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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

6号線沿いの有名寺は「盆休み」! 祈祷ナシ、御朱印ナシ、拝観ナシ、要注意‼️

茨城県東海村の日本三大虚空蔵と数えられる「村松山虚空蔵堂」はHPによると「施餓鬼会のため」8月11〜15日まで「お休み」だそうです。

お盆休みのお知らせ新着情報|村松山 虚空蔵堂

▼8月13日、受付の写真。

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福島県いわき市国宝 白水阿弥陀堂」のHP上では日付は特定されてません。

国宝 白水阿弥陀堂

▼同じく13日の現場です。年間で拝観不可日が決まっているようです。

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阿弥陀堂は池の周囲から遠巻きにしか見られませんでした。

「なんてこった!」

 

ついでに茨城最北端の「五浦 六角堂」も拝観不可でした。

こちらは月曜が定休日で、月曜が祝日の場合は翌日という事で、13日は「波音」だけの「拝聴」となりました。

「とんだこった!」

 

と言う事で13日から始めた国道6号線北上の旅は、初日は重要目当ての3ヶ所が全滅!

寺に責任はなく、ワタシが事前情報を確認してなかった訳ですが、今までに旧盆中に御朱印目当てに何回も旅に出てますが、こんな経験は初めてでした。

 

ワタシと同じようにガッカリしてお参りだけで引き返して行く人を大勢見ました。

 

五浦の六角堂などは、一ヶ所しかない崖下への門が閉ざされていて近寄る事も出来ず、全く目にできませんでした。

 

みなさんもお気をつけを!

 

詳しくは、写真を含めて後日の記事とします。

麟祥院の御朱印(文京区)〜春日通り沿い 春日局の監視

▼天澤山 麟祥院御朱印です。(臨済宗妙心寺派・東京都文京区湯島)f:id:wave0131:20190809200355j:plain

▼同じく2014年の御朱印f:id:wave0131:20190809200349j:plain

5年前も書置きだったような不確かな記憶。

寺の山門を潜ると直ぐの左手受付のガラスの奥で、にこやかに会釈してくれるおねぇさんに気づきます。

お願いすると、その微笑をたたえたまま御朱印を渡していただけます。

 

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東京の道路の名称はすべて「・・・通り」です。

京都や大阪のように「条」や「筋」との組み合わせでなく、それらと比較すると何となく素っ気ないかもしれません。

 

京都の道路は碁盤の目状、大阪や名古屋も比較的整列した道路づくりとなっていますが、東京は皇居を中心に環状道路が幾重にも弧を広げ、さらに日本橋を起点に放射状に幹線道路が延びています。

したがって「筋・通り」「条・通り」が成り立ちません。

 

しかし全ての通りの名称に一応根拠があります。

普段は東京人がそんな事に拘わっていませんし、通り名の由来を知ろうとする人も少ないはず。

▼「春日通り」の名称はこの寺に端を発しています。f:id:wave0131:20190809200410j:plain

麟祥院は春日局の隠棲所であり、菩提寺でもありました。後にその戒名である「麟祥院殿仁淵了義尼大姉」の院号が寺名になています。

家光の乳母であって、大奥の実質的な権力を握っていた「斎藤 福」はここに眠っているというわけですが、他に京都の金戒光明寺などにも墓があるそうです。

f:id:wave0131:20190809200414j:plain寺は湯島天神加賀藩上屋敷の間に、春日通りを一歩入ったところに通りの喧騒から離れ、静かに山門を開いています。

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寺の裏は加賀百万石、前田家の上屋敷。もちろん現在は、その敷地の跡を利用した東大となっています。

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加賀藩上屋敷当時は東京ドーム7個分以上あったそうですから、想像もつかない広さの屋敷だったようです。

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お福が隠棲した開山当時は天澤寺と称していた麟祥院も、当時はもっと広い敷地を有していたようです。

そして後の麟祥院には臨済宗の勉学の場でもあって名僧たちがここで学んでいたそうです。

▼さらに後の明治になると東洋大学の前身の哲学館が創立されています。f:id:wave0131:20190809200508j:plainここは文京区、まさに現在も文教の地でもあります。

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周囲の生垣にカラタチが植えられていて「からたち寺」とも呼ばれていたそうですが、今はその姿はありません。

▼しかし、こんな緑はお福が隠棲していた当時もあったに違いありません。f:id:wave0131:20190809200436j:plain1万坪もあったという寺域の緑の中を散策しながらも、まだ天下が気にかかるお福だったかもしれません。

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▼本堂は禅寺らしく簡素で凛としています。f:id:wave0131:20190809200445j:plain

▼さて「おつぼねさま」に挨拶に行きましょう。f:id:wave0131:20190809200450j:plain

▼沢山の墓石の間をクランク状に右左折を何回も繰り返すと見えてきました。f:id:wave0131:20190809200458j:plain

▼墓跡の上部には前後左右に穴が穿たれ貫通しています。f:id:wave0131:20190809200454j:plain

お福の遺言による穴だそうですが、さすが「おつぼねさま」、今もこの穴の奥から天下のご政道が正しく行われているか注視、目を光らせているそうですよ、安倍さん!

 

春日局は麟祥院より春日通りを1kmほど西に行くとある礫川公園内でも睨みを聞かせています。

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犬山成田山の御朱印(犬山市)〜 テーマパークに囲まれた「蛍光 RED」寺院

成田山 名古屋別院 大聖寺御朱印です。

真言宗智山派愛知県犬山市大字犬山北白山平f:id:wave0131:20190808111108j:plain

寺の名前は「大聖寺」でしょうが、御朱印にその文字も印もありません。

やはり通称の「犬山成田山」の方が一般的なのでしょう。

愛知県には霊場がヤマほどあります。

この寺も御朱印右上にスタンプがあるように「東海三十六不動尊霊場 第一番札所」になっています。

 

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前回記事「品川 成田山」で思い出したので、今回は「犬山 成田山」です。

 

犬山市名古屋市の北に岐阜県と隣接する位置にあって、名古屋駅からは名鉄で30分前後で「犬山駅」に到着します。

 

犬山市というと国宝犬山城や、木曽川の鵜飼なども有名ですが、明治村、モンキーパーク、リトルワールド、菓子の城などテーマパークの百貨店的様相も呈しています。

 

明治村の写真を wiki からお借りしました。f:id:wave0131:20190808185238j:plain

博物館明治村 - Wikipedia

ちなみに、いつもお世話になっている wiki さんには、寄付の依頼に2度ほど応えています。

大きな金額ではないのですが、時々写真を流用させていただくので「浄財」のようなものでしょうか?

 

犬山のテーマパークはいずれも出資など、何らかの形で名鉄が絡んでいるようです。

何しろ東京や関西は私鉄が何社も競い合っていますが、名古屋は名鉄1社の牙城となっているような有様です。唯一、近鉄だけが名古屋駅に乗り入れています。

名鉄犬山駅には犬山線小牧線広見線の3路線が乗り入れています。

 

▼そんな愛知県の私鉄事情ですので、名鉄の電車・バスなどの運転席には、必ずこの寺の「お守り」が置かれているとか、いないとか?f:id:wave0131:20190808111121j:plain今度、名鉄利用の際にでも確認してみようかしら? 確認できたところで感動できるわけでもなく「フムフム!」くらいにしか感じないでしょうが!

 

▼とにかく「だだっ広い寺だなぁ」という印象です。f:id:wave0131:20190808114912j:plainもちろん本家、千葉の「成田山」も、ただただ広いのですが、両寺の趣きは全く異なっていて、まさか、あの成田山の別院とは思えないほどです。

まだしも、小さくとも川越の成田山別院のほうが趣きがあり、親戚のように感じます。

寺社に「趣き」を求めるのはワタシの基本ですので・・。f:id:wave0131:20190808111138j:plain千葉の本院や川越と違って、戦後の昭和に造られた寺ですので、比べるものではないのですが、何と言っても寺の色が「朱」より「赤」です。それも「蛍光赤」。

そういえば改修工事の済んだ成田山横浜別院の本堂も、こんなイメージだった。

個人的には、この「蛍光赤」は心のアレルギーが発症します。

 

f:id:wave0131:20190808111129j:plainもちろん、そのアレルギーを癒す他の要素があれば救われます。

しかし、ここ犬山成田山では、そんな安らぎは、なかなか見つけられませんでした。

味気ない、だだっぴろさは車社会の、とりわけトヨタの城下町である愛知県の人々が「車祓」に参拝するためのスペースなのでしょう。

さらに愛知県というか、名古屋の人々は華やかさや、ハデ好みというイメージを持っています。この蛍光色は愛知県人には必須のカラーかもしれません。

 

▼相変わらずヘソマガリな批判的と解されても、おかしくない言葉を並べましたが、やっとこの寺のベストポジションを見つけられました。f:id:wave0131:20190808111133j:plainそんな大げさな事ではないのですが、高い位置にある本堂に登り、眼下の山門と遠方に見える犬山城を眺めていると「蛍光色」のアレルギーは霧散してしまいました。

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眼に映る同じ景色ですが、人、時、状況、環境などによって、100人100様、それぞれ異なって見えます。

深く掘りさげる事なく、見たままに「キレー」とか「バエッ」とかを感じて、単純に言葉にできる方がシアワセかもしれません。

 

▼ところで成田山の近くに「犬山 善光寺」があります。f:id:wave0131:20190808111146j:plain成田山があって善光寺です。やはり犬山には何でもあり!です。

しかし開けっぴろげの本堂ですが、訪問時の境内は参拝者も寺の方も、人の気配が全くありませんでした。f:id:wave0131:20190808111142j:plain参拝だけして引き返すしかないわね!

 

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一心寺の御朱印(東京・品川区)〜旧東海道沿い路地裏の怪しさと寺裏の郷愁

▼豊盛山 延命院 一心寺 本尊不動明王御朱印です。

真言宗智山派・東京都品川区北品川)f:id:wave0131:20190806193850j:plain

今回は御本尊をいただきました。真言宗ですので「不動明王」です。

 

▼同じく、2012年の江戸三十三観音 第三十番の御朱印f:id:wave0131:20190806193836j:plain

▼2014年、東海七福神「寿老人」の御朱印f:id:wave0131:20190806193846j:plain

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JR品川駅周辺には御朱印をいただける寺社が、ギッシリ詰まっているイメージを持っています。

品川駅の北側には泉岳寺高野山別院、さらに覚林寺をはじめとする元祖山手七福神の寺々などの寺院があります。

 

それぞれの最寄駅は品川とは異なりますが、品川駅から寺院を点々と伝われば、歩けない距離ではありません。

f:id:wave0131:20190806193931j:plainそして品川駅南側には品川神社荏原神社一心寺など東海七福神も担う寺社が、北品川から始まる旧東海道沿いに磐井神社まで続きます。

その間には品川寺など江戸三十三観音の寺も続いています。

 

旧東海道は品川駅の側から始まりますが、住所は品川。品川駅は品川区ではなく港区にあるからです。

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品川宿旧東海道最初の宿場。板橋・新宿・千住とともに江戸四宿と呼ばれていました。現在の東海道は北品川から電柱が取り払われ、しばらくは気持ちの良い街歩きができます。

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f:id:wave0131:20190806193952j:plain沿道には寺の参道が開けているのが、いくつか見られます。

▼そのうちの一つが一心寺です。

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訪問するのは3度目ですが、超コンパクトな境内は箱庭のように、いつ訪れても綺麗に気持ちよく整えられています。御朱印も気持ちよくいただけます。

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▼江戸三十三観音札所の案内があります。

f:id:wave0131:20190806194009j:plain近所の人たちは寺の名前ではなく「成田さん」と呼んでいます。

実は2回目の訪問までは、三十三観音七福神での慌ただしい訪問でしたので、この寺が成田山からの分身を本尊とされていることを知りませんでした。

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▼寺の山号とは違う、こんなに大きな提灯が「品川 成田山」と示しているのにです。

f:id:wave0131:20190806194016j:plain深川不動堂」のように「成田山」も全国に別院や分院がたくさんありますが、ここ一心寺は別院、分院、末寺ではないようです。

 

▼綺麗な旧東海道の通りも、一心寺の正面の路地に一歩入ると昭和レトロチックです。

f:id:wave0131:20190806194034j:plain上の写真は怪しい路地に入り振り返って、一心寺を正面に見た位置です。

▼そして、すぐ横にはこんな店が。昭和センスの勇気ある店名です。

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▼路地の突き当たりは虚空蔵尊を本尊とする東海七福神養願寺になっていますが、上の写真の路地が参道的位置になっているので女子は敬遠しがちでしょうか。

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御朱印も見本を掲げて、しっかり案内してあります。しかし境内は少し殺風景で静かで、味気ないイメージです。何とかしなくちゃ!

f:id:wave0131:20190806194029j:plainでも、きっと親切な対応で御朱印をいただけるはずです。

この地域の御朱印巡りをされる場合は忘れずに養願寺にも参拝しましょう。

そう一心寺からの、あの路地も堪能しながら・・。

 

▼この地域の寺社巡りが一息ついたら、旧東海道はランチもカフェも見つけられますが一心寺の裏にあたる、さらに東側の横道を入りましょう。品川の今昔が控えてます。

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▼再開発され、高層ビルが建ち並ぶ品川駅周辺にも「昭和っぽさ」が残っています。

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▼目黒川が東京湾に注ぐ周辺の運河の「船だまり」ですが、そこは必ず「昭和っぽさ」を引きずっています。

f:id:wave0131:20190806193927j:plain比較的、海とか川の近くで育った記憶が郷愁を刺激するのでしょうか?

東京湾に面する地域ではこんな景色はいくつもあり、船だまりにはいつも魅入らせられてしまいます。

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浦安や、23区ですと木場や柳橋で見られるこんな景色は、いつか造られたモノでしか見られなくなってしまう事でしょう。

品川周辺の寺社巡りの際には10分だけ時間を割いて、一心寺の裏に入り込んで見てください。

 

 

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荏原神社の御朱印(東京・品川区)〜かつて地域の「覇社」だったジレンマ

荏原神社御朱印

えばら じんじゃ主祭神:高龗神・豊受姫之神・天照皇大神

(東京都品川区北品川2-30-28)

 

 

荏原神社御朱印(2019年)。

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書置きでいただいた御朱印は下に掲載の2013年のものと大きく変わりませんが、神紋と思われる「菊紋」と「左三巴」が無くなっています。

理由はわかりませんが、「准勅裁社」と「総鎮守」の2つのスタンプに変化はありません。「」にこだわりを持つ神社のようです。

 

荏原神社御朱印(2012年)。f:id:wave0131:20190805184053j:plain

荏原神社 東海七福神恵比寿」の御朱印(2014年)。f:id:wave0131:20190805184047j:plain

品川宿から先の旧東海道沿い展開する東海七福神は、東京の他の七福神同様、とっても人気でここ2、3年は御朱印をいただくのにも大変なようです。

 

荏原神社品川神社から徒歩数分の位置にあります。最寄駅は「新馬」。

 

▼時期になるとニュースなどで取り上げられることの多い目黒川の桜ですが、ここは、その川のかなり下流になり、東京湾はすぐ先になります。

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▼江戸八百八橋ですので、目黒川にも多くの橋が渡されています。

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大動脈のR15の「東海橋」には鳳凰でしょうか、目を引くグリーンと紺色は未来的な鳳凰を感じさせられます。

 

東海橋下流には旧東海道に架かる品川橋。両橋とも造られたのは新しそうですが、デザインのコンセプトは違うようです。

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▼上記の目黒川に架かる2つの橋の間にこの橋があります。

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観光でやってくる外国の人々が、日本の朱色の千本鳥居に感動を抱くのは、見慣れたワタシたち日本人にとっては、少々オドロキでもありました。

しかしワタシにとって朱色の橋は、朱色の鳥居よりワクワクさせられます。

境内の入り口や、境内に入ってからの「朱色」ではなく、神社に導く「朱色」の先を想像させられるからでしょうか?

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橋名板には「鎮守橋」と刻まれています。橋は老朽化しているので「さっさと渡ること」というような意味の看板があります。

やむを得ない事とは言え少々ブスイかも。

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ところで「品川区荏原」という住所表記される地域がありますが、この神社の鎮座地はそんな地域よりもっと東になります。

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さらに「荏原七福神」という名称がありますが、

荏原神社はそこには名を連ねず「東海七福神」に属しています。

ややこしい話ですが、時代を町村制以前に遡れば何の不思議はなく、

この地域一帯は荏原郡だったのです。

 

▼鳥居をくぐると東海七福神を担う恵比寿像

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神社は創建1300年と伝わり、近隣の地域を代表する神社で、何とあの「東京十社」に名を連ねる品川神社より長い歴史を持っているのです。

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明治天皇からは明治元年品川貴船社」として「准勅祭社」12社の中に定められたそうです。と言ってもそれは荏原神社の言い分でもあるようです。

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元准勅祭社12社の内から東京近郊の10社が選ばれ、

言い足せば1975年に関係神社が協議を行い「東京十社」が決定されたわけですが、

その時の准勅祭社12社には荏原神社の名はなく、品川神社が入っています。

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荏原神社のHPによりますと、本来その品川神社品川貴船社荏原神社)だとの説明があります。

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明治期の記録があやふやなのか、昭和までの間に何らかの力関係が影響したのか、想像するしかありません。

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荏原神社が、かつては地団駄の思いであったかもしれないという想像は、

穿ち過ぎかもしれませんが、御朱印に「」の文字スタンプがある事などで十分納得できる事でもあります。

 

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