:20190928162934j:plain

6年の時を経て墨書きも朱印も変わっていませんが、中央の神社名の墨書きが異なると、同じ神社の御朱印とは思えないイメージを与えられます。

 

23区内の、とりわけ都心部の寺社は車で巡るわけにはいきません。

 

▼ワタシの職場の近辺にはこんな駐車料金のパーキングもあります。

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1時間駐めたら1200円朱印帳が1冊買えます!

最大料金3800円としても、いったいどんなん駐車場なのよ?

しかし、なんの変哲も無いパーキングなのです。

上の写真の場合は、極端な料金例かもしれませんが、東京都心部のパーキング料金に大きな違いはありません。

 

ボンビーはケチって僅かの間だけ路駐すると、目ざとく駐車違反の取締役、グリーンのユニフォームを着て、全く非生産的活動を恥とも思わず、人に喜ばれ感謝される仕事に就けない、いい大人の2人組がステッカーを貼っていきます。

すると、15000〜18000円のお支払いを避けらなくなります。

 

ちなみに「信号無視」罰金=9000円「駐車違反」罰金=15000円以上

どちらが危険か小学1年生でもわかりますので、全く理解に苦しむ罰金の数字です。

 

脱線して私怨のような話はナガナガと続きそうなので、ここまで!

 

▼ということで都心部の寺社巡りは公共交通に限ります。

f:id:wave0131:20190928162950j:plainJR「水道橋駅」東口はガードの下です。

頭の上を中央線、総武線が絶え間なく行き来する騒がしい出口です。

 

▼駅を出て左に目を向けると「後楽園遊園地」が見えますが、今は「東京ドームシティ」と呼ぶそうです。

f:id:wave0131:20190928162953j:plain「遊園地」という名称が時代にそぐわなく改称したのでしょうか? 中身は変わらないのに!

ちなみに、浅草の「遊園地」の「花やしき」は昔から変わらず「花やしき」です。

百貨店がデパートと呼ばれればオシャレと言うものでもなく、今や「デパート」も「アパート」も死語になりつつあります。

人名、社名など全ての名称は時代とともに変化です。

 

じゃんじゃん話が逸れます。少し戻します。

水道橋駅の南のガード沿いは飲み屋街となっています。

f:id:wave0131:20191001183008j:plainこの地域はポンダイはじめ大学もひしめいていますので、リーマンと仲良く学生たち御用達の飲み屋街でもあります。

 

水道橋駅東口出口の南になる、右手奥は住所が「西神田」になります。商店街のペナントは恥ずかしいようなダジャレになっています。

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▼駅方面を振り返って見て図々しいほど大きな高層ビルは「東京ドームホテル」。

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▼上記のような立地にある「三崎稲荷神社」は、当然ビルの谷間。

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駅から歩いてほんの2、3分なのに、記事にすると やっとたどり着いた鳥居です。

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鳥居前を行き交う人々は神社をに向かって一礼して去っていきます。

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人々が神社、寺に対して現在ほど敬虔な姿を見せるのは、近年には無かった事のようにも感じます。

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神社の境内は言うまでもなく狭小ですが、箱庭のようで緑も多く気持ちの良い空間です。

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狭いだけに手が行き届くのか、境内は頗る整えられ、手入れされています。

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「宇迦之御魂神」をはじめとする神社の祭神たちと狛犬に許しを得て、またまた話を脱線させます。

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ここ「三崎稲荷神社」の鎮座地は「神田三崎町」になります。

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東京千代田区の住居表示は「神田・・・町」と表すのが多く、一つの町の面積は大きくはありません。しかし「神田」は広いのです。

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例えば「神田鍛冶町」「神田紺屋町」「神田猿楽町」など、かつての町の生業が想像できる町名が残されていますが、すべて「神田」を冠称しています。

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地名のブランド力が住居表示を文字数の多い、ややこしいものにしています。

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それは東京中央区の「日本橋」も同様で「日本橋兜町」「日本橋人形町」「日本橋馬喰町」などと表されています。

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つまり住居表示としては「神田」も「日本橋」も、その冠称を外しても、何ら混乱しないのです。メトロの駅名などはこの冠称をすべて略しています。

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徳川将軍も参詣したと伝わる神社とは関係のない話ですが、住居表示で「神田」の文字が消えたり、復活したりと変遷してきました。

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この神社も創建された当初の本郷一丁目あたりから、2度、3度遷座を繰り返して現在地に落ち着いています。

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移り変わらぬものは何一つなく「ナウ」は常に一瞬の出来事。

足も踏み込めない所で忘れ去られたように建つ小さな鳥居も一時の出来事。

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積翠寺の御朱印(山梨・甲府市)〜武田信玄の生誕地、全開の寺と全閉の温泉地

▼万松山 積翠寺御朱印です。(臨済宗妙心寺派

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寺の読みは「せきすいじ」です。

高齢の住職に「じゃぁ、ちょっと時間をください。そのあいだ本堂裏の庭でも見ていてください」

と言われて、後ほど返された御朱印は、見まがうことなき完璧に近いバランスと達筆さで紙面が埋められていました。

やはり、こういう御朱印をいただくと思いっきりウレシくなり、ほくそ笑みます。

信玄公もご不満はナイと思います。

 

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信玄を祀る武田神社甲府駅から一直線に北へ2km強ほどです。

時間と季節が良ければ、緩やかな勾配を心地よく自分の足だけでたどり着けるはずですが、普通はバス利用でしょうか。

 

▼積翠寺はその武田神社から、さらに2kmほど山側に入り込んだところにあります。

しかし、勾配は一気にきつくなり標高は上がります。

武田神社から歩くと30分以上かかりそうですが、バス便も午前中に2本しかないという不便な立地です。

 

▼積翠寺の少し先にある積翠寺温泉の近辺からは、甲府の街並が眼下にひろがって見える場所もあります。

f:id:wave0131:20190928170122j:plainひなびていても2つか3つしかない宿はどこもステキですが、2019年9月現在はすべて休業中。休業中というより閉館なのでしょう。

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地方の ひなびた温泉地はどこも消滅の危機にあります。

残念なことですが、いわゆる「信玄の隠し湯」の一つである積翠寺温泉も無くなる運命のようです。

山梨県は温泉が豊富なのですが、それだけに様々な条件を総合すると閉館を余儀なくされている宿も少なくないのかもしれません。

 

▼県道から少し外れた寺の前の道路は狭く崖になっていて、参道はいくらか荒れているように感じました。

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▼呼び名は庫裏か方丈か分かりませんが、屋根の傾斜は冬になると雪深くなることが多いことを連想させられます。

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御朱印には「信玄公誕生寺」と中央に墨書きされていますが、信玄はこの寺で誕生したと伝わっています。

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▼住職に薦められ本堂裏に回り、庭を拝見します。

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寺の境内表側からは想像できなかったステキな景観が広がっていました。

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信玄の父、信虎がまだ甲斐を統一できなかった頃、敵対する相手との戦いの最中、信虎夫人は、躑躅ヶ崎館の居館からさらに奥まった詰め城、要害の山城に戦乱を避け、避難していたそうです。

そこで産まれたのが「晴信(信玄)」です。

積翠寺はその山城の麓近くにあります。

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▼戦乱の最中、産声をあげた「晴信」の産湯に用いた水と伝わる井戸がありました。

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どこの誰の産湯も、どこの何の井戸も100%の真実ではない言い伝えです。

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歴史は全て、おそらく半分は作られたもので、おそらく半分はシンジツです。

そしてロマンです。

その言い伝えの内容の何が真実だろうと、何がウソだろうと、人々の信じたい気持ちが最優先することは間違いありません。

 

交通の不便な地域で温泉は閉鎖されていますが、積翠寺は全開。

武田神社から足を延ばす価値のある寺です。

 

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